[大曽根][新宿]の鎮守・片山八幡神社と花園稲荷神社 [大曽根]と[新宿]の類似の原点・駅北のガード [大曽根]と[新宿]の類似の原点・ガード西の交差点
大曽根と新宿との類似の原点は駅北の大通りが走るガード及びその西の交差点にある。人によっては、名古屋の新宿に相当する所は大曽根の南に位置する繁華街・今池や中央線特急が停車する千種だというかもしれないし、ターミナル駅という見方では金山をあげるだろう。また、メールによれば栄だと思っている人もいるぐらいだ。それに大曽根は名古屋の中心駅・名古屋から金山経由で中央線を半周した所にあり(千種もそうだが)、新宿も東京の中心駅・東京から山の手線を半周した所にあるし中心駅から中央線で行くなら双方共に4駅目である(山の手線なら外回りに乗車した方がよく、途中金山に相当する品川がある。新宿への中央線でのアクセスは快速で行った場合)。このように両者は中心駅との位置関係が共通している。
新宿西口の高層ビル群は有名で南口にも高層ビル建設計画があるという。大曽根も高層ビル群やデパートがあって常に人でいっぱいだったら、大曽根と新宿は本当にそっくりだ。いろんな面で、両者を比較してみる。
 
下の地図の青丸(大曽根:たからや・四君子、新宿:小松・ふもと・ひさご・養老乃瀧・らくがき等)の焼鳥屋は、共に西口に、しかも駅北西に位置し、そばに東西に走って線路高架下をくぐる大通りがある。このことから大曽根の焼き鳥屋付近と新宿の焼き鳥屋付近の道を関連づけた。
大曽根と新宿の道路等の関連付け
  大 曽 根 新 宿
A-A' 環状線(西)(A) 青梅街道(A´)
B-B' 国道19号(大曽根交差点方面)(B) 西口広場へ続く道(B´)
C-C' 国道19号(春日井方面)(C) 小滝橋通り(C´)
D-D' 五叉路南の道(D) 思い出横町、焼き鳥横町の南北の道(D´)
E-E' 環状線(東)(E) 靖国通り(E´)
F-F' 大曽根大ガード(F) 新宿大ガード(F´)
G-G' 大曽根小ガード(乗換通路)(G) 新宿小ガード(角筈ガード)(G´)
注)大曽根大ガード、大曽根小ガードという名称は新宿に倣って名付けた。
F対F´−新宿の大ガードをくぐる時、大曽根を思い出す。但し、大曽根では新宿にあるような「これはなんじゃというほどたくさんの食材を使ったもんじゃ焼き・なんじゃもんじゃ」、「♪メガネは顔の一部です。東京メガネ」や「新宿区のお知らせ」なんていう広告放送は聞かれないが。
G対G´−双方とも焼き鳥屋の南にあって、しかも昔の街道(瀬戸街道・青梅街道)の一部、古い道を東口・西口連絡通路にしているという共通点がある 。
共に戦後から再開発が始まるまで西口には飲食店などのバラック造りの店舗が軒を連ねていた。このため太平洋戦争直後を知る人に「かつて大曽根と新宿は似ていた」という人
がいて、大曽根西口に「新宿市場」という所があったそうだ。昭和60年頃まであった大曽根の「たからや(旧店舗)」や「四君子」、現在ある「たからや」や「三平」や「なつき」など、
今もある新宿の「思い出横丁・焼き鳥横丁」はその名残。尚、東京は新宿以外でも池袋の人生横丁、渋谷ののんべい横丁など、また名古屋も名鉄本線・神宮前の神宮小路、
堀田や桜にも小さいながら似たような所が残っている。
 
