東海道本線は東京〜神戸のことを指しているが、あまりにも距離が長いためにいくつかに分けることが出来る。
まず会社で分けると、東京〜熱海がJR東日本、熱海〜米原がJR東海、米原〜神戸がJR西日本である。
更にJR東海内は、熱海〜豊橋の静岡口と豊橋〜米原の名古屋口に分けることができる。
このページでは、快速などの優等列車が頻繁に運転される名古屋口について見てみる。
名古屋口の特徴としては、特別快速、新快速、快速、区間快速に代表される優等列車が頻繁に運転されていることである。
終日15〜20分間隔に走っており、大都市圏の私鉄と同じくらいの間隔で走っていて利用しやすい。
その点、東京口の東海道本線は、快速「アクティー」や湘南新宿ライン直通の特別快速が走っているが、1時間に1本ずつである。
またもう1つの大きな特徴として、名古屋だけでなく沿線の中規模都市への通勤・通学が多いということも挙げられる。
東京口では、朝ラッシュ時は上り、夕ラッシュ時は下りへの流れが大きく、一方的な片輸送となっているが、
名古屋口は、新快速停車駅の求心力もあって、
豊橋〜大垣は名古屋を中心としたJR東海在来線のドル箱区間。
名古屋への求心力が強いが、首都圏のように一方的な片輸送ではなく、
新快速の停車駅になっているような中規模都市への求心力もかなりある。
ただし、首都圏や京阪神に比べるとかなり輸送量は少なく、2〜8両の列車が1時間に8本程度。
優等列車が数多く走り、緩急接続も行われていることから各停はさほどの混雑ではないが、優等列車は日中でも満員ということが多い。
在来線の新型車両が投入されると、大抵ここが一番に回ってくる(313系は多少遅れたけど)。
また、ほとんどの区間で名鉄と併走していることから、スピードアップも真っ先にされ、新快速や快速の表定速度は100キロを越える区間もある。
その一方で、大垣〜米原は東海道本線の中で最も輸送量の少ない区間。
伊吹山と養老山脈の間を抜けるために人口が希薄な他、急勾配が続き、御殿場越え、逢坂山越えと並んで東海道本線の難所とされている。
垂井、関ヶ原はそこそこの乗降客はあるが、それより先は閑散線区となる。
今までは日中1時間に米原始発着が1本、関ヶ原始発着が1本だったが、ようやく平成11年12月の改正で、米原まで1時間2本走るようになった。
今回は東海道本線の名古屋口について取り上げてみる。
主に豊橋〜大垣の平成11年12月の改正前後を比較していきたい。この際、このダイヤ改正を「改正」と括弧付きで表記する。
駅データ
豊橋は東海道本線が4〜8番線の3面5線で、飯田線が1・2番線の1面2線、名古屋鉄道名古屋本線が3番線の1面1線で接続している。
この他に東海道新幹線、豊橋鉄道渥美線(新豊橋)、豊橋鉄道東田本線(駅前)と連絡している。
飯田線と名鉄は豊川を渡った所まで線路を共有して、複線として利用している。
また飯田線と名鉄のホームはつながっているが、東海道本線の4番線ともつながっており、このあたり飯田線が私鉄であったことが分かる。
北口には大きな駅ビルも建ち、豊橋鉄道軌道線も駅近くまで延伸し乗り換えやすくなった。
ここの住民は、名古屋まで東海道本線と名鉄の選択乗車が出来るが、
時間的にはほぼ同じ、料金的には名鉄が勝り、列車本数的には
東海道本線が新快速2、快速2、普通2、名鉄が特急4、急行2であまり変わらない
(名鉄の急行は停車駅が多くJRの普通に相当し、特急も速達タイプと標準タイプがある)。
名古屋までは、快速に117系が主に使用されていた時は、スピードの違いから311系新快速より5分遅かった。
そのため、快速と新快速は15分間隔ではなく10・20分間隔と偏っており、所要時間もかかることから快速は敬遠されがちであった。
しかし「改正」で日中の快速が120キロにスピードアップされ、新快速とは同じ速度になったため、13・17分間隔に縮まっている。
西小坂井は2面4線の駅。その両外側には更に側線がある。
かつては外側の線路は使われていなかったが、「改正」で追い越しが行われるようになったために使われるようになった。
「西」とついているが「小坂井」は飯田線に存在し、そちらは明治31年3月13日からすでにあった。
かつては日中1時間に3本の各停が走っていたが、「改正」で30分毎になってしまい不便になった。
愛知御津はJR型配線。上り線が片面ホーム+本屋、下り線が島式ホームになっている。
読み方は「あいちみと」である。当初は御油と呼ばれていたが、同名の宿場町とは4キロ離れていたので町名を取ることになった。
その際、ただの「御津」では「水戸」と混同してしまうので「愛知」が付けられた。
しかし普通なら「三河」を冠するはずである。「美乃坂本」や「中国勝山」と並んで謎な駅名である。
この駅も「改正」によって日中1時間に3本から30分毎に減ってしまった。
三河大塚は相対式ホーム。明らかに他の駅と形式が違い、戦後にできた駅だということが分かる。
線路は築堤上にあるが駅舎は築堤の下にある。そのために駅舎とホームは地下道でつながっている。
もともとは仮停車場として開業された駅であったが、昭和35年3月1日にめでたく駅へと昇格した。
この駅も西小坂井、愛知御津と同様に列車本数が減ってしまった。
三河三谷も相対式ホームだが、上下本線の間に中線が1本ある。
中線はおそらく貨物列車の待避や取り扱い等に作られたものと思われるが、現在、豊橋方は上下本線につながっていない。
相対式ホームなので、この駅も明らかに開通当初の駅でないことが分かる。
「改正」前は日中1時間(20分毎ではなく、だいぶんずれていた)に各停3本と快速2本が停まっていた。
「改正」後は各停が30分毎、快速が1時間に1本(2本に1本の割合で停まる)と減ってしまった。
快速のもう1本の方は、三河三谷ではなく幸田に停まる。
列車本数は幸田と同じだが、「改正」前の幸田は1時間に各停が3本停まっていただけだった。
そのため幸田は快速が停まる分便利になったが、三河三谷は不便になってしまった。
蒲郡は名鉄蒲郡線と連絡している。
島式ホーム2面4線で緩急接続ができるようになっていて、全ての優等列車が停車する。
「改正」前は緩急接続が行われていたが、現在は朝ラッシュ時以外行われなくなった。
名鉄蒲郡線は南側に島式の高架ホームがあり、JRと跨線橋を共有してそのままつながっている。
当然のことながら蒲郡市の中心地で、豊橋〜岡崎の途中駅では圧倒的な乗降人員を誇っている。
また通勤通学以外にも、三河湾国定公園の中心地として観光客も多い。
三河塩津は名鉄蒲郡線(蒲郡競艇場前)と連絡しており、蒲郡に行く場合は選択乗車することもできる。
JRは相対式ホームだが、南側に名鉄蒲郡線の片面ホームがあり、同じ橋上駅舎からホームに降りることになる。
昭和43年10月1日にすでに名鉄の駅はできていたが、昭和63年11月16日にJRの駅が後から開業した。
開通当初は蒲郡〜幸田7.9キロの間に駅はなく、近年になってから2つも駅が作られたことになる。
乗降人員は随分と少ないが、これは名鉄とパイを分け合っていることもあるのだろう。
また乗降人員が少ないので、尾頭橋とこの駅だけは「ムーンライトながら」下り列車は停まらない。
ここも西小坂井〜三河大塚同様に日中1時間に各停が3本であったが、「改正」以後は各停が30分毎に停まるだけになってしまった。
三ヶ根も相対式ホームの駅で、開業当初から橋上駅舎になっている。
この頃から相対式ホームで橋上駅舎というパターンが増えてきたようである。
ここも三河塩津同様、日中は各停30分毎になってしまい不便になった。
幸田は正確にいうとJR型配線であるが、現在使われているのは跨線橋を渡った島式ホームだけである。
「改正」以前は日中1時間に各停3本だったが、「改正」以後は各停が30分毎になった代わりに、
快速の2本に1本(三河三谷に停車しない方)が停車するようになり、本数的には変わっていない。
快速に乗ればスルーで名古屋に行くことができることから、その分便利になったとも言える。
また、その快速も岡崎で始発の各停に接続することから、岡崎から西の各駅に行くこともできるが、
20・10・30分間隔と平均化されていないので(仕方のないことだが)、その点は少々不便を伴う。
岡崎は愛知環状鉄道と接続している。
JRは島式2面4線で、その北に愛知環状鉄道の片面ホーム(0番線)がある。
愛知環状鉄道は駅の西で一度東海道本線と合流し、もう一度上下線の間に分岐して、東海道本線上り線の下をくぐって高蔵寺に向かう。
何故このような平面交差になったかと言えば、愛知環状鉄道はもともと国鉄岡多線(岡崎〜多治見)として建設されたからである。
岡多線は岡崎〜豊田〜瀬戸〜多治見〜勝川〜尾張星の宮〜稲沢・枇杷島という外環ルートの一部で、貨物運輸を行うというものであった。
しかし、貨物列車の衰退と国鉄の財政赤字で豊田市まで開通した時点で凍結され、
その後3セクの愛知環状鉄道が引き継ぎ、多治見から高蔵寺にルート変更し全通させたのである。
当時の東海道本線は長距離列車主体で本数が少なく、それ以上に岡多線の本数が少なかったので問題はなかったのだが、
現在は東海道本線は日中1時間に8本、愛知環状鉄道は20・40分毎の2本まで増えて、平面交差では限界に近づいている。
東海道本線は15分サイクル(正確にいうと30分サイクル)、愛知環状鉄道は20分サイクル(今は20・40分間隔だが)でパターンが合わず、
そのために愛知環状鉄道が完全に20分間隔ができないものと思われる。
東海道本線はここまで、30分サイクルに新快速、快速、各停が各1本だったが、ここから岐阜まで各停がもう1本増える。
豊橋からの各停はここで新快速と接続し、当駅始発の各停は快速に接続して出発するように設定されている。
ここからの新快速と快速は共和に停まるか停まらないかだけなので、おおよそ15分サイクルと言うことができる。
乗降人員はかなり多い方だが、愛知環状鉄道が接続している割に少ない。
これは市街地から離れているためで、市街地にあるのは名鉄名古屋本線の東岡崎である。
そのため、かつては名鉄岡崎市街線が東岡崎と岡崎の間を結んでいたこともある。
西岡崎は相対式ホームで橋上駅舎という、いかにも近年できたような構造になっている。。
実際に三河安城、逢妻とともに昭和63年3月13日にできた新しい駅である。
岡崎〜安城は7.8キロのほぼ中間点に作られ、JRになって近距離輸送に目を向け始めた頃のいい例である。
安城は3面4線という変則ホーム。
島式ホームを相対式ホームで挟んだ構造となっていて、駅舎は南側の駅ビル内にある。
