飯田線
(豊橋〜豊川〜中部天竜〜天竜峡〜飯田〜辰野〜岡谷)


119系2両編成(飯田駅にて) 

  

概要

飯田線は豊橋〜辰野の全長195.8キロの長大地方交通線である。

全線電化されており、豊橋〜豊川の8.7キロは複線、豊川以北の187.1キロは単線となっているが、

複線部分である豊橋〜(旧)平井信号所は名鉄と単線を共有しているという形を取っている。

全長195.8キロの中に中間駅は94駅、平均駅間距離は2.1キロと通勤線区並みである。

駅間最長が水窪〜大嵐の6.5キロであることを考えると、その他の区間がいかに短いかが分かる。

実際一番短い駅間は、山間部にあるにも関わらず出馬〜上市場のわずか600メートルとなっている。

こんな山間部を走る路線にも関わらず駅間が短いのは、飯田線は豊川鉄道(豊橋〜大海)、鳳来寺鉄道(大海〜三河川合)、

三信鉄道(三河川合〜天竜峡)、伊那電気鉄道(天竜峡〜辰野)という4つの私鉄を、昭和18年に国が買収したからである。

この時期には戦争に備えて、


塩嶺トンネルが開通していなかった時代は岡谷〜辰野〜塩尻が中央本線であり、「大八回り」と称されていた。

これは伊那谷出身の伊藤大八代議士が、中央本線のルートを少しでも自分の出身に近づけようとしたことに由来している。

これが嘘か真かは分からないが、明治時代の技術力では塩嶺峠の下を長大トンネルを掘ることができなかったというのが事実とされている。

トンネルができてからは岡谷〜辰野〜塩尻が支線扱いとなってしまった。

現在、岡谷〜辰野については飯田線のほとんどの列車が乗り入れていて、事実上は飯田線の延長である。

なお辰野〜塩尻については、「ミニエコー」という1両編成の列車が走っている。


国鉄時代は、天竜二俣〜中部天竜に佐久間線、中津川〜飯田に中津川線の建設が着工されており、乗り換え駅になる予定だった。

しかし、結局そのどちらも建設途中で工事が凍結されており、一部に遺構が残っているものの、開通する機会は永遠に失われた。

また豊川〜西豊川を走っていたの西豊川支線も昭和31年に廃止されているが、現在も日本車輌製造の専用線として残っている。

また本長篠〜三河田口まで田口鉄道という名鉄系の鉄道が走っていたが、昭和43年に廃止(昭和40年から休止状態)されており、

この長い飯田線にあって、途中駅で他路線と接続・連絡しているのは豊川だけで、以北は辰野まで全く接続・連絡していない。


これだけ長い路線だと様々な風景が広がってくるが、大きく分けると4つに分けることができる。

豊橋〜本長篠は豊川に沿って平野部を走っており、豊橋市、豊川市、新城市もあることから、線内で一番旅客人数が多い区間である。

特に豊橋〜豊川はローカル線とは思えないほどの利用者と列車本数がある。

本長篠〜中部天竜は山間を走ることになるが、谷間の集落ごとに駅があり、まだ何とか利用者のいる区間と言うことができる。

中部天竜〜天竜峡は完全な山間部を走っており、橋梁やトンネルの連続で、乗ってみると「よくぞこんな所に鉄道を敷設した」と感心させられる。

しかし、それが故に沿線人口が極端に少なく、列車本数も一番少ない区間である。

天竜峡〜辰野は天竜川に沿って伊那谷と呼ばれる盆地を走っており、飯田市、駒ヶ根市、伊那市などがあって利用者が多そうに感じる。

しかし中央自動車道が完全に併走していて、東京、名古屋、長野・松本の各方面に高速バスが走っていることから、苦戦している地域である。

この中部と北部

  

歴史

ここでは飯田線の歴史を書いていくが、私の文章よりも、平成15年秋に豊川市の「桜ヶ丘ミュージアム」で開催された、

豊川市制施行60周年記念事業「飯田線展」の図録に詳しい年表が書かれているので、そちらを参考にして頂きたい。

このページの文章もそれに基づいて以下に書いていく。


まず最初に開通させたのが豊川鉄道で、明治30年7月15日に豊橋〜豊川8.7キロを開通させている。

そしてわずか7日後の7月22日には1駅先の三河一宮まで、明治31年4月25日には新城まで、

その3年後の明治33年9月23日には、新城から中間駅なしで大海まで開通させ、豊川鉄道は全通している。

一方北の方からは、伊那電車軌道が明治42年に辰野西町(辰野駅の西350メートル)〜松島(現:伊那松島)を開通した。

これは社名通り軌道を含んでおり、ルートも現在とはだいぶん違う。

当初は辰野西町を出ると三州街道を併用軌道で走り、宮木、新町の集落を抜ける。

沢上からは専用軌道となり、河岸段丘をアップダウンを繰り返しながら伊那松島へ向かう。 

  