現在、大曽根には焼鳥・四君子はなく、その隣のたからやも移転したので、焼き鳥屋を中心とした見方では、大曽根と新宿との類似は過去のことだとつくづく感じる。しかし、駅北のガードは両者とも現存しているという点では類似はなおも現役だ。そのため今度はそのガード北東に位置する大曽根の矢田町と新宿の歌舞伎町の道路の走り方を比較してみた。
大曽根の本格的な再開発が始まり、駅北東方面の区画整理が行われると、今度は同じ駅北東にある新宿・歌舞伎町の道の走りを思い浮かべるようになった。歌舞伎町にある派手な看板の店は矢田地区に数店あるが、大曽根が発展しても増えることは勘弁だし、火災や犯罪はあったが多発地区にもなってほしくない。歌舞伎町北にあるようなすラブホテル街はもってのほか。北東地区の類似はせいぜい道の走り方くらいにしてもらいたい。
大曽根と新宿の道路等の関連付け
  大 曽 根 新 宿
A-A'a
A-A'b
環状線から第一生命角を入る道
(一番街)
A'a:西武新宿線脇の南北の道
A'b:コマ劇南に突き当たる道
大曽根の第一生命が新宿のペペ(プリンスホテル)に相当すると考えれば、A-A'aの対応。AがCaに突き当たる所を見るとA'bがコマ劇南に来る所を思い出す。
B-B' 環状線 靖国通り
Ca-C'
Cb-C'
Ca:アフェクション前の東西道
Cb:一・二番街、瀬戸街道旧道
歌舞伎町東西を横切る道
矢田町の東西道の中で最も広い道という意味ではCa-C'の対応
両者ともカーブがある所から見るとCb-C'の対応
D-D' パチンコ・共栄の東を通る道 区役所通り
E-E' 区画整理で縦横にできた道(黄緑の道) 区役所西の縦横に走る道(黄緑の道)
F-F' 北区上飯田・山田から矢田に来る道 職安通り
G-G' 白山神社 鬼王神社
H-H' 大曽根大ガード 新宿大ガード
I-I' 山田東公園 大久保公園
 
   
 
左から、西口駅前広場バスターミナルの[大曽根]と[新宿]、同広場丸い排気筒の[大曽根]と[新宿]、同広場向こう岸にある明治安田生命の[大曽根]と[新宿]  
新宿はJRの他、京王、小田急、西武、地下鉄3本が乗り入れる日本最大のターミナル駅で東京の西の玄関口。大曽根も、JR、名鉄、地下鉄、ガイドウェイバス・ゆとりーとラインが乗り入れる乗換え客が多い街。大曽根西口駅前広場が完成したことにより、@バスターミナルA地下街B地下駐車場C排気筒、といった大曽根と新宿との類似点がまた増えた。新宿の西口駅前広場が完成したのは昭和40年頃。大曽根土地区画整理事業が発足したのもそれに近く新宿の京王線地下駅が完成したのと同じ昭和38年だが、完成は約40年経った平成18年のこと。大曽根駅前のバスターミナルも新宿駅前のバスターミナルも西口駅前広場にあり(高速バスターミナルや空港行きリムジンバスターミナルは新宿にあるが、大曽根にはない)、東口は共にタクシー乗場になっている(ただ新宿は西口駅前広場の地上と地下の部分にもタクシー乗場があるが大曽根にはない)。大曽根の西口駅前広場も新宿の西口駅前広場にも地下2階に駐車場がある(が、新宿には雨水調整池はない)。そして両者共西口駅前広場に丸い排気筒がある。その他、明治生命と安田生命が合併したら(大曽根は明治生命、新宿は安田生命だった)、明治安田生命が共に西口にあるという共通点が新たに生じた。ただ、新宿は東口・西口共賑わいを維持し更に南口へと広げているが、大曽根は東口の人の流れが増加したものの西口や南口は未だにさびしく東高西低という違いがある。