内側の島式ホームが上下本線だが、3面4線のためにホーム上乗り換えによる緩急接続はできない。
そのためか、朝ラッシュ時を除いて緩急接続は行われていない。
しかし朝ラッシュ時であっても、この駅で緩急接続するのは感心しない。
どうして島式ホーム2面4線にしなかったのかが不思議である。
おそらく当初はJR型ホームになっていて、一番北側に片面ホームを安易に引っ付けたからだろう。
JR型ホームから島式2面4線にするためには、駅舎の取り壊し、駅舎周辺の用地買収と資金がかかるからかもしれない。
まあ、推測の域は出ないが…誰かこの構造になった経緯を知っている人があったらご一報を。
この駅は市街地や集落に駅ができたのではなく、田園地帯に駅が作られ、その後に集落ができたようである。
実際に安城市は「日本のデンマーク」と称されるほどの農業先進地帯で、その中心駅として役割を担っている。
三河安城は東海道新幹線と連絡している。
在来線と新幹線の何もない交差点に同時に新駅を設けた稀有な例である(他には厚狭くらいしかない)。
在来線は相対式ホーム、新幹線はいわゆる新幹線型ホームをしていて、
在来線の上に橋上駅舎があり、そこから新幹線ホームへの連絡通路がある。
新幹線と連絡するものの、新幹線は「こだま」しか停まらず乗降客が少ない上に、
在来線の乗降人員もそんなに多くないことから、新快速も快速も停まらずに15分毎の各停だけが停車する。
新幹線をパターンダイヤにし、せめて快速だけでも停めて利便を図るべきで、そうでないなら駅を設置した意味があまりなくなってしまう。
東刈谷は相対式ホームで橋上駅舎という近年のできた駅のタイプである。
とはいうものできたのは昭和41年でそれほど最近でもない。
島式ホーム・橋上駅舎という形の駅が出始めた頃の駅といえる。
刈谷は名鉄三河線と連絡している。
島式ホーム2面4線の橋上駅舎になっていて、南にある島式ホームの三河線への連絡通路が出ている。
日中はここで必ず緩急接続が行われる。
ここの次は名古屋で緩急接続するので、刈谷〜金山・名古屋はどの列車に乗っても一番早く着き、非常に利便性のいい駅である。
「改正」前の下り線は、工事でホームの数が減少している都合上、名古屋で緩急接続せずに岐阜で行っていた。
そのため、尾張一宮や岐阜へ行く場合でも各停に乗ることはできたが、岐阜の手前まで来ると各停に追いついてしまいよく遅延していた。
「改正」により尾張一宮・岐阜へ行くのに各停では途中で抜かされることになったが、無理のないダイヤになった。
刈谷は濃尾平野の中でも、豊田市と並び特に機械工業が発達している。
そのためか乗降人員は、東海道本線(豊橋〜大垣)の中でもトップレベルである。
逢妻は相対式ホーム。
駅の東は掘割状になっていて、駅舎はその掘割の上に設置されており、ホームへは降りるだけで済むという構造になっている。
近年、自由通路の役割も持たせた橋上駅舎が流行っているが、このタイプの駅は必ず昇り降りが必要になるという欠点がある。
その点、逢妻のように掘割状の駅は、駅前と駅舎は昇り降りなしで移動できるという理想的な構造ということができる。
この駅も新しいが、刈谷まで1.9キロ、大府まで3.0キロと少し偏ってできた。
大府は武豊線と接続している。
3面4線の変則ホームで、相対式ホームの真ん中に島式ホームを挟んだ形になっている。そのため、ここではホーム上乗り換えができない。
外側の相対式ホームは東海道本線上下線が、内側の島式ホームは武豊線折り返し列車と同線の名古屋スルー列車が使用する。
その武豊線は、東海道本線上り線と立体交差していて、お互いに競合しないようになっている。
ホーム上乗り換えができないこともあって、ここで緩急接続はされない。
しかし朝ラッシュ時は、武豊線からの区間快速が3番線に、豊橋からの特別快速が4番線に同時進入、
特別快速はそのまま高速で通過し、区間快速は特別快速の出た1分後に出発、
さらに特別快速と刈谷で緩急接続した各停が、区間快速の2分後に4番線に到着するという神業みたいなことが行われる。
「改正」前は武豊線の気動車(キハ28・58・47)が遅いこともあってほとんど名古屋に乗り入れなかったが、
キハ75に全て置き換わり東海道本線の快速などと遜色ない走りになったために、直通列車は大幅に増え、
武豊線内とともに東海道本線の大府〜名古屋も本数が増えて便利になった。
駅の南側には側線が広がっており、駅東で東海道本線上り線と立体交差でつながっていて、武豊線ともつながっている。
なぜ立体交差になっているかまでは定かでないが、大府〜名古屋の貨物別線による複々線化が計画されていたことからその関係と思われる。
しかしその貨物線は結局開通しないまま放棄されてしまい、現在でも高架橋や線路が残っている。
この駅はもともと武豊港から中山道幹線の建設資材を輸送する線路上に設けられた。
当初は東京〜大阪を結ぶ路線は中山道経由で計画されていたのである。
そのため名古屋圏で初めて開通したのは武豊〜名古屋で、その後、木曽川、加納(現:岐阜)と北上していったのである。
しかし幹線計画が中山道から東海道に移されるにあたって、この駅で東から建設されてきた路線と接続し、武豊〜大府は武豊線となった。
つまり、かつての武豊線は東海道本線の一部として建設されていたのである。
それが証拠に、通常下り列車といえば東海道本線から分岐していく方が下り列車、東海道本線との接続駅に向かう列車が上り線だが、
武豊線の場合、大府に向かう方が下り列車、武豊に向かう方が上り列車となっているのである。
共和は名古屋近辺では珍しくJR型配線をしているが、駅舎は橋上となっている。
下り線が島式ホームとなっており、ホーム上乗り換えができるようになっているが、現在この駅で緩急接続、追い越しは行われていない。
「改正」の更に一つ前の大改正までは、この駅で追い越しが行われていた(確か緩急接続はしていなかったと思うが…)。
一度昭和15年11月1日に休止駅となったが、戦争末期の昭和20年7月11日に復活している。
これは廃止、休止の多かった戦争中では異例のことで、おそらく工場の関係で復活したものと思われる(大府には航空機の工場があった)。
大高は島式ホームで、複々線計画のときに一緒に高架化されている。
実際に本線南側にはもう1つ複線があり、北側には別の高架で新幹線が併走している。しかし南側にある複線は現在使われていない。
これは南方貨物線となって、笠寺から八田貨物ヤードへ向かうものであったが、貨物の衰退により工事途中で中断されてしまった。
現在でもこの複線の他に、笠寺から先に高架橋が残っていたり、新幹線が高高架で跨いでいたりといろいろな遺構を見ることができる。
と言うよりも、今すぐにでも線路を敷設して営業できそうな状態で残っている。
ここから名古屋市に入り、各停のみの停車駅でも乗降人員がグンと多くなる。
そのためか朝ラッシュ時の3本の区間快速はこの駅にも停まるように設定されている。
これは「改正」前の朝ラッシュ時は各停主体で、快速も平行ダイヤにして本数を多く走らせていたが、
「改正」後は優等列車主体のダイヤとして、各停がラッシュ時でも15分間隔にしか走らなくなってしまったための措置であろう。
笠寺も安城や大府と同じように3面4線の変則ホーム。
しかし「改正」後はここで追い越しが行われなくなったために、外側の相対式ホームだけが使われている。
橋上駅舎となっており、南に向かって貨物ターミナルを跨ぐ長い跨線橋が架かっていて、アリーナなどに直結している。
南側に貨物ターミナルが広がっており、北側には新幹線が地平まで降りて走っている。
その新幹線は笠寺の先で大きく左カーブ(大阪方面に向かう時)して東海道本線を跨いでいる。
それに沿うように線増の貨物線が作られる予定だった。
つまり笠寺が東海道本線旅客線と貨物線の分岐駅であったのである。
この駅は開通当初は設置されていなかったが、戦時中に工場への通勤者を対象に作られたという前歴を持っている。
現在でも周辺に工場が多く通勤者が多いが、他にも笠寺観音やアリーナへの旅客も多い。
熱田は島式2面4線のホームだが、外側の副本線が使われることはなく、現在は相対ホームのように使われている。
駅の構内には何本もの側線があり、駅の北側には日本車輛の工場も見られ、多くの車両が留まっている。
有名な熱田神宮は駅の南側にあり、そこへの参拝を見込んでこの駅が作られたものと思われる。
明治期の娯楽と言えば寺社への参拝が主な目的だったからである(京成などはその最たる例)。
現在の乗降人員は周囲の駅に比べて多くはなく、優等列車はいっさい停まらないが、
かつては急行も停まっていたし、金山ができる前までは快速も停まっていたこともある。
金山は中央本線、名鉄名古屋本線、同常滑線、名古屋市交名城線、同4号線と連絡している名古屋第2のターミナルである。
北側から中央本線島式の1・2番ホーム、名鉄名古屋本線島式2面4線の1〜4番ホーム、東海道本線島式の3・4番ホームとなっていて、
名鉄を間に挟んだ変わった配線になっている。当然、東海道本線と中央本線の線路はつながっていない。
なぜこのような形になってしまったのかは、当初東海道本線に駅がなかったことによる。
東海道本線の金山駅が開業したのは平成元年7月9日となっているが、昭和37年1月25日には中央本線の金山駅が現在の設置されていた。
この時、名鉄の駅は金山橋という名前で現在の位置から豊橋方へ400メートルほどずれてあった。
昭和42年3月30日には名古屋市交名城線が開通、バラバラにあった駅を現在の位置に統合する計画が浮上した。
そして平成元年に金山総合駅が開業すると同時に、東海道本線の金山駅も設置、
同時にダイヤ改正で新快速が設定され金山にも停まるようになった。
駅は掘割状になっていて、その上を自由通路が貫通している。
JRと名鉄の改札はこの通路を挟んでいて、JRが通路側面名古屋方、名鉄が通路側面豊橋方にある。
地下鉄は通路北端から地下に降りていくエスカレーターがある。
JR・名鉄と地下鉄の乗り換えには一回昇らなくてはならないが、地下鉄のアクセスが良いことからそんなに気にはならない。
現在では名古屋に次ぐ乗降人員となっているが、この多くはそのまま地下鉄で栄方面に向かう。
この駅の設置によって、名古屋・東山線経由で栄方面に行っていたものが名城線経由になって、東山線の混雑緩和にも役立った。
また栄方面でなく名古屋、栄に次ぐターミナルとして当駅下車も多くなっているはずである。
平成11年には隣りに「名古屋ボストン美術館」ができて、新たな乗降客を喚起している。
尾頭橋は平成7年3月16日にできた新しい駅で、近年できた駅らしく島式ホーム1面のシンプルな構造である。
