20年振りのキリマンジャロ登山を振返って

私は、今回の2度目のキリマンジャロ登山で一体何を得たのだろうか。達成感? いや、そんなものは既に20年前に得てしまっている。ギルマン隊が涙を流しながら登ったという談話を残したが、私も当時は高山病でフラフラになりながらも、一歩ごとに深呼吸を繰返し、やっと辿り着いたウフルピークで、当時のガイドのジェームズさんと涙の握手を交わしたことだけが鮮明な記憶として残っている。それがあまりにも鮮烈なだけに、2度目の登頂ではキリマンジャロ登頂自体の純粋な達成感を失ってしまった。では、私は何のために登り、何を得たのか?

一つは、アフリカの最高峰を極めるという喜びと感動を、少しでも多くの人と分かち合えたという思い。全員登頂という最高の成果を得た今、思いを共有することが、自分一人の思い出に留めるよりも遥かに素晴らしいものであることを実感した。最初は、既に行ったことがあるキリマンジャロ登山には参加しないつもり(欧州最高峰のエルブルースを狙っていた)だったが、『過去に登った経験から力になって欲しい』という山岳部部長のお言葉で、目が覚めて2度目のキリマンジャロを決断した。

二つ目は、地球温暖化に対して強い関心と危機感を抱くようになり、地球温暖化が『キリマンジャロの雪』に対して及ぼしている影響を、この目、現地・現物でしかと確認できたということ。特に東部氷河 Eastern Icefieldsの階段状の氷河の縮小は目を覆うばかりの惨状であり、私には衝撃であった。(注:地球温暖化と氷河縮小の相関に関しては批判的な意見もあり)
また、植樹ボランティアの際、昔に比べて川の水が少なくなったという話を聞いたが、もしかすると、氷河が溶けることによる溶融水が過去に一時的に水量を増やしていただけで、氷河が縮小したことにより、溶融水が減少して川の水量が減ったということかもしれない。
更に、地球温暖化は地域を別々にして旱魃と大雨を引き起こすため、キリマンジャロ周辺部が旱魃で降水量が減少している可能性はある。とすれば、保水のため斜面に木を植えたところで焼け石に水であり、大本である『地球温暖化』をなんとかせねばならない。もっとも、温暖化自体が人為的なものでなく、気候変動の一局面であるという説もあり、我々に何ができるのかは大変難しい問題である。今回の活動は、『地球温暖化』に対して色々と考えさせられる意義深いものであった。

三つ目は、記憶がほぼ完璧に飛んでしまった過去の登山へのリベンジである。これは、富士登山、低酸素トレーニング、などの事前のトレーニングが今回は十分にできたこと、ツアーガイドのKさんが高所経験が豊富で、適切なペースの維持、毎日の高所順応トレーニング、水分摂取の指示、などにより高所順応がうまくいったことが大きい。私は、頂上アタックの時にも食欲があり、薬に全く頼ることもなく、頭痛・吐き気もないベストコンディションで臨むことができた。お陰で、ギルマンズポイント、ウフルピーク、そして氷河について決して消え去ることのない鮮明な記憶を刻むことができた。

こうして振返ると、20年前よりも今回の方が遥かに得るものが多かったのではないかと思う。3度目の登山があるかどうかは神のみぞ知るところであるが、今回の経験を残りの人生に生かしたい。多くの仲間に支えられて私は幸せです。本当にありがとうございました。

           



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