a.大型小売店や宿泊施設の大曽根進出の願い

[新宿の大型小売店]左から、ビックロ(旧三越)、伊勢丹、丸井本館、アルタ、ヤマダ電機、小田急・京王、ユニクロ、Bカメラ・小田急ハルク、ルミネ、高島屋・東急ハンズ

過去、本当に大曽根にもホテルやデパートの進出計画があったようだが、ご破算になってしまった(HP・東海掲示板や付近の居酒屋経営者の話による)。西武不動産が西口一帯を
[大曽根の大型小売店]左から、メッツ大曽根、イオン
買収する計画がある時があったというから、もし現実のこととなれば西武百貨店、或いは西友かパルコかロフトが駅前で貫禄を誇っていたことだろう。名鉄百貨店も進出計画があったという。伊勢丹や大丸の進出も願っていた。西口はまだ空き地が残っている。といってもデパートが建つ広さではない。しかし平成14年春、東口にメッツ大曽根が堂々OPEN。そのことが休眠状態
新宿は南口も発展した。大曽根南口はビル2棟があるものの未だローカル駅っぽい。
だった再開発が動き出すきっかけとなり、イオンが平成18年春に進出、そして同年暮れに西口駅前広場が完成。できれば新宿西口に本店を構えていて名古屋には未進出のヨドバシカメラの西口への出店を願っていたが現実は程遠く名駅進出に決まってしまった。新宿はそことビックカメラが競争しあい、ヤマダ電機も参入した。そして名古屋ではヤマダ電機も大曽根ではなく名駅に進出決定。宿泊施設は、南口のビジネスホテルや彩紅橋付近の旅館、オズモール西の入口付近に”休憩”付のホテルがあるくらい。遠方よりドームで野球観戦をする人のために、また名駅にルーセントタワーやミッドランドスクエアといった高層ビルが完成し、デフレの時に大名古屋ビルヂング等を取り壊しさらに高層ビルが増えるそうだから出張組が増加することが見込まれ、他にもビジネス系のホテルがあったらどうだろうか。そういった大型施設ができれば西口に人が戻ってくるかもしれない。尚、メッツ大曽根は新宿東口の老舗デパートである伊勢丹本店と旧三越新宿店(現・ビックロ)、丸井、アルタに相当するとみられる。あと、正文館や星野書店が大曽根に来れば、紀伊國屋書店に相当することだろう。尚、新宿のさくらや、大曽根のユニーは平成22年に閉店。

b.大曽根も地下街が完成、地下部分の共通点
左から、地下道の[大曽根]と[新宿](新宿はメトロプロムナード)、地下道から地下街への入口の[大曽根(オズガーデン)]と[新宿(サブナード)]、西口地下駐車場の[大曽根]と[新宿]

地下鉄名城線・大曽根駅の地下道は、新宿の地下鉄丸の内線の上を通る地下道(メトロプロムナード)に相当する。双方とも地下鉄の上にあり、丸い柱があるという共通点がある。
左から、[大曽根]オズガーデン、[新宿]サブナード、ルミネエスト、京王モール、小田急エース
新宿の地下道は地下街・サブナードに連絡している。名駅や栄に巨大な地下街が発達している地下街王国だと言える名古屋なので、大曽根にも平成18年の西口駅前広場完成に合わせて地下街「オズガーデン」が完成し、地下道から直接行かれるようになっている。尚、大曽根の地下道は、新宿のメトロプロムナードに相当する名称はない(ゆとりーとラインやカルポート東のように公募はあるだろうか?)。また、大曽根西口駅前広場地下2階は駐車場になっており、新宿西口駅前広場も地下2階の部分は駐車場である。大曽根の地下街はオズガーデン1つであるが、新宿の地下街は東口の靖国通り下のサブナードと広場地下のルミネエスト、都営地下鉄新宿線・京王新線新宿線と大江戸線新宿駅への連絡口にある西口の京王モールと西口駅前広場地下の小田急エース 。




c.西口駅前広場の問題点
[3線地下改札口からヨドバシカメラへ]JR・小田急・京王→広場地下部→6番・7番出口
新宿の場合、JR・小田急・京王共地下に改札口があり、広場地下部を通って向こう岸に出ることができる。しかし多少はバリアフリー化しているものの、向こう岸の地上に上がるためのエレベーターやエスカレータがないため(広場完成は駅構内にエレベーターやエスカレーター設置が普及していない昭和40年頃)、階段を利用してヨドバシカメラへ行くこととなる。歩行距離:約100m〜250m。小田急地上改札から行くなら約200m。
大曽根はJR、名鉄瀬戸線大曽根駅から広場向こう岸のオゾンアベニュー・オズモール(以下両商店街という)へのアクセス、新宿はJR、小田急、京王線新宿駅から同じく広場向こう岸のヨドバシカメラ本店へのアクセスを中心に比較してみる。
[JR・名鉄改札口から両商店街へ]西口→地下部へのエスカレーター(E1番入口)・エレベーター→広場地下部→地上への階段(E6番出口)とエレベーター
大曽根の場合、JR・名鉄瀬戸線には地下改札口がないため、地下部を利用して向こう岸へ行くのには一旦地下へ下りて上がり直して両商店街へ行かねばならない。しかし階段だけでなく、エスカレーターやエレベーターもあるので高齢者や身体障害者には助かる。歩行距離:約150〜200m。
[大曽根]駅から両商店街へ行くために遠回りして渡る横断歩道(左:広場北側「地図A」・赤信号は約2分、右:広場南側「地図B」・赤信号は約50秒)
[新宿]左:地上ルートで(小田急地上改札口から)ヨドバシカメラ本店へ行く時に渡る京王百貨店前の横断歩道「地図C」(赤信号は約50秒)、右:ビックカメラへ行くための広場北の横断歩道「地図D」(赤信号は約1分45秒、しかし上にエスカレータ付きの歩道がある)