中央本線・名鉄とともに築堤上にあり、改札はホーム下にある。
JR東海では珍しく金山から1キロも離れていないような距離にあるため、乗降人員はそんなに多くない。
そのためか三河塩津とともに「ムーンライトながら」下り列車は停まらない。
しかしこの駅は、JRAのWINS(場外馬券売場)専用駅といってよく、土曜日曜は非常に混む。
名古屋は中央本線、関西本線と接続し、東海道新幹線と連絡、
更に名鉄名古屋本線、近鉄名古屋線、名古屋市交東山線、同桜通線と連絡する。
東海道本線が1〜6番ホームの3面6線と、特急「ひだ」が11番ホームを使用し、
中央本線が7、8、10、11番ホーム(9番ホームはない)の2面4線、
関西本線が11〜13番ホームの2面3線を使用する。
このうち東海道本線は、1、2番ホームが上りのスルー列車ホームで緩急接続をし、
5、6番ホームが下りのスルー列車ホームで緩急接続する。
真ん中の3、4番ホームは主に、当駅折り返しの列車、武豊線直通列車や特急が使用する。
かつてセントラルタワーズが工事中だった際には、1、2番ホームを閉鎖、
現3、4番ホームを上り列車に使用し、下りは緩急接続させずに5番ホームを特急用としていた。
名古屋は言わずと知れた中京圏、東海圏、中部地方などの中心地。人口はおよそ250万人。
しかし、中京の特徴の一つとして鉄道のシェアが22%しかなく、名古屋での延べ乗降客数は、
在来線23万人余り、新幹線10万人余り(在来線への乗り換え客も数に含む)と30万程度しかいない。
これは、首都圏新宿の140万人、京阪神圏大阪の80万人に比べるとかなり少ない。
しかし、JRになってからはスピードアップや運賃の逆転現象などもあり、
名鉄、近鉄の固定客を奪いつつあり、最近のデータは不況にもかかわらず少し多くなっている筈である
(もっとも鉄道のシェア自体は増えていないはずだが…ということは、増加分はほぼ全て私鉄からシフトした人)。
枇杷島では東海交通事業城北線と連絡。
東海道本線、城北線共に島式ホームとなっているが、
城北線のホームは、東海道本線に平行して走る貨物線に作られている。
駅舎は共有で新幹線の高架下にあり、少々目立たない位置にある。
駅舎が共有されたり貨物線上にホームがあるのは、城北線がもともと国鉄時代から計画されていた貨物線で、
民営化後、JR東海が100%出資して東海交通事業が発足、建設されたからである。
JR東海の路線でないのは、採算割れすることが確実で、運賃を高めに設定するため別会社にしたのである。
名鉄の須ヶ口が近いためか、この駅との間に特定運賃が設定されているところもある。
清洲は島式ホームの簡素な駅。
ちょうど新幹線が西へ分かれていくところにある。
出入り口は東のみに付いていて、西側に行くためには駅北側の道路を渡る必要がある。
西に人家はあまり無いが、製薬会社があるため、作れば社員の利用が増えるのではないだろうか?
ちなみに名鉄新清洲とはだいぶん離れている(むしろ大里のほうが近い)ので、住み分けはなされている。
稲沢も島式ホーム。
東側にはかつて、広大な稲沢操車場が広がっていたが、現在は一部がJR貨物の基地になっているが、大半は荒地となっている。
現在、ようやく宅地利用の計画が浮上してきたようだ。
私に言わせれば、愛知万博は自然を壊してあんな辺鄙な地で行うより、ここで行うほうがよっぽど良いと思う。
かつてはホームの一番東京寄りに本屋への跨線橋があり、駅舎は西側にあった。
その後、ホームを東京寄りに長くしてホーム真ん中に跨線橋が来るように改造された。
更に操車場の上を跨ぐ道路が建設されて、そちらに駅本屋が移され東からでも便利になった。
平成11年の改正前は、日中の快速が1時間に1本停車していたが、「改正」でそれがなくなってしまった。
尾張一宮では名鉄名古屋本線、同尾西線(新一宮)と連絡している。
ホームは2面4線の高架で、東側に更に1本線路がある。
この線路は、高架化途中の段階で仮ホームを作って使用されていた。
現在は回送や甲種輸送などで待避に使われている。
人口25万人の一宮市の中心で、JR東海の中間駅の中でもかなり乗降人員が多い。
これは近年、新快速などのスピードアップと名鉄の値上げで、名鉄からシフトしてきたことも大きい。
現在の乗降客数はほぼ同じか、JRが有利な状況に傾きつつある。
名鉄名古屋本線だけと比べれば、JRの有利は確実と言える。
何しろ新快速は、17.1キロ(名古屋から)を10分、表定速度で102.6キロで駆け抜けるのである。
木曽川は島式ホーム。
駅のすぐ南や駅構内で西にカーブしており、そんなにカーブはきつくないが、
新快速や快速は減速せずに進入するため、大きく揺れる地点である。
側線が両側に広がっており、それとの兼ね合いでカントの向上もままならないためか?
その側線はたまに待避などに使われている。
名鉄に新木曽川という急行停車駅があるが、むしろ各停のみ停車の黒田の方が近い。
岐阜では高山本線と連絡、名鉄岐阜市内線(岐阜駅前)と連絡しているが、
駅北東にある名鉄名古屋本線と各務ヶ原線の新岐阜とも近い(歩いて5〜10分程度)。
岐阜よりも新岐阜の方が中心部に近く、一宮と違いこちらは名鉄が優勢である。
とはいえ、名古屋まではJR新快速、快速が17分、450円、15分毎、
名鉄特急が23分、540円、15分毎とJRが有利で、しかも、名鉄の乗降人員は各務ヶ原線との合算である。
この辺は目的地の違いと、座れるかの問題(JR新快速・快速ではまず座れない)になってくるだろう。
3面6線の高架ホームで、南側から1〜6番線となっている。
1、2番線は東海道本線上り線、5、6番線が東海道本線下り線、その間の3、4番線は高山本線となっているが、
各停の大半が岐阜発着になったため、この列車が2番線、5番線と法則なく発車したり、
たまに3・4番線発着の列車も存在するようになり、このあたりを統一する必要性がある。
駅の西側には何本かの待避線があり、東海道本線の折り返し各停や高山本線の気動車が止まっている。
岐阜県の県庁所在地で、市の人口は40万人強。しかし、それにしては乗降人員が少々少ない。
これは岐阜県の鉄道に対する考え方が冷ややかなためで、市内の交通はもっぱら自動車かバスである。
しかも、少ないパイを名鉄とで分け合っているから、ますます乗降人員は少ない。
それでも、駅南部からはJRの方が便利で、南口ロータリーも整備され、名鉄からのシフトもあることから、
徐々にではあるが乗降人員も増えつつあるように思える。
駅北側に関しては大きなロータリーはあるが、安い海外製品に押され気味の繊維街があるだけで、県庁所在地にしては粗末である。
かつてはデパートも何もなかったが、平成12年7月に「アクティブG」なる専門店街が高架下にでき、改札と直結している。
西岐阜は島式ホーム。
国鉄末期に作られた比較的新しい駅で、同時に西側に岐阜貨物ターミナルも移設された。
岐阜県庁などはここが一番近いが、建物が遥か南に小さく見えるほど遠い。
バスの本数も多くなく、完全に周囲の住民専用の駅となっているが、
平成11年のダイヤ改正で新快速・快速が停まることになり便利になった。
穂積も島式ホーム。
その外側には上下線とも1本ずつ側線を持っている。
また、東側で交差する長良川の近くまで、バラストを積み込む貨物線が延びている。
近年は名古屋、岐阜などのベッドタウンとなり、町の人口と共に乗降人員も増加傾向にある。
かつては快速が停まっていたが、今度から新快速も停まることになり、名古屋まで更に便利になった。
大垣は樽見鉄道、近鉄養老線と接続し、
東海道本線美濃赤坂支線、新垂井迂回線も分岐する(正確には3キロ先の南荒尾信号所で)。
切り欠きホームがあるため、3面7線とかなり変則的なホームとなっている。
一番南のホームは駅ビルAPIOと接しているため片面ホームとなっており1番線。
そして島式ホームの2、4番線。
3番線は、4番線の西方を切り欠きホームにし美濃赤坂支線用としている。
そして島式ホームの5、6番線。
7番線は、6番線の東方を切り欠きホームにし樽見鉄道用としている。
2番線が下り本線、4番線が上り本線となっており、
1、5番線は主に折り返し線や分割する時に使用されている。
乗り換える時、ほとんどの場合は階段を使わなくてはならず、かなり不便な駅である。
6、7番線は樽見線用だが、朝の客車列車のみ6番線を使用し、
レールバスの場合は短い7番線を使うことがほとんどなので、
日中は東海道本線も6番線を使用し、ホーム上乗り換え出きるようにすべきである。
なお、近鉄の島式ホームへは1番線から行くことが出来たが、現在は中間改札があり、連絡切符を持っている人しか利用できない。
かつての「大垣夜行」の終点であり、現在は「ムーンライトながら」に変わったが、今でも終点であることに変わりは無い。
これは西側に大垣電車区があるためである。
そもそも大垣に電車区があるのは、蒸気機関車時代の名残である。
大垣を出ると関ヶ原越えで20‰を越える上り坂が連続するため、ここで機関車の増結や給水、補給などを行ったのである。
そのため、今もここで発着となる列車が多く、交通の要衝であることに変わりは無い。
岐阜や名古屋への通勤圏であるため、ベッドタウンとしての機能が大きいが、
大垣市自体も西濃地方1市5郡(大垣市、不破郡、揖斐郡、安八郡、海津郡、養老郡)の中心として、垂井や関ヶ原からの求心力もある。
(かなり詳しく説明してしまった……地元民でスイマセン)
南荒尾信号場は上下本線と垂井支線と美濃赤坂支線が分岐する地点、大垣を起点にして3.1キロに設けられている。
ここで注意したいのが、下り本線は垂井を通っているものではなく、旧新垂井経由の迂回ルートの方である。
そして樽井を通っているのは、垂井支線という支線なのである。上り本線と並行して走っていても支線なのである。
まず順方向の渡り線があり、そして上り線から美濃赤坂に向かう線路が分岐していて、大垣から美濃赤坂に向かう時に渡り線が使われる。
美濃赤坂線は本線から分かれてすぐの所に荒尾駅がある。
そして本線上りは盛土で高くなり、その下を下り線から分かれた下り本線迂回ルートがくぐっていく。
下り線は旧新垂井方面の迂回ルートがかつての本線で、後で垂井支線を敷いたことから、
下り本線迂回ルートが直線、垂井支線がポイントで分かれている形になっている。
そのために下りの普通列車は大きな減速を受けることになる。
特急は下り特急は迂回ルートを使うことになるので、減速せずにそのまま走り去っていく。
なぜこのような迂回ルートがあるのか?そしてなぜ支線が分かれているのか?