駅データ

豊橋では東海道本線、名鉄名古屋本線と接続し、東海道新幹線、豊橋鉄道渥美線(新豊橋)、豊橋鉄道東田本線(駅前)と連絡する。
飯田線、東海道本線、名鉄名古屋本線で8線を有していて、
飯田線が1・2番線の1面2線、名古屋鉄道名古屋本線が3番線の1面1線、東海道本線が4〜8番線の3面5線となっている。
飯田線と名鉄のホームは東海道本線ホームの北西に頭端式で共有しており、このことからも飯田線が私鉄であったことが分かる。
ホームの他にも、豊橋から(旧)平井信号所までは飯田線と名鉄が単線2本を共有するという形を取っている。
これは名鉄の前身である愛知電気鉄道の豊橋乗り入れにあたり、飯田線の前身である豊川鉄道に対して、
愛電が豊川鉄道の単線を借用する代わりに、愛電が新設する単線を豊川鉄道に使ってもらい、
お互いに複線の利益を享受しようではないか、という提案によるものである。
これが実現したのが昭和2年で、以来この関係が続いている。
しかし日中の飯田線は1時間に4本の運転で2線使用、名鉄は1時間に6本の運転で1線使用となっており、名鉄にとっては頭の痛い問題である。
もう少し弾力的にホームを使用してもいいと思われるが、豊橋〜名古屋は東海道本線と名鉄の熾烈な争いがあることから、
名鉄の1・2番線の使用をJR東海が許可するとはとても思えない。
2・3番線で島式ホームを形成しており、2番線発着の飯田線と名鉄はホーム上乗り換えができる。
当然のことながら中間改札はない。3番線の一番東側には名鉄の券売機もあり、乗り換えは便利である。
飯田線ホームのさらに北西には豊橋運輸区があり、飯田線の車両が多数留置されている。


豊橋から(旧)平井信号所までは飯田線と名鉄が線路を共有し、複線として使っている。
実際は飯田線が上り線、名鉄が下り線を保有していることになる。
またその南側には東海道本線の複線も併走している。
しかし東海道本線はポイント群を抜けてからはいきなり120キロ運転を開始するのに対して、
飯田線・名鉄の線路は低規格のため、名鉄は85キロしか出すことができず、ここでも名鉄は不利を受けている。


豊川放水路を渡ると(旧)平井信号所である。
ここで飯田線は右に、名鉄は左に線路を振って分かれていく。
飯田線の下りと名鉄の上りは立体交差しているので、比較的柔軟にダイヤが組めるようになっている。
ここで信号所名に(旧)と付けたのは、現在では書類上、小坂井駅の施設の一部と見なされているためである。

豊川では名鉄豊川線(豊川稲荷)に連絡する。
JR型配線となっているが、昭和6年12月に完成した豊川鉄道の本社ビルが使われている時は、
JR型配線のホームの他にも島式ホーム1面があり、3面5線という堂々たる駅だった。
地下道で1番線と2・3番線を結んでいた他、構内踏切で全てのホームを結んでいた。
おそらく豊川稲荷の参拝客をさばくための臨時ホームだったのだろうが、近年はそのようなことをする必要がなくなったのだろう。
平成になってから新しい橋上駅舎に建て直し、東西自由通路ができたことから、そのホームもなくなってしまった。
西から1〜3番線で、1番線が下り、2番線が上り、3番線が豊橋と豊川の区間列車に使用されている。乗降人員は飯田線の中でもトップクラスである。
そのため、ここまでは複線で日中でも1時間に4本の運転となっており、地方の鉄道にしては頻発運転をしている。
この駅から先は単線になるが、しばらくは線路が2本続いて走っていく。
これは日本車輌豊川蕨工場へ続く専用引込線で、ここから各地へ甲種輸送するための線路である。
名鉄豊川線のホームは駅名こそ違うものの、すぐ豊橋寄りの西側に駅があり、しばらくは飯田線と併走する。
名鉄は30分毎と本数は少ないものの、急行が新名古屋と直接結んでいるために便利である。
名鉄の駅名の由来となった豊川稲荷は大通りを西へ7、8分歩いた所にあり、正月の3日間は臨時列車も多数運転される。
 
(左)東西自由通路西口。平成8年12月17日に橋上駅舎化された。(右)3番ホームから4・5番ホーム跡を臨む。
 
(左)1番ホームに進入してきたDE10形。この後、豊川工場に消えていった(右)名鉄豊川稲荷駅が隣接。後ろに見えるのが東西自由通路。

三河一宮は相対式ホーム。
駅舎は上りホームにあり、下りホームとは跨線橋で結ばれている。
この駅では下りがポイントによる減速を受ける。
一宮町の中心なので乗降人員はかなり多く、有人駅で「みどりの窓口」も設置されている。