大曽根西口は、JR・名鉄瀬戸線駅から地上部を通って両商店街へ行くとしたら広場両端の横断歩道(信号あり)へ遠回りしなければならない。歩行距離:北の横断歩道経由・約200〜250m、南の横断歩道経由・約300m(遠回りせず直行できたら約150m)。両商店街へ不便なく行けるために、広場改造してかつてあったオゾンアベニュー前の横断歩道を復活してもらうか、名鉄瀬戸線の2階改札口から直接両商店街へ行けるよう広場を2層化してもらうようにしたらどうか。ゆとりーとラインのナゴヤドーム前矢田駅からナゴヤドームやイオンまでのペデストリアンデッキがその例だ。愛知県内で発見したJR駅前広場を2層化している所は豊橋と勝川。新宿では昭和60年頃、小田急百貨店2F沿いに通路が設けられれ信号待ちなしでビックカメラ等に行くことができる(この通路は南へ、京王百貨店まで延ばすというが凍結状態)。地下部をあわせば3層構造ということになる。更に地下駐車場を併せれば4層構造だ。大曽根も地下1階が地下街、地下2階が地下駐車場だから、地上部2層を併せれば4層構造になり、更に地下3階の雨水調整池をあわせれば5層構造ということになる。しかし、そのためには何億円という多額な費用がかかるので遠い先か、いや夢物語となってしまうかもしれない。
駅前等の立体化:左から、
[大曽根]
ゆとりーとラインナゴヤドーム前矢田からカルポート東やナゴヤドームへと行く2階通路、カルポート東2層目にあるナゴヤドームへ続く連絡歩道「ペデストリアンデッキ」、イオンへも横断歩道を渡らず行ける。大曽根もこうなってほしい、立体化している豊橋駅北口。
[新宿]
西口駅前広場の一部完成している2階通路、新都心も立体化している。
大曽根・新宿両西口駅前広場の比較
大曽根:JR・名鉄瀬戸線大曽根駅改札口から広場向こう岸の両商店街へ、
新  宿:JR・小田急・京王線新宿駅改札口から広場向こう岸のヨドバシカメラ本店へ、というアクセスを例にとってみると……
  大 曽 根 新 宿 勝敗
地下部を通って 地下改札口の有無からみると JR・名鉄は地下には改札口が無く、向こう岸へは、一旦地下に下りてから上りなおさなければならない。 地下にあるJR・小田急・京王の改札口からそのまま広場地下部を通って向こう岸の出口に出られる。 新宿の勝ち
エレベーターやエスカレーターの有無からみると エスカレータやエレベーターがあるので、高齢者や身体障害者にとってはありがたい。 エレベーターやエスカレーターは広場手前の小田急・京王両百貨点内にしかなく、向こう岸へ行くためには階段を利用しなければならない。 大曽根の勝ち
地上部を通って 広場北、広場南の信号のある横断歩道へ遠回りしなければならない。やはりオゾンアベニュー前の信号のない横断歩道が廃止になったのが大きい。 西口に地上改札があるのは小田急のみ。階段の昇り降りの必要なく、京王百貨店前の横断歩道を渡って行く。そう遠回りとも感じず、抵抗感は大してない。 新宿の勝ち
距離から見て 地下部経由:約150〜200m
地上部北の横断歩道経由:約200〜250m
地上部南の横断歩道経由:約300m
地下部経由(JR・小田急・京王改札より):約100〜250m
地上部経由(小田急改札のみ):約200m
五分五分