迂回ルートは蒸気機関時代の名残である。
大垣駅の項でも説明したように、関ヶ原越えは20パーミルの坂が連続する。
そのため、少しでも急勾配を緩和するために作られた。実際に勾配は10パーミルに抑えられている。
それでも補助の機関車の力を借りなければならないほどであった。
その機関車は関ヶ原駅を過ぎて下り坂に入る直前、走行中に切り離されて大垣駅に戻って行ったらしい。
美濃赤坂支線は石灰の貨物輸送のためである。
大垣市の北西には金生山(きんしょうざん。別名:赤坂山)という山があり、そこから石灰が取れるのである。
その貨物輸送のために美濃赤坂まで作られ、その先は西濃鉄道という貨物専門の路線が運営している。
垂井は変形のJR型配線となっている。
上り線(1番線)が片面ホームで中線(2番線)と下り線(3番線)が島式ホームだが、
大垣方面から中線に行くことはできず、代わりに3番線から大垣方面に行くことができるようになっている。
もちろん中線から大垣方面に行くこともできる。米原方は、通常の中線から上下線に行くことができる構造である。
国鉄時代には、下り列車は新垂井経由の迂回ルートを使っていて、上り列車しか停まらなかったという変わった駅であった。
そのために大垣方面へ行くときはそのまま行けたが、大垣方面から帰ってくる時は新垂井経由で関ヶ原まで行き、
そこから上り列車で垂井に帰ってくるか、垂井と新垂井を結んでいたバスを使わなくてはならなかった。
しかし昭和60年10月31日をもって新垂井は廃止、上下列車ともに垂井経由となった。
ただし今でも下り特急は迂回ルートを使っている。
JR型配線となっているために、貨物列車などの一部は副本線に停車して旅客列車をやり過ごしたりしている。
また「改正」前は普通列車が特急をやり過ごしたりするものもあった。
垂井町は岐阜や名古屋のベットタウンとして発展していて、不破高校(と言ってもかなり歩くが)があることから大垣〜米原の中でも乗降客が多い。
そのためか「改正」前は、朝ラッシュ時に垂井始発の列車も設定されていたくらいである。
関ヶ原は島式2面4線ホーム。駅舎は南にあり南側から1〜4番線となっているが、一般的な2面4線ホームの使われ方はしていない。
まず南荒尾信号場から分かれた新垂井経由の迂回ルートはこの駅で合流する。
迂回ルートは3番線に入ってきて、そのまま直線で米原方面に向かう。
垂井経由の下り本線は1番線に停車し、3番線に合流するようになっているために、速度に制限を受けることになる。
上り線は4番線をそのままスルー。上りは特急も垂井経由で走る。
2番線は大垣方面からの区間列車がこの駅で折り返していく。
「改正」前、大垣〜関ヶ原は快速(と言っても穂積以西各停)が30分毎に走っていたが、
2本に1本は関ヶ原折り返しで、米原まで行くのは1時間に1本であった。
朝夕は関ヶ原〜米原も30分毎が確保されていたが、日中に「青春18切符」で通ろうとするにはかなり厳しい区間であった。
「改正」後は日中でも30分毎が確保され便利になった。
しかしそれは柏原、近江長岡、醒ヶ井、米原の乗降客にとってである。垂井、関ヶ原は本数的には変わらない。
そればかりか「改正」前は快速が大垣以西も走っていたが、「改正」後は日中のほとんどの列車が大垣発着の区間列車になってしまった。
列車は313系300番代の2両編成が使われるので、117系に比べて格段によくなった。
豊橋〜大垣の快速、新快速のほとんどは313系が使われるようになった。
しかも313系0番代(豊橋方)+313系300番代(大垣方)の6両編成に増結されているものもかなりある。
だから大垣で米原方の300番代2両を増結・切り離しして、大垣以西にも直通させるべきである。
乗降人員はあんまり多くはない。
関ヶ原の戦いの舞台にもなったところだが、城跡などがあるわけでもなく観光客はほとんどなく、通勤通学客が大半を占めている。
柏原も島式2面4線ホーム。しかし旅客列車が副本線で待避するということはない。
この駅は「かしわばら」と読む。関西本線柏原駅は「かしわら」、福知山線柏原は「かいばら」である。
関ヶ原越えは有名だが、関ヶ原がサミットではない。大垣からの上り勾配はこの駅まで続いている。
関ヶ原の項でも述べたが、「改正」によって日中1時間の本数が1→2本になり使いやすくなった。しかし乗降人員は多くない。
近江長岡も島式2面4線ホーム。
この駅は最近まで石灰の貨物扱いがあったために、構内には側線が数多くある。
そのうちの1本が伊吹山の方に向かって延びていて、住友セメントまで続いている。
しかし現在ではもう貨物輸送は行われなくなってしまい、広い構内は持て余し気味である。
柏原からは急カーブが続いていて大きく迂回しているが、これは急勾配を避けるためである。
醒ヶ井はJR型配線。
南に駅舎があり南から1〜3番線だが、駅舎に面した1番線は使われず、上下線は島式ホーム2・3番線を使っている。
駅名は、毒気を受けた日本武尊がこの近くの泉によって正気に戻ったことから来ているらしい。
近くには明治11年に作られた養鱒場があり、現在でもまだ活躍している。
米原では北陸本線と接続、東海道新幹線、近江鉄道と連絡する交通の要衝である。
しかし町自体の規模が決して大きいわけではない。乗降人員は思ったほど多くないという人もあるかと思う。
かつては5面9線という大きな駅で、3面5線+駅本屋の下りホームと2面4線の上りホームの間にヤードがあり上下線は随分と離れていた。
しかし貨物列車の衰退とともにヤードと下りホームを撤去、上りホームの南に1つホームを作って3面6線になっている。
1番線は大垣方面から到着する列車、2番線は京都方面へ発車する列車、3・4番線は北陸本線の特急列車、
5番線は長浜方面へ発車する列車、6番線は大垣方面へ発車する列車のホームとなっている。
現在では日中1時間に西日本の新快速が2本、快速が2本、東海の大垣〜米原を走る列車が2本であっても十分である。
西日本の快速は5番線に到着した後、駅東側の折り返し線を使って2番線から発車、
東海の列車は1番線に到着した後、駅西側の折り返し線を使って6番線から発車しているためである。
新快速は長浜〜姫路というように米原をスルーするので特に問題はない。。
そのため、大垣方面からの列車と姫路行き新快速が、姫路方面からの新快速と大垣行きがホーム上で乗り換えることができて便利である。
また「改正」によって米原での接続は良くなったので、「青春18きっぷ」愛用者にとっては便利になった。
荒尾は片面ホーム。南荒尾信号場からたった300メートルのところにある。
東海道本線でも特に乗降人員が少ない。もちろん無人駅である。
美濃赤坂支線は本数が少なく、バスが30分間隔に走っているということもあって乗降客は少ない。。
しかし「改正」によって本数は多少マシになり、車両も313系と良くなった。
美濃赤坂も片面ホームだが、貨物の留置線が多数ある。
これは金生山から石灰石を運び出すための貨物で、西濃鉄道という貨物専用の私鉄が運営している。
貨物列車が衰退した現在でもかなりの列車が運行され、樽見鉄道の第2の出資者である。
美濃赤坂支線は石灰石を運ぶためにに建設されたと言ってもよく、現在でも旅客列車の本数は多くない。
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明21・9・1 |
45940 |
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愛知県豊橋市花田町 |
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昭23・8・1 |
2916 |
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愛知県宝飯郡小坂井町伊奈 |
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明21・9・1 |
4010 |
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愛知県宝飯郡御津町西方 |
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昭28・7・8 |
2944 |
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愛知県蒲郡市大塚町 |
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昭4・7・3 |
5540 |
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愛知県蒲郡市三谷町 |
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明21・9・1 |
13356 |
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愛知県蒲郡市元町 |
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昭63・11・16 |
3518 |
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愛知県蒲郡市竹谷町 |
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昭42・3・20 |
2866 |
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愛知県額田郡幸田町深溝 |
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明41・9・11 |
8006 |
|
愛知県額田郡幸田町芦谷 |
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明21・9・1 |
23798 |
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愛知県岡崎市羽根町 |
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昭63・3・13 |
3344 |
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愛知県岡崎市昭和町 |
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明24・6・16 |
19420 |
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愛知県安城市御幸本町 |
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昭63・3・13 |
8554 |
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愛知県安城市二本木町 |
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昭41・12・24 |
10030 |
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愛知県刈谷市東刈谷町1丁目 |
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明21・9・1 |
39880 |
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愛知県刈谷市桜町1丁目 |
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昭63・3・13 |
3978 |
|
愛知県刈谷市熊野町2丁目 |
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明20・9・10 |
23060 |
|
愛知県大府市中央町3丁目 |
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昭8・12・7 |
15022 |
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愛知県大府市共栄町9丁目 |
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明19・3・1 |
11044 |
|
愛知県名古屋市緑区大高町 |
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昭18・6・1 |
13482 |
|
愛知県名古屋市南区立脇町2丁目 |
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明19・3・1 |
6028 |
|
愛知県名古屋市熱田区森後町2丁目 |
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平1・7・9*@ |
89836 |
|
愛知県名古屋市中区金山1丁目 |
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平7・3・16 |
6060 |
|
愛知県名古屋市中川区尾頭橋3丁目 |
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明19・5・1 |
234536 |
|
愛知県名古屋市中村区名駅1丁目 |
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明39・4・16 |
6432 |
|
愛知県西春日井郡西枇杷島町旭町 |
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昭9・2・24 |