d.JR大曽根駅に特急列車&セントラルライナー停車
左:[大曽根]JR東海大曽根ビル、
右:[新宿]JR東日本本社

新宿には(正式には渋谷区代々木)、JR東日本本社があり、大曽根にも本社ではないがJR東海大曽根ビルが平成18年に建ったという共通点ができた。
しかし特急列車等にはまだ問題が残る。大曽根の隣駅・千種には止まる特急列車「しなの」。現在は廃止されている急行列車「木曽」も千種に停車して大曽根を通過していた。千種は栄から広小路通りや錦通りで繁華街・今池に行く場合の経由地であり、今池に近いので停車しているのだろう。そのため諦めていたが、ある老人の話では「大曽根に特急列車を停車させるべきだ。」平成11年12月のJRダイヤ改正で登場した「セントラルライナー」も千種に停車して大曽根は通過。大曽根停車を期待していた人もいるかもしれない。東京の西の玄関口・新宿は中央線特急「あずさ」や成田エクスプレスの発着駅。名古屋の北の玄関口で総合駅の大曽根に特急列車やセントラルライナーが到着したっておかしくない。

e.新宿に倣ってもらいたいこと、新しく対応
左から、新宿西口駅前の喫煙所、同東口の斜めの横断歩道があるスクランブル交差点、東京メトロ副都心線(新宿三丁目駅)
@禁煙の施設・店舗、路上禁煙地区(東京は千代田区全域や多くの駅前、名古屋市内は名駅・栄・金山・藤が丘)が増えている。新宿駅前もその一つだ。但し喫煙所はあるので愛煙家にとっては助かるだろう。大曽根駅前は禁煙になっていないから吸殻で汚くてたまらない。このため新宿や、より厳しくするなら名古屋市内4箇所に倣ってもらいたい(かつて筆者は愛煙家だったが病気を理由に現在は禁煙しているから抵抗はない)。
A新宿駅東口駅前のスクランブル交差点、それらしく斜めの横断歩道はちゃんとある。大曽根4丁目交差点は歩行者用信号が全部青でも「斜め横断禁止」というのは納得いかない。
B新しく対応に加わるとみられるのは、名古屋市営地下鉄上飯田線と東京メトロ副都心線。渋谷と池袋を結び新宿駅前は通らず新宿三丁目経由の副都心線は東武東上線と西武池袋線と相互乗り入れをしていて、東急東横線も2012年に参入する予定がある。同線は急行があり、それに乗車すると地下鉄内の駅を通過するため異様に感じる。上飯田線は、現在上飯田・平安通間のみの営業運転だが名鉄小牧線と相互乗り入れをしている。延伸すれば大曽根駅前には来ず、平安通の次は、西大曽根を飛ばしてしまって森下となる予定。
 
旧青梅街道標識( 新宿小ガード
参考資料:明治前半の地図(古地図史料出版)、新宿区の歴史(名著出版)、北区の歴史、東区の歴史、守山区の歴史(以上愛知県郷土資料刊行会)、北区史、東区史(以上名古屋市の著書)、名古屋の駅の物語(中日新聞本社)、HPウィキペディア
大曽根には名古屋と中仙道を結ぶ下街道があり、四ツ家(現在のオズモール西の入り口付近)が瀬戸街道との分岐点だった。後に新しく道ができ、旧大曽根村東端(今の大曽根駅西口:かつてのアーケード商店街東の入口)が分岐点となる。それまでの下街道は元山田海道古道として残る。また、名古屋城からは御成道が大曽根まで来ていた。下街道は平安時代から、信州善光寺参りや信州の人々のお伊勢参りなどのために用いられたという古道で善光寺街道とも称された。日本武尊(4世紀頃)が通行したとも言われている。下街道は宿駅は置かれなかったが、大曽根には馬宿、問屋、商店、茶店などが建ち並び、下街道のうちで最も栄えていたという。大曽根はいわば下街道の「準宿場町」だ。瀬戸街道は信州飯田街道、水野街道、品野街道とも呼ばれ、瀬戸から陶器の運搬に利用された。御成道は、尾張藩主が名古屋城と大曽根下屋敷(現在の徳川園)とを往復する時に通行した道。オズモール西の入口とR19を隔てた十六銀行の脇から柳原に行く道がそれ。東部にカーブがあるところが古い道であることを表している。杉栄町バス停付近(杉村一交差点東)で南北二股に分かれるが、南の方が旧道。
一方、新宿も日本橋から、江戸五街道の一つ甲州街道が来ており、1698年(元禄11年)、宿駅「内藤新宿」が置かれた。新宿の誕生はここにある。新宿追分(伊勢丹角の交差点)で青梅街道が分岐する。甲州街道は大名や一般旅行者の利用の他、地方から農産物を江戸の市場に運ぶためにも用いられた。青梅街道は奥多摩方面からの石灰運搬の産業道路、また甲州街道裏街道とも言われ、関所がなかったため関所逃れの旅人も多かったという。このように大曽根も新宿も古くからの交通の要所である。
   
新宿駅開業は明治18年で日本鉄道(現在の山の手線)開通と同時である。これに対し、中央線大曽根駅開業は、明治33年の中央線開通から11年遅れることの明治44年。大曽根駅の開設は付近の村民たちの悲願であった。瀬戸から陶器を、瀬戸まで燃料を輸送するための鉄道を敷設し、中央線と連絡させるという条件を出すまで、開設の認可がおりなかった。なお、瀬戸線の大曽根駅開設は明治39年で中央線大曽根駅より先だ。開設当時の駅付近は、大曽根は辺りは水田、新宿は旧武家屋敷の雑木林だった。その頃の大曽根の中心は今のオズモール西の入口付近からR19瀬戸線森下駅下辺りにかけて(三菱東京UFJなどの金融機関の大曽根支店が駅前でなくその辺りに集中しているのはかつての大曽根の中心地だった名残といえる)、新宿は新宿追分けより東の旧宿駅・内藤新宿何と両者とも駅から約500メートル離れた距離だった。
その他の路線駅の開業:市営地下鉄名城は昭和46年、ゆとりーとラインは平成13年、京王は大正4年(当時は新宿追分付近が始発、現在地への移転は昭和20年)、小田急は昭和2年、西武は昭和27年、東京メトロ丸の内は昭和34年、都営地下鉄新宿は昭和55年(相互乗り入れする京王新線は昭和53年)、都営地下鉄大江戸は平成9年、東京メトロ副都心線は平成20年。
<注:大曽根付近>
明治22年に大曽根周辺6ヶ村(大曽根、矢田、大幸、山田、上飯田、下飯田)が合併し六郷村となる。六郷村役場は大曽根に置かれた。六郷は地名からは消滅したが小学校の名に残る。鍋屋上野(ナゴヤドーム付近)は浄水場の名や千種区に残る。

<注:新宿付近>
地名から消滅した角筈(つのはず)は西新宿から新宿駅を経て旧三越や新宿追分辺りまで、柏木は北新宿一帯。内藤新宿は新宿御苑の北。

明治の頃は、大曽根も新宿も付近に矢田川や神田川とは別な川が流れていた。両者とも今は姿を消しているが、大曽根の方は環状線に沿って大幸川があり、新宿の方は歌舞伎町を横切るように蟹川と称される小川が流れていた。大曽根の彩紅橋通(地下鉄平安通駅と大曽根交差点の間)や砂田橋(ナゴヤドーム北東)、「日清食品前」になる以前の新宿明治通りのバス停「新田裏」(農村時代の字の名:当時水田があり、水田には川が必要)や新宿文化センター付近(左図参照)が谷になっているのは川が流れていた名残。

写真左は西口・地下鉄大曽根駅北側5番出口。外に出るには一旦階段を降り再び上がる構造、天井の出っ張りがあるためだ。出っ張りとは旧大幸川の下水管が通っている所。東口地下鉄大曽根駅6番出口や平安通駅も同じように階段を降りてから再び上がって外に出なければならない。(プロジェクト紀行・地下鉄が変えた街より)
 