7580 |
|
愛知県稲沢市北市場町 |
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明39・8・5 |
12888 |
|
愛知県稲沢市駅前1丁目 |
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明19・5・1 |
47764 |
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愛知県一宮市栄3丁目 |
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明19・6・1 |
6984 |
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愛知県葉栗郡木曽川町黒田 |
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明20・1・21 |
55256 |
|
岐阜県岐阜市橋本町1丁目 |
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昭61・11・1 |
6622 |
|
岐阜県岐阜市市橋3丁目 |
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明39・8・1 |
17820 |
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岐阜県本巣郡穂積町別府 |
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明17・5・25 |
35006 |
|
岐阜県大垣市高屋町1丁目 |
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明17・5・25 |
6176 |
|
岐阜県不破郡垂井町垂井 |
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明16・5・1 |
2544 |
|
岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原 |
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明33・2・21 |
870 |
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滋賀県坂田郡山東町柏原 |
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明22・7・1 |
1930 |
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滋賀県坂田郡山東町長岡 |
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明33・2・21 |
860 |
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滋賀県坂田郡米原町醒井 |
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明22・7・1 |
8838 |
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滋賀県坂田郡米原町米原 |
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昭5・12・1 |
854 |
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岐阜県大垣市荒尾町 |
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大8・8・1 |
814 |
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岐阜県大垣市赤坂町 |
車両
普通列車用として、313系、311系、213系、211系、117系が使われていて、
特急列車用として、「しらさぎ」用683系、「ムーンライトながら」用373系、「しなの」用383系、「ひだ」用キハ85系が使われている。
313系は国鉄形車両113系を淘汰するために平成11年から導入されている車両である。
東海道本線では主に新快速・快速として使われており、将来を見越して130キロ運転ができるようにしてある。
制御方式はVVVFとなっているが、中央本線では朝夕を中心に、界磁添加励磁制御の211系との併結もなされている。
編成は投入線区に合わせて2・3・4両編成があり、0・300・1000・1500・3000・8000番代が振り分けられていて少々複雑な形式になっている。
今まで新快速には311系を使用してきたが、4両固定編成となっており、4両では輸送力が不足し、8両では輸送力過剰であった。
そのため、4+2両編成の6両編成として運転できるようにして、より柔軟な編成を組むことができるようになった。
座席は3000番代以外は転換クロスシート主体だが、通勤時の混雑を考え、311系に比べて扉間を1列少なくしてある(6→5)のは残念である。
また、1000・1500番代の妻部はロングシートになっていて、やはり通勤列車に近くなった感は否めない。
またTc車については、妻部にトイレが設けられている。
311系にはトイレ横にカード専用電話が付いていたが、携帯電話が普及したためか今回は付けられていない
(その割には車内での携帯はやめるように呼びかけているのもおかしいと思うが)。
そのトイレであるが、311系に比べて大きい車椅子対応にし、折りたたみのベビーベッドも付けられた。
トイレ反対側の座席は固定クロスシートとなっているが、2×1にして、1つなくなった場所は車椅子用になった。
その他、311系は妻部にLEDの車内情報装置が付けられていたが、313系は扉上に付けられていて、ドットも小さくなって見やすくなった。
4両編成は0番代と1000番代である。両者とも、McTMTcの2M2Tとなっており同じように見えるが、
0番代はオール転換クロスシート(ただし扉横と妻部は固定クロスシート)となっているのに対し、
1000番代は扉間は転換クロスシート(扉横は固定クロスシート)、妻部がロングシートとなっており、乗降のしやすいようになっている。
なお1000番代のTc車だけは0番代となっており、クハ312−1〜3となっている。
これはTc車のトイレ反対側の座席が固定クロスシートになっているためで、1000番代の妻部ロングシートという定義に当てはまらないからである。
それにより0番代のTc車は、他の3両がトップナンバーであっても、1000番代・1500番代が先行して6編成が完成したため、7〜になっている。
0番代は、15編成が大垣電車区に配属されていて、東海道本線の優等列車に使われている。
1000番代は、3編成が神領電車区に配属されていて、中央本線に使われるために東海道本線での運用はない。
3両編成は1500番代と8000番代である。両者とも、McMTcの2M1Tとなっているが、
MT比を1:1にするために、M車の片方の台車(Mc車寄り)にしかモーターをつけていないので、正確に言うと1.5:1.5である。
1500番代は1000番代の3両編成バージョンで、Tc車に関しては1000番代と同じように0番代(4〜6)が連結されている。
8500番代は中央本線セントラルライナー用の車両で、外観はシルバーメタリックを地にオレンジ帯となっている。
また、他の転換クロスシート車と違い扉間は全て転換クロスシートとなっており(妻部は固定クロスシート)、背もたれも50ミリ拡大するなど、
特別仕様車にふさわしいものとなっている。機器類に関しては、1000・1500番代と同じである。
また、Mc車とM車は8500番代、Tc車は8000番代となっている。
1500番代は3編成、8000番代は4編成、全てが神領電車区に配置しており、東海道本線で使われることはない。
2両編成は300番代と3000番代である。組成はMcTcの1M1Tとなっている。
300番代は0番代の2両編成バージョンで、オール転換クロスシートでTc車にはトイレもついている。
0番代の増結用という感が強いが、日中は大垣〜米原や美濃赤坂支線の列車に使用されたり、
2〜3編成つけて東海道本線の優等列車として走ることもある。
3000番代だけはセミクロスシートとなっていて、一段格が下がるという感じはする。
使用線区の状況に合わせて発電ブレーキを装備している点が他の番代と大きく違うところである。
300番代は16編成が大垣電車区に配属されており、上記のように使用されている。
3000番代は3001〜3012の12編成が静岡電車区に配属され、身延線や御殿場線に使用されている。
3013〜3028の16編成が神領電車区に配属、関西本線に使用される他、中津川〜塩尻などに使用されているためワンマン対応車である。
しかしわずかではあるが、3000番代も東海道本線を走っている。
0番代
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2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 |
2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 |
2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 |
8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 |
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302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 |
302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 |
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3014 3015 3016 3017 3018 3019 3020 3021 3022 3023 3024 3025 3026 3027 3028 |
3014 3015 3016 3017 3018 3019 3020 3021 3022 3023 3024 3025 3026 3027 3028 |
311系は新快速の運転に伴い、平成元年7月のダイヤ改正から投入された。
基本構造は211系5000番代と同じで、3扉車、界磁添加励磁制御となっているが、
最高速度はJR在来線では初めて120キロに引き上げられ、座席も転換クロスシートに改められた。
2扉の117系も転換クロスシートだったが、座席配置の改善や運転室の縮小により3扉にしても同じ座席数を確保した。
当初は120キロ運転ができる車両はこれしかなかったために、新快速は必ず311系が使用されており
(平成元年ダイヤ改正時は117系なども新快速に使われていた)、間合い使用で快速や各停にもなった。
現在はその任を313系に譲っており、各停として使用されることが多くなったが、
新快速は30分毎、各停は15分毎なので、全ての各停が311系にはならない。
McMTTc(2M2T)の4両編成を組んでおり、大垣寄りのTc車にはトイレとカード専用の公衆電話も設けられた。
また、各車前後の妻部にはLEDによる車内情報装置が設けられている。
4両編成15本で総勢60両あるが、全て大垣電車区配置となっている。
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2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 |
2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 |
2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 |
2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 |
213系は当初、瀬戸大橋を走るマリンライナー用に作られた車両である。
マリンライナー用0番代をベースに、JR東海仕様としたのが213系5000番代である。
213系は211系のシステムを1M方式にして、211系との併結も可能にしている。
211系と違うのは2扉車で転換クロスシートとなっている点である。
ただし、0番代は妻部の座席も転換クロスシートだが、5000番代はロングシートになっていて、扉横には収納式補助椅子が設けられた。
また、0番代は3両編成だが、5000番代はMcTc(1M1T)の2両編成となっている。
平成元年に1次車10編成が神領電車区へ、平成2年に2次車3編成、
平成3年に3次車1編成が大垣電車区に配属されたが、1次車も平成2年に大垣電車区に転配された。
なお、2・3次車は幌枠などのFRP化、車外スピーカーの取り付け位置の変更、列車番号表示の廃止、
貫通引戸窓の拡大などのマイナーチェンジがなされている。
大垣電車区所属になっていたが、2扉2両編成では乗降時間が長引いて各停でも使いにくく、主に関西本線電化区間に使用されていていた。
しかし平成11年12月のダイヤ改正において、関西本線でも313系が大量投入されたことから、朝夕ラッシュ時以外には使われなくなった。
また同時に、大垣電車区から神領電車区に転配された。
関西本線でさえそんな状況から、東海道本線で使われるのはほとんどない。
そうであるなら静岡地区や飯田線(トンネル断面の関係で天竜峡以北?)にまわすことはできないだろうか?