左:[天王寺]
上から、JR天王寺駅、JR天王寺駅南口、あべのハルカス、阪和商店街
右:[十三]
上から、阪急十三駅、東口・十三駅前通商店街、東京・新宿西口の焼き鳥横丁、そこに似た十三の居酒屋等が建ち並ぶ横丁(H26年の火災発生前)
東京で大曽根に相当する所は新宿だと考えれば、大阪で大曽根に相当する所は天王寺か?十三か?
JR線をメインとした位置で考えると中心駅・大阪駅から大阪環状線を半周した所にあるターミナル駅・天王寺である。天王寺はJR関西本線や阪和線、地下鉄、近鉄線が乗り入れる大阪の南の玄関口(平成5年までは南海線も乗り入れていた)。大曽根は駅付近が東区と北区との境で、天王寺も南口が天王寺区と阿倍野区との境といった共通点がある。天王寺は南口の道路(あびこ筋)を渡ればもう街が「阿倍野」に変わる。そこにある近鉄線の駅も「天王寺」ではなく「大阪阿倍野橋」。尚そこでは高層ビル「あべのハルカス」がアベノミクスと騒がれている平成26年3月にOPEN。大曽根も東口は”一応は”矢田だ。名鉄瀬戸線が地べたを走りJR大曽根駅は南口しかなかった頃に軒を連ねていたバラック造りの飲食店街のことを思えば、飲食店が立ち並ぶ阪和商店街がある所も共通していると言える(但し阪和商店街はアーケードがある)。しかし付近に四天王寺など多くの寺が集中し、動物園や美術館や河底池がある天王寺公園があり、通天閣で知られる下町・新世界まで約1km離れているだけ、また駅に櫛型ホームがあることから、東京では東京駅から山手線を半周した新宿というよりは上野に似たような雰囲気だ(上野も付近に寛永寺をはじめとした多くの寺、そして動物園や美術館、不忍池のある上野公園があり、浅草より地下鉄銀座線で3駅目、東北・常磐・上越方面への在来線の櫛型ホームがある)。またJRの線路は高架ではなく掘割方式で、主要道路(線路北は谷町筋、南はあべの筋)が駅の西で線路を渡り、東へ400m程行った所にも四天王寺方面から来る道路の陸橋があるし、ステーションプラザ下の南口と北口を貫くまっすぐのコンコースがある駅舎であるから、東に大津通りが、西にR19が線路を渡る金山を思い出させ、金山も駅付近が中区と熱田区との境。また天王寺も金山も駅東でJR線が分岐する(但し金山駅は東海道・中央両線ホームの間に名鉄線のホーム2面を挟んでいるが、天王寺駅は近鉄線のホームを挟んでいるなんていうことはない)。天王寺北口の谷町筋から線路方面を見てもやはり大曽根よりは金山である。南口へ行っても街の名は変わらぬ金山もJR・名鉄・地下鉄が一体化され総合駅になる前まで名鉄の駅名は「金山橋」であった。
上段左から、十三の鎮守・神津神社、西口Yの字型の十三交差点(十三ロータリーとも称されスクランブル式交差点)、東口の十三東駅前商店街、西口前の本一商店街、十三交差点から延び夜賑わう栄町商店街、フレンドリー商店街。
下段左から、OZモールではなくてJモール(十三本町商店街)、十三バイパスでJモールともといまロードを分断しているが信号があってちゃんと渡ることができる、もといまロード、武田薬品工業 。
さて、十三の方はどうだろうか。新宿の思い出横丁・焼き鳥横丁や、かつてあった大曽根のバラック造りの飲食店街に似た雰囲気の場所がある。新宿や十三にあるそこは両方ともTV番組・アド街ック天国で放映された。新宿、十三共にかつて「タチション」をする人が多かったため「しょんべん横丁」と呼ばれ、大曽根のそこもタチションがあとをたたなかったそうだ。また、ギター、ハーモニカ、アコーデオンなどを持った流しまで来ていたそうだ。今は大曽根、新宿、十三とも駅前に現代版流し・ストリートミュージシャンがいる。十三はJRや地下鉄は通っていないが梅田から出た阪急線が京都線、宝塚線、神戸線に分岐する交通の要所、十三筋やR176といった主要道路が斜めに走っているためYの字型になっている十三交差点(フレンドリー商店街と十三本一商店街を加えると五叉路になる)、近くに矢田川に相当する淀川が流れ、三菱電機名古屋製作所に相当する広い敷地の武田薬品の工場がある。また、十三も大曽根も新宿も職業安定所(ハローワーク)があるという共通点がある。
というわけで、天王寺より十三の方が大曽根に似ているようだ。大曽根を思い浮かべる街はやはり十三だ。そして十三はアーケード商店街だらけだ(西口に4商店街、東口に2商店街)。西口の十三交差点を渡るとある長いアーケード商店街は、フレンドリー→OZモールではなくJモール→もといまロードの3つの商店街で構成している。大曽根西口の広場を渡った所にある商店街は2つであるため、十三の方が1つ多い。
阪急十三駅の開業(当時は箕面有馬電気鉄道)は明治43年で大曽根駅開業の年(名鉄瀬戸線は明治39年、JRは明治44年)に近い。JR天王寺駅の開業は明治22年、あべの筋の路面を走る阪堺電気軌道天王寺駅前駅の開業は明治43年、近鉄大阪阿倍野橋駅開業は大正12年で当時は「大阪天王寺駅」と称し、その翌年大阪阿部野橋駅に改称。
尚、十三の「しょんべん横丁」は平成26年3月、平成11年11月の新宿のしょんべん横丁(思い出横丁・焼き鳥横丁)での火災をしのぐほどの規模で、十三駅から炎が立ち上がるのがわかるほどの火災が発生。大阪へ私用・出張で行く際にはたいてい寄る十三、復興を望む。平八や松ちゃんという店が好きである。
LINK 新宿西口商店街 十三元今里商店街
 
名古屋の地域で、東京や大阪に対応する地域は下表のとおり(近郊も含む)。―は未発見。
東京で対応する地域 名古屋 大阪で対応する地域 解説
新宿 大曽根 十三 前述のとおり。
銀座 心斎橋 代表中心繁華街。銀ブラ、心ブラなんていう言葉があり、栄ブラはないが(広小路通りの)広ブラという言葉あり。
赤坂・六本木 今池・池下 難波 地下鉄でのアクセスが便利な繁華街。JR難波駅も地下にある。
品川 金山 天王寺 金山と品川は共に空港への玄関口で赤電(名鉄、京急)が走り、天王寺もJRでの関空への玄関口。天王寺は駅コンコースを通ると金山を思い出し、駅東でJRが分岐していることも共通(但し金山は東海道・中央両線の間に名鉄線のホームあり)。南海線での関空へのアクセスだと新今宮に対応か?天王寺は東京では上野(成田空港への玄関口でもある)に対応する。
関内(横浜) 鶴舞 大阪城公園 鶴舞と関内はJR駅の構造が似ている。大阪城公園駅は非高架だが鶴舞と同じ方向分離型でそばは鶴舞公園に相当する大阪城公園。
恵比寿 千種 共にサッポロビール工場跡地を再開発、イオン・浩養園とガーデンプレイスとが対応。
池袋 勝川(春日井) 大曽根、新宿の北に位置する。勝川は城北線が乗り入れ発展しつつある。大阪で池袋に対応する地域は京橋か鶴橋のようだ。
秋葉原 大須 日本橋(にっぽんばし) 大須は減ったが電機店街で有名。また、大須、日本橋共秋葉原にあるようなメイド店が複数ある。
浅草 新世界・千日前 代表する下町、特に千日前のアーケード商店街を通ると大須を思い浮かべる。
渋谷 八田 八田が発展することを期待する。かつて八田はJRと近鉄とホームがずれて造られていたが今は一体化、渋谷も大規模な駅改造工事が行われ地下鉄副都心線の東横線乗り入れ、ずらされていた山手線と埼京線ホームが並ぶように造り替えるよう予定されている。
 
新宿・京王線改札口近くに立ち食いのカレー専門店・C&Cがあり、よく利用していた。久々に味わいたいため缶入りのカレーを購入しようと寄ったがそれは現在は無く、その代わりにレトルトカレーがあったので購入した。しかも「新宿カレー」という名称だ。それを見てもやはり大曽根を思い出し、対抗して「大曽根カレー」なんていうものもあれば、と思った。カレーでなくても、大曽根付近のR19はラーメン店が多いから「大曽根ラーメン」でもよい。東京のラーメン店激戦地・恵比寿ラーメンや荻窪ラーメンなんていうのを見たことがあるのだから。
尚、大曽根にある居酒屋によっては新宿に対抗するような「大曽根ハイボール」というドリンクを置いてある所がある。サントリーオールドか角瓶のジンジャーエール等でわったもので、甘口。間違えてジュースと思い込んで飲まないように。