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5002 5003 5004 5005 5006 5007 5008 5009 5010 5011 5012 5013 5014 |
5002 5003 5004 5005 5006 5007 5008 5009 5010 5011 5012 5013 5014 |
211系は民営化後、大量に投入された車両である。
それまでは113系に代表されるような剛体車両が主流だったが、211系はステンレス車両を採用、
制御方法も、抵抗制御の改良型ながら回生ブレーキも使える界磁添加励磁制御が採用された。
車内はロングシート、セミクロスシートの両方があるが、JR東日本の車両は混雑緩和のため、ほとんどロングシートに改造されてしまっている。
JR東海に投入されたものは0番代、5000番代、6000番代を称している。
0番代はMcMTTc(2M2T)の2編成のみが大垣電車区に存在していて、座席はセミクロスシートとなっている。
平成11年12月のダイヤ改正において、120キロ運転や311・313系との併結ができるように改造された。
5000番代はJR東海で普及しているタイプで、3両編成と4両編成がある。
3両編成はMcMTcの2M1T、4両編成はMcMTTcの2M2Tとなっており、3両編成の方がMT比が高いので加速もいい。
平成11年12月のダイヤ改正以前は大垣・神領電車区両方に3・4両編成両方が混在し、運用も混在して使われていた。
しかしダイヤ改正以後、東海道本線は120キロ対応車か高加速車の運転に限定したので、4両編成の方は全て神領電車区に転配された
(そのため、0番代は120キロ対応に改造された)。
現在は大垣電車区に3両編成×20、神領電車区に3両編成×17、4両編成×20、静岡運転所に3両編成×11が在籍している。
このうち東海道本線では、大垣電車区のものは菊川〜米原に使用されていて、そのほとんどは各停として使用される。
静岡運転所の車両は豊橋以東の使用で、神領電車区のものは東海道本線では運転されない。
6000番代はMcTcの1M1Tで、静岡運転所に9編成在籍している。
Mc車は6001〜6009だが、Tc車の方は5000番代である。静岡運転所所属なので運転区間は豊橋以東となっている。
0番代
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2 |
14 |
14 |
8 |
5000番代
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5012 5013 5014 5015 5017 5024 5026 5027 5029 5030 5033 5035 5036 5038 5039 5041 5042 5044 5045 |
5012 5013 5014 5015 5017 5024 5026 5027 5029 5030 5033 5035 5036 5038 5039 5041 5042 5044 5045 |
5012 5013 5014 5015 5017 5024 5026 5027 5029 5030 5033 5035 5036 5038 5039 5041 5042 5044 5045 |
117系は当初、京阪神地区で私鉄に対抗するために作られた列車である。
抵抗制御ではあったが、2扉オール転換クロスシートという国鉄としては思い切った車両であり、それを昭和57年から中京地区にも導入した。
導入当初は6両編成であったが、民営化前後の短編成化の中で、クハ117−100番代とクハ116―200番代という先頭車を新造して、
TcMMTc(2M2T)という4両編成に改組した。
この新造先頭車は下降式1枚窓に変えられたために、編成の中で浮いた存在となっている。
また、6両編成時の先頭車にはトイレが付いていることから、トイレ設備は付いてない。
快速を中心に運用を任され、平成元年に新快速が新設されたときも311系の本数が足りずに新快速として使われた。
その後、新快速が全て311系になってからは快速を中心に運用されていた。
しかし、平成11年12月のダイヤ改正で新快速、快速ともに313・311系化され、
2扉で乗降に時間がかかり、最高速度も110キロであることから、日中の運用からは外れてしまった。
朝夕ラッシュ時は金山〜米原を中心に運転されているが、夕方下りに1本だけ新快速として運用されている。
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23 29 25 24 26 22 27 28 |
45 57 49 47 51 43 53 55 |
45 57 49 47 51 43 53 55 |
203 201 206 205 204 202 207 208 |
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112 105 107 106 111 109 110 104 |
60 44 52 46 56 50 58 54 |
60 44 52 46 56 50 58 54 |
30 22 26 23 28 25 29 27 |
ダイヤ
列車種別は区間快速、快速、新快速、特別快速、特急、ホームライナーがある。
区間快速は豊橋〜岡崎の各駅、安城、刈谷、大府、共和、金山、名古屋、尾張一宮、岐阜〜米原の各駅、
快速は豊橋、蒲郡、岡崎、安城、刈谷、大府、共和、金山、名古屋、尾張一宮、岐阜〜米原の各駅、
新快速は豊橋、蒲郡、岡崎、安城、刈谷、大府、金山、名古屋、尾張一宮、岐阜〜米原の各駅、
特別快速は豊橋、蒲郡、岡崎、安城、刈谷、共和、金山、名古屋、尾張一宮、岐阜〜米原の各駅が基本となっている。
しかし、時間帯によってはいくつか停車駅が増えることがある。
区間快速は朝ラッシュ時下りで大高、笠寺が、
快速は日中を中心に三河三谷か幸田が、朝ラッシュ時と夕ラッシュ時下りで稲沢が、
新快速は夕ラッシュ時を中心に三河三谷か幸田が停車駅になることがある。
また、岐阜〜米原では優等列車が各駅に停車するので、各停は岐阜以西には早朝・深夜の車庫回送以外走らなくなってしまった。
下り始発は、
大垣5:32発米原行き、名古屋5:50発美濃赤坂行き、豊橋4:55発大垣行き「ムーンライトながら」(三河塩津、尾頭橋通過)である。
上り始発は、
岡崎5:57発豊橋行き、名古屋5:31発岡崎行き(逢妻、東刈谷、三河安城、西岡崎通過、土曜・休日運休)、大垣5:11発浜松行き、
関ヶ原5:55発豊橋行き、米原6:14発豊橋行き新快速である。
下りは大垣始発が出た後に、大垣6:02発網干行き(土曜・休日は6:00発姫路行き)、6:32発網干行き(土曜・休日は姫路行き)、
7:02発網干行きと、3本のJR西日本直通列車が出て行く。使用車両はいずれもJR西日本の車両で、米原からは快速となる。
7:02発は「ムーンライトながら」、臨時の「大垣夜行」に接続することになり、7両編成でも輸送力が小さいのが問題である。
しかも「ムーンライトながら」「大垣夜行」と網干行きはホームが違い、座席確保のために我先に狭い階段に殺到する光景が見られる。
上の時刻を見ても分かるように、大垣〜米原は始発から終日30分毎の運転となっている。
名古屋下り始発は美濃赤坂直通となっており、「改正」以後、美濃赤坂支線直通は1日でこれ1本だけである(上りは直通列車がない)。
優等列車は豊橋6:05発名古屋行き区間快速(土曜・休日は6:06発大垣行き)となっており、この列車は名古屋で、
高蔵寺始発岐阜行きの快速にホーム上乗り換えすることができる。
「改正」前は中央本線直通が何本か設定されていたが、「改正」によってこれ1本になってしまった。
朝ラッシュ時は名古屋を境にしてパターンが異なる。
豊橋→名古屋は豊橋6:45発(浜松始発)特別快速から15分サイクルを組んでいる。
15分毎に特別快速が走り、豊橋6:45発は浜松始発、
7:00発は新城始発、7:15発は豊川始発、7:30発は本長篠始発(日曜は豊川始発)、7:45発は新城始発となっている。
飯田線から直通してくる4本は313系2両編成で、豊橋で増結して走らせることになる。
8:00発、8:15発は豊橋始発、8:30発は豊橋始発の新快速で、8:47発特別快速が走って平日朝ラッシュ時の特別快速は終わる。
休日はこの後もしばらく、平日の新快速のスジを特別快速が走る。そして代わりに、平日の快速のスジを新快速が走る。
6:45、7:00、7:15の特快の5分後には区間快速が走る。
始発駅は浜松か豊橋だが、終点はいずれも名古屋である。
この区快は蒲郡で1本あとの特快に接続、岡崎から快速となる。
とりあえず岡崎では、岡崎始発の各停に接続している形態は取っているが、もう1本あとの特快の後に発車するために、11分も待つことになる。
つまり1本前の各停にわずか4分差で追いつかないダイヤを組んでいるのである。
日中は各駅で緩急接続を行っている。
豊橋を毎時00分、30分に快速が出発する。
00分は三河三谷停車、30分は幸田停車という違いが見られる。
停車駅が違うために、豊橋〜岡崎は綺麗な30分間隔にはならないが、停車駅数は同じなので、岡崎以西は30分間隔になる。
また快速は共和に停車するので、名古屋までは新快速よりも2駅多く停車する。そのため所要時間が3分余計にかかる。
名古屋までの所要時間はちょうど50分、表定速度は86.9キロである。
名古屋から先は新快速と停車駅が同じなので、新快速と合わせて15分毎に運転するため、名古屋で4分停車する(新快速は5分)。
名古屋〜岐阜の所要時間は17分、表定速度は107.0キロという驚異の速さである。
名古屋〜大垣の所要時間は29分、表定速度は91.0キロで、岐阜〜大垣は各停になるとは言え速い。
岡崎では岡崎始発の各停に7分で接続、刈谷、名古屋では緩急接続し、岐阜で岐阜終着の各停の2分後に到着する。
快速が豊橋を出た2分後に各停が発車する。これは岡崎で後発の新快速と緩急接続する。
西小坂井〜幸田の利用者は1時間に2本の各停だけになってしまったが、岡崎で新快速に4分で接続することから、
刈谷以遠の各駅に行く時は、新快速に乗ればそのまま各停に乗っていくよりも15分以上速くなる。
岡崎では前述のように新快速と接続するが、新快速が出発した直後には出発せず、7分後に出発する。
これは刈谷でも緩急接続をし、そちらの方が名古屋に近く、なるべく停車時間を短くしたいからなのであろう。
しかし待ち合わせとは言え、10分近く停車するのはひどい。岡崎を挟んでの各停停車駅同士の移動には時間がかかってしまう。
今後は快速・新快速のスピードアップで待ち時間は小さくなるのでいいと思われるが、それまでは蒲郡待避にすべきだったのではないだろうか?
そして刈谷で快速と緩急接続。こちらの待ち時間はそんなに長くなく、快速が出た3分後には出発する。
上り列車もここで緩急接続するが、上りに至っては快速・新快速の出た1分後(実際には1分45秒後だと思われる)には出発する。
そして名古屋まで緩急接続はない。つまり刈谷からは各停に乗っても名古屋まで先行して行くことができる。
刈谷からは名鉄も出ているが、一度知立まで出て、そこで本線に乗り継ぐ(直通列車もある)ので時間がかかる。
JRは、尾張一宮と共に刈谷も1時間に8本全ての列車に乗れるようにして攻勢をかけてきている。
名古屋では前の各停が出た2分後に次の各停が到着する。つまり名古屋では13分も停車していることになる。
しかし乗客のほとんどは名古屋が目的地で、名古屋をスルーする利用者はそんなにいない。各停ならなおさらである。
だから13分停車でも構わないという考え方であろう。
名古屋では新快速と緩急接続をするが、同時に名古屋始発の特急を待ち合わせてから出発する。
各停の到着ホームは5番線、快速・新快速は6番線でホーム上乗り換えできるが、
特急は、13分(一部11分)の特急「しらさぎ」が4番線、43分の特急「ひだ」が11番線で別のホームである。
特に「ひだ」は3つ先のホームなので乗り換えが大変である。
新快速が出た6分後、特急が出た2分後に名古屋を出発する。そしてそのまま岐阜まで先行して走る。
日中の各停は全て岐阜止まりである。その岐阜には5番線に到着、2分後に快速が6番線に到着して接続する。
5番線に到着した後、ほとんどの列車はホーム西にある留置線で折り返さず、5番線から折り返していく。
後述するが、こんなことは関西では行わない。緩急接続はホーム上で行えるのが原則だからである。
乗客の利便性を考えるのであれば、やはり2番線から出発するのが妥当なところだろう。
各停が豊橋を出た15分後に新快速が出発する。
快速と合わせて13・17分毎の運転とずれてしまうが、停車駅が違うことから致し方ないことであろう。
「改正」前は停車駅の違いの他にスピードの違いがあったことから、10・20分毎となっていた。
それよりはずっと平均化されたダイヤになってすっきりした。
岡崎、刈谷で緩急接続をして名古屋に到着する。名古屋到着の時点では、快速と16・14分毎となっている。
所要時間は47分、表定速度は92.4キロとなっている。申し分のないスピードである。
岡崎や刈谷で緩急接続することからも利用率は非常によくて、いつも席は埋まっている。
名古屋では5分停車する。快速は4分停車なので1分長いが、これは名古屋〜大垣のサイクルを完全な15分毎にするためである。
それにしては5分停車は長すぎる。「改正」前は3分15秒だった。
京阪神の新快速は大阪で1分しか停車時間がなく、遅延を回復できないことが多いが、中京では大阪ほど利用者が多くなく、
遅延しても2分程度の停車で回復できると思われる。
名古屋をスルーする乗客は多くないとは言え、金山〜尾張一宮・岐阜以西の各駅の利用者はかなりある。
その利用者にとって5分の停車時間は痛い。快速を2分、新快速を3分にすべきではないだろうか。
名古屋からは新快速と快速で完全な15分サイクルを組んで走るために分かりやすい。
快速と同じように、岐阜では岐阜終着の各停に接続し、岐阜からは各駅に停車して大垣に到着する。
その新快速は大垣で、大垣〜米原の区間列車に7分で接続する。
新快速の到着ホームは1番線ということが多く、区間列車は3番ホームなので跨線橋を使わなくてはならない。
2・4番線ならばホーム上乗り換えができるが、2番線は下り本線、4番線は上り本線で、貨物列車の通過などもあるので塞ぐことはできない。
ホーム上乗り換えができないからなのか、7分という接続時間が取られているのだろう。
また、この7分の待ち時間の間に特急「しらさぎ」が抜かしていく(大垣は停車)。
土日ダイヤでは新快速(朝には特快も)が直通運転していることもあるが、平日の日中は皆無である。
その直通列車も30分サイクルにするために大垣で7分停車して出発する措置が取られている。
そんなことするくらいなら全ての列車を直通させて、大垣での停車時間も抑えるべきであった。
輸送量が大きく違ってくるが、分割併合を行えばこれをクリアできる。
特急の待ち合わせ時間がなくなるが、それは新快速の直後に走らせるのではなく、快速の直後に走らせればクリアできる。
区間列車は下りは33分、上りは30分で走る。やはり関ヶ原での勾配の影響が出ている。
下りの表定速度は65.3キロ、上りは71.8キロと各停にしては立派だが、それでも95キロくらいに抑えて走っている。
これはカーブの影響もあるが、線路の規格が少し悪いということもある。
米原では、8分で新快速(京都方面)に接続している。
名古屋から普通列車だけを乗り継いで京都・大阪に行く場合、京都は2時間7分(表定速度69.8キロ)、
大阪は2時間35分(表定速度73.7キロ)となり、「青春18きっぷ」愛好者には好評を得ているらしい。
新快速が岡崎を出た7分後に、岡崎始発の各停が出る。これは豊橋始発の各停と完全な15分毎となって岐阜まで走る。
刈谷で新快速、名古屋で快速と緩急接続する。
名古屋での13分待ちは変わらないが、こちらは特急が出ていない。
したがって快速が出た後、無意味に6分待つことになるが、名古屋〜大垣を15分サイクルにするためには致し方ないことであろう。
岐阜に到着した後、2分後に大垣行きの新快速と接続する。
特急は名古屋13分発が「しらさぎ」、43分発が「ひだ」になっている。
「しらさぎ」は東海道本線上下ホームの間にある4番線からの発車、「ひだ」は中央本線ホームの11番線から発車する。
「ひだ」は8〜15時までは毎時間発車するが、「しらさぎ」は9時台の後、10〜20時までは2時間おきに走る。
また、10・16・18・20時台は11分に発車するなど不確定である。
10時台はまだ日中のサイクルになっていないからだが、夕方からの3本は2分早くして岐阜で新快速と待ち合わせをしている。
「ひだ」についても尾張一宮に停車しないものがあり(むしろそちらの列車の方が多くなった)、それは岐阜に0分到着となっている。
名古屋を新快速の4分後に出発しているが、岐阜到着の時点で6分に広がっている。
これは、「ひだ」は11番線から出発してポイントを何回も渡るからゆっくり進むためで、走行性能は新快速と遜色ない。
そして尾張一宮に停車しない「ひだ」は新快速と同じ所要時間で走っている。
岐阜には高山本線ホームの3・4番線に到着し、2〜4分ほど停車してスイッチバックで出発していく。
「しらさぎ」は国鉄時代の485系を使っているからで、こちらは単にスピードを出せないためである。
岐阜〜大垣は新快速が各停になるために、大垣到着時点で3分差まで詰めることになる。
大垣〜米原の区間列車とは、大垣を4分先行して出発するが、米原到着の時点で10分にしか広がっていない。
これは、特急が新垂井経由の下り本線迂回ルートを使っているからで、蒸気機関車時代はこちらの方が遠回りでも早かったが、
電車ではほとんど差が付かなくなったためである。また、線路の規格や線形が悪いので高速で走れないということもある。
米原では北陸本線ホームに到着して、スイッチバックして金沢方面に向かっていく。
上り列車については、大垣〜豊橋の新快速・快速と各停のパターンは下りと同じである。
待ち時間や所要時間などの細かいところは違ってくるが、緩急接続する駅や運転間隔も同じである。
米原〜大垣の区間列車は下りと違い、大垣で快速に5分で接続している。
そして岐阜では、新快速・快速が出発してから6分後に出発している。
これは各停が下り副本線の5番線から発車するためで、階段を使っての乗り換えになるためであろう。
更に特急については快速の直後に走る。岐阜では上記の6分の待ち時間の間に特急が出発する。
特急の名古屋着はだいたい7分前後と37分前後で、1〜2分ずれていたりすることが多い。
また、下りのように「ひだ」は43分、「しらさぎ」は13分と明確な区分はなく、
「しらさぎ」は7分だが、「ひだ」は37分を中心に7分(前後)に到着するものもある(当然「しらさぎ」の走らない時間)。
桃色は特急、赤色は新快速、青色は快速、黒色は各停
数字は毎時の発時刻または着時刻
列車によっては1分程度遅くなるものもある
特急「ワイドビューひだ」で尾張一宮に停車しないものは岐阜毎時0分着
夕ラッシュ時についても日中のダイヤパターンを踏襲している。正しいかの点で違ってくる。
まず駅での停車時間が少し長くなっているので(と言っても15秒〜30秒程度)、日中の発車時間と差ができる。
また快速の運転がなくなり、快速のスジに新快速が、新快速のスジに特別快速が走る。
そのため、日中よりも2分程度所要時間が長くなっても、ほぼ同じダイヤパターンを維持できるのである。
なお快速のスジに新快速が走るが、三河三谷、幸田にも停車する。つまり共和に停まらなくなっただけである。
そして特別快速は、岐阜で特急に抜かされるものがある。
日中は新快速が特急に4分先行して名古屋を出発していたので、大垣までずっと先行することができたが、
夕方は特別快速の名古屋発が2分遅くなっているので、特急との差が2分しかないためである。
特別快速は岐阜から各駅に停車するので、大垣の手前で特急に追いつかれてしまうのである。
さらに大垣〜米原の区間列車はなくなり、新快速・特別快速がそのまま乗り入れる(夕方よりも前、大垣15:45発のものから)。
大垣では時間調整のために、日中の接続時間と同じ時間だけ停車する。
ただしお分かりかと思うが、岐阜で特急に抜かされるものはほとんど待ち時間なしで出発することになる。
また何本かの列車は大垣で切り離しを行うために、毎時15・45分発というのを崩すものある。
大府〜名古屋では武豊線からの区間快速が直通してくる。
これは朝ラッシュ時と同じように、特快が大府を通過した直後に出発するものである。
以上のような相違はあるが、基本的には日中と変わらない。
夕ラッシュ時についても日中のダイヤパターンを踏襲している。正しいかの点で違ってくる。
まず駅での停車時間が少し長くなっているので(と言っても15秒〜30秒程度)、日中の発車時間と差ができる。
また快速の運転がなくなり、快速のスジに新快速が、新快速のスジに特別快速が走る。
そのため、日中よりも2分程度所要時間が長くなっても、ほぼ同じダイヤパターンを維持できるのである。
なお快速のスジに新快速が走るが、三河三谷、幸田にも停車する。つまり共和に停まらなくなっただけである。
そして特別快速は、岐阜で特急に抜かされるものがある。
日中は新快速が特急に4分先行して名古屋を出発していたので、大垣までずっと先行することができたが、
夕方は特別快速の名古屋発が2分遅くなっているので、特急との差が2分しかないためである。
特別快速は岐阜から各駅に停車するので、大垣の手前で特急に追いつかれてしまうのである。
さらに大垣〜米原の区間列車はなくなり、新快速・特別快速がそのまま乗り入れる(夕方よりも前、大垣15:45発のものから)。
大垣では時間調整のために、日中の接続時間と同じ時間だけ停車する。
ただしお分かりかと思うが、岐阜で特急に抜かされるものはほとんど待ち時間なしで出発することになる。
また何本かの列車は大垣で切り離しを行うために、毎時15・45分発というのを崩すものある。
大府〜名古屋では武豊線からの区間快速が直通してくる。
これは朝ラッシュ時と同じように、特快が大府を通過した直後に出発するものである。
以上のような相違はあるが、基本的には日中と変わらない。
夕ラッシュ時についても日中のダイヤパターンを踏襲している。正しいかの点で違ってくる。
まず駅での停車時間が少し長くなっているので(と言っても15秒〜30秒程度)、日中の発車時間と差ができる。
また快速の運転がなくなり、快速のスジに新快速が、新快速のスジに特別快速が走る。
そのため、日中よりも2分程度所要時間が長くなっても、ほぼ同じダイヤパターンを維持できるのである。
なお快速のスジに新快速が走るが、三河三谷、幸田にも停車する。つまり共和に停まらなくなっただけである。
そして特別快速は、岐阜で特急に抜かされるものがある。
日中は新快速が特急に4分先行して名古屋を出発していたので、大垣までずっと先行することができたが、
夕方は特別快速の名古屋発が2分遅くなっているので、特急との差が2分しかないためである。
特別快速は岐阜から各駅に停車するので、大垣の手前で特急に追いつかれてしまうのである。
さらに大垣〜米原の区間列車はなくなり、新快速・特別快速がそのまま乗り入れる(夕方よりも前、大垣15:45発のものから)。
大垣では時間調整のために、日中の接続時間と同じ時間だけ停車する。
ただしお分かりかと思うが、岐阜で特急に抜かされるものはほとんど待ち時間なしで出発することになる。
また何本かの列車は大垣で切り離しを行うために、毎時15・45分発というのを崩すものある。
大府〜名古屋では武豊線からの区間快速が直通してくる。
これは朝ラッシュ時と同じように、特快が大府を通過した直後に出発するものである。
以上のような相違はあるが、基本的には日中と変わらない。
下り最終は、
大垣23:22発米原行き(大垣で金山22:40始発、名古屋22:48発快速と3分で接続)、
豊橋21:52発関ヶ原行き(名古屋23:18発、大垣23:56発)、
豊橋22:42発(名古屋0:03発)大垣行き、
浜松23:07発(豊橋23:07発)岡崎行き、
上り最終は、
大垣22:35発(名古屋23:15発)豊橋行き区間快速、
岐阜22:51発(名古屋23:22発)蒲郡行き(岐阜で前述の大垣始発と4分で接続)
大垣23:05発(名古屋23:47発)豊橋行き(岐阜で「ムーンライトながら」に抜かされる)、
大垣23:09発(名古屋23:41発)東京行き「ムーンライトながら」(停車駅は新快速の停車駅+穂積)、
米原23:02発(姫路19:22始発快速)大垣行き、
大垣23:37発名古屋行き(大垣で前述の姫路始発と2分で接続)、
名古屋0:17発大府行き(前述の大垣始発と1分で接続)となっている。
将来
車両面においては、313系の投入によって名古屋口から113系が淘汰された。
まだ朝夕に117系を使う列車などが残っているが、金山発着などの区間列車の運用がほとんどである。
313系を使用している新快速や快速は、130キロ運転が行われる予定だったが、名鉄よりも優位に立っているためか立ち消えとなってしまった。
130キロ運転により名古屋〜岐阜は16分程度に短縮され、豊橋〜名古屋についても2分以上の時間短縮ができたのであろうか、
踏切の検知機やATSなどの信号装置を130キロ対応に交換しなくてはならず、それらへの投資が馬鹿にならないのである。
またJR東海は、東海道新幹線の運輸収入が全運輸収入の85%を占めていると言われ、
主に新幹線の設備投資を行っているので、在来線に力が入らないというのも本音ではないだろうか。
また現在、旧笹島貨物駅から名古屋貨物ターミナルを経由して西名古屋港まで走っている西名古屋港線がある。
これは貨物専用路線であるが、旅客化が決定して現在その工事中である。
路線は西名古屋港より先、金城埠頭まで延ばす予定である。
更には常滑沖に建設される中部国際空港まで伸ばす計画があるらしいが、当然のことながら名鉄はいい顔をしておらずどうなるか分からない。
西名古屋港線は名古屋駅で東海道本線の旅客線とはつながっておらず、稲沢貨物線にスルーしている。
そのため、中部国際空港まで開通したときは稲沢線の旅客化が検討されるものと思われる。
その時は米原・大垣・岐阜から西名古屋港線経由で空港に行く列車が増発されるだろう。
成田空港や関空には特急が走っているが、岐阜からでは短距離で、中京人はお金にシビアな面もあるために快速主体となるだろう。
車との競争もあることから料金は抑えたいところである。
おそらく、既存の快速・新快速の間をぬって、15分毎に快速が運転されるのだろう。
また稲沢貨物線は枇杷島で東海交通事業とつながっていることから、これに乗り入れて勝川から更に中央本線に乗り入れることもできる。
当初は武豊線から常滑沖まで延伸する予定だったが、名鉄との平行路線を作るよりはこちらの方が遥かに利便が良さそうである。
改善点
各駅で緩急接続が行われていて、列車の最高速度も120キロと文句はない。
なかなか堅実なダイヤを組んでいるが、それでもまだ改善点は多い。
まず、岡崎と岐阜での緩急接続である。
岡崎では各停の2本に1本が、岐阜では全てが折り返し運転を行っている。
しかし、折り返す時に折り返し線を使わずに到着したホームから折り返し出発している。
関西圏ではこのようなことはサービスダウンとしてまず行われない。
どういうことかと言うと、岐阜駅を具体例として挙げてみるとよく分かる。
岐阜駅では1番線が上り本線、6番線が下り本線となっていて、岐阜始発の各停は2・4・5番線でランダムで折り返している。
2番線は正確に言うと折り返しではなく、岐阜貨物ターミナルの中線を折り返し線と使っていたり、大垣電車区から出庫してきたものである。
問題は5番線で折り返す時である。
名古屋方面から来た各停から快速・新快速に乗り換えるには、ホーム上乗り換えとなるから便利である。
しかし、快速・新快速に乗って大垣方面からやってきた人が、岐阜以東の各停停車駅に行こうとする時は大変である。
1番線から5番線に移動しなくてはならず、かなり面倒である。
4番線折り返しに至っては、上り・下り両方とも階段を使っての移動となる。
また、岐阜駅から乗る人もどのホームから発車するのか分かりにくい。
そのような面倒をなくすためにも、到着は5番線、出発は2番線に固定するべきである。
ホームの西側には折り返し線が2本ある。高山本線を留置するために作られたものだが、架線も引いてありすぐにでも使える。
あまり長くはないが、日中の各停は3〜4両編成なので問題はないはずである。
もし高山本線が両方とも塞ぐようなことがあるなら、西岐阜まで運転を伸ばして折り返すという手もある。
現在、上りは快速・新快速が到着してから各停が発車するまで6分の間隔、
下りは各停が到着してから快速・新快速が到着するまで2分の間隔である。
しかし下りの各停は、名古屋で快速・新快速が出てから6分後に出発しているので、これを2分後に出発させれば、
岐阜で、各停が着いてから快速・新快速が到着する間隔は6分になる。そうすれば西岐阜まで行っても余裕ができる。
西岐阜の乗降人員はそんなに多くはないが、県庁や文教施設があるので、名古屋から1時間に8本全ての列車が先行して西岐阜に行けば、
非常に便利になって乗降人員は増えると思われる。
列車本数を増やしたから乗降人員が増えたのか、乗降人員が増えたから列車本数を増やすのか、
それは鶏と卵の問題でどちらがいいとも言えないが、やはり本数あってこそ公共交通機関といえる。
岡崎についても同じことが言え、折り返し線を設けて、到着は1番線、発車は3・4番線とすべきである。
「改正」によって大垣〜米原は全日30分毎の運転になった。
しかし垂井、関ヶ原両町は、改正になっていないと反発を招いた。
以前は快速が直接大垣以西も走っていたが、「改正」によって日中の直通列車はほとんどなくなり、以前の5分の1になってしまったからである。
しかも大垣では快速・新快速が1番線に停まり、米原からの列車は3番線に到着することも多く、その場合は跨線橋を使う必要がある。
やはり跨線橋を使っての乗り換えは問題がある。
跨線橋を使わないようホーム上乗り換えにするには、大垣駅を改造する必要がある。
しかし、もっと簡単な方法がある。
現在、快速・新快速は313系を中心とした4両、または2+4の6両編成で運行されていて、大垣〜米原は313系2両編成で運行されている。
快速・新快速はまだ4両編成が走っているが、これでは輸送力不足である。全て6両編成にすべきである。
全て2+4の6両編成として、大垣で切り離し、2両編成を米原まで走らせるべきである。
大垣での停車時間は2〜3分必要になり、「改正」以前の直通よりも長くなってしまうが、その時の直通車両は117系で、
最高速度が110キロで今より遅く、2扉なのでよく遅延していた。だから総合的に見れば以前より早くなるはずである。
輸送力に応じて分割・併合が行えるよう、2両編成を登場させたのだから、やはりこれが本来の仕方だろう。
余談だが、垂井、関ヶ原両町の反発を招いたと言ったが、実は大垣はもっと大きな反発を招いた。
それは「改正」以前は1時間に8本の運転で、新快速による名古屋までの所要時間が28分だったのに対し、
各停を岐阜で折り返し、岐阜以西は快速・新快速を各駅に停めるようにしたため、1時間に4本に減便、所要時間も30分に延びたからである。
岐阜まで行くのには確かに不便になった。しかし名古屋から帰る時はいっこうに不便になっていない。
以前の下り列車は、各停は岐阜で快速・新快速に抜かされていたため、実質、大垣まで先行するものは1時間に4本だったのである。
上り列車は名古屋まで先行していたために各停に乗ってもよかったが、
大垣を新快速の2分後に発車、名古屋に1本後の快速の2分前に到着するダイヤを組んでいた。
だから、新快速にギリギリ乗り遅れた人しか利用しない各停だったとも言える。
しかも各停が少しでも遅延すると、名古屋手前で後ろの快速がノロノロ運転になってしまうこともあった。
JR東海は輸送力に合わせてと言っているが、それは正しいのではないかと思う。
しかし4両編成では大垣でほぼ席が埋まっていることもあるので、全てを6両編成にする必要はあると思う。
さて、上記のように2+4の6両編成で走らせると、豊橋側でも大きなメリットがあると思われる。
やはり付属の2両を豊橋で飯田線に直通させるのである。現在でも朝夕に行っているが、どうせなら全日行ってほしいものである。
名鉄も豊川稲荷から新名古屋への直通列車があるが、30分毎に急行が走っているだけである。
JRは豊橋経由で遠くなるが、名鉄の特急とタイで走ることができる。
名鉄の急行は停車駅が多いから、豊橋経由でも十分に勝つことができる、、、時間的には。
ただし運賃面では、飯田線が地方交通線ということもあって勝てない。
豊川〜金山・名古屋に特定運賃を設定する必要がある。
実は豊橋〜金山・名古屋についても特定運賃は設定されていないのである。
飯田線の発着駅は新城が妥当なところである。
豊川では短すぎて効果が出ないし、本長篠にすると遠すぎて大量の増備が必要になる(もっとも119系もそろそろ換え時だが)。
とりあえずは快速か新快速のどちらかが乗り入れて、30分毎に乗り入れるのが妥当だろう。必要になれば15分毎すればいい。
更には豊橋から東、浜松まで乗り入れるべきである。
豊橋を境に東が20分サイクル、西が30分サイクル(15分と考えてもらってもいい)になっていて、うまく噛み合っていない。
そこで浜松〜豊橋も15分サイクルに変更して、快速か新快速のどちらかを乗り入れさせる。
飯田線乗り入れのために切り離して、余った4両編成を直通させるのがいいかもしれない。
豊橋から新城も浜松もだいたい30分強で行けて、豊橋に戻ってきた時に同じ編成同士で併結もできる。
そうすると30分に1本が名古屋から直通になる。静岡側からも30分に1本乗り入れさせて、15分毎の運転にするべきである。
静岡地区は10分毎に走っており、うち何本かが島田折り返しとなっている。浜松には6本のうちの4本くらいが来る。
だから理論上は10・20分毎に運転するなどして30分に1本を豊橋直通にすることはできる。
もっとも静岡地区でもそろそろ、15分サイクルによる快速運転が必要な時期に来ていると思うが。
今後は中部国際空港も建設され、名鉄常滑線を延長して乗り入れるが、JRが乗り入れる予定は今のところない。
しかし前述したように、西名古屋港線が旅客化されるにあたって、それが国際空港まで乗り入れる可能性も大きい。
その時のダイヤがどうなるかである。
まず金城埠頭まで建設した時点で、朝夕7.5分毎、日中15分毎の運転になるとされている。
臨港地帯を走るためにこの程度でも妥当な線であろう。
東海道本線も名古屋〜大垣で15分サイクルを組んでいるのでダイヤは組みやすい。
また名古屋〜尾張一宮南部では稲沢貨物線が走っているので、そちらに走らせれば既存の列車を妨害するようなことはないし、
直接西名古屋港線のホームにスルーすることができる。