長山
も相対式ホーム。
三河一宮と同じように駅舎は上りホームにあり、下りがポイントによる減速を受ける。
駅舎はホーム真ん中にあるのだが、上りホームと下りホームを結ぶ構内踏切は一番豊橋寄りにあるので結構歩くことになる。
その駅舎は上から見ると八角形となっており、窓と屋根が特徴的な一風変わった駅舎となっている。
朝夕1本ずつ、この駅折り返しの列車が設定されているのも特徴である。


新城
はJR型配線となっている。
駅舎は東側にあり、上りが片面ホーム、下りが島式ホーム2番線で、3番線はほとんど使用されていない。
1番線と2・3番線は跨線橋で結ばれているが、停車している列車の一番豊橋寄りになるため、利用者は豊橋寄りの車両に固まっている。
豊川から先、この駅までは30分毎に走っているので便利である。
ここで折り返しの列車も多数設定されており、折り返し列車がある時はここから先は1時間毎になる。
特急「伊那路4号」はここで各停と緩急接続する。
また特急「伊那路2号」は、夏季に臨時運行される「トロッコファミリー号」を追い越す。


東新町は片面ホーム。
しかし乗降人員はかなり多く、有人駅で、しかも「みどりの窓口」も設置されている。


本長篠はJR型配線となっているが、実際に使われているのは島式ホームの部分だけである。
駅舎が接しているホームの線路は、豊橋寄りが本線とはつながっていないので使用できないのである。
駅舎と島式ホームは、豊橋寄りで構内踏切で結んでいる
とは言うものの、豊橋から本長篠まで走る列車は1時間に1〜2本程度なので、島式ホーム1本だけでも十分である。
ここで折り返す列車も多数設定されており、本長篠〜天竜峡、いわゆる三信区間は1〜3時間に1本の超閑散線区となる。

本長篠は鳳来町の中心であり、結構利用者が多い。
そのため、有人駅で「みどりの窓口」も設置されていて、特急も停車する。
また、昭和43年8月31日までは豊橋鉄道田口線(元:田口鉄道)が分岐していた。
田口とは北西約22キロにある設楽町中心部の地名である。
途中鳳来寺山の麓を通るため、この駅は鳳来寺鉄道時代には鳳来寺口と称していた(改称日不明)。


湯谷温泉
は片面ホーム。
盛土区間にあって、その下に鄙びた木造駅舎がある。
この木造駅舎には、かつては鳳来寺鉄道が経営するホテルが併設されていた。
駅から出ると温泉街が宇連川沿いに並んでいる。
湯谷温泉は鳳来寺を開山した利修仙人開湯したと言われ、鳳来峡もすぐ近くにあることから風光明媚な土地として知られているが、
中京地区から遠くないこともあって結構人気があり、乗降人員は少ないが特急も停車する。
かつては単に湯谷と称していたが、平成3年12月14日、身延線下部駅が下部温泉駅に改称され、ここも同様に現在の駅名に改称されている。


東栄
は島式ホームに側線が1本ある。
東栄町の中心地かと思いきや、町の中心は国道151号線を5キロほど北へ行った所にある。
この国道151号線は(旧)平井信号所からずっと併走していたが、この東栄駅で分かれて、天竜峡駅付近でまた合流する。
この駅の特徴は何と言っても駅舎で、鬼の面の形をしていているのである。
これは鬼を題材にした地元の祭りがあるためだそうである。
駅名もたびたび変わっていて、開業当初は三信三輪と称していた。
それが三河三輪に変わり(改称日不明)、昭和18年8月1日に三河長岡、そして現在の駅名になったのは昭和31年12月20日である。


出馬
は片面ホーム(下り進行方向左側)だけの駅である。
周囲に人家は少なく、乗降人員は少ない。
ここからは愛知県をかすめるようにして静岡県を走る。


上市場
も方面ホーム(下り進行方向右側)だけの駅である。
山奥にも関わらず、出馬駅からわずか600メートルという至近距離である。
ここも乗降人員は少ない。
開業年月日は昭和21年12月1日になっているが、実はこれ以前からもこの駅は存在していた。
三信上市場という名前で開業しているが、実はこちらの開業日は分かっていない(当然、昭和9年11月11日よりも後)。
戦争の最中である昭和18年8月1日に一度廃止され、それが戦後復活したものである。


浦川
は島式ホームに側線がある。
駅舎も存在し、駅前には結構な集落がある。
そのため、この近辺では乗降人員が多い方である。


中部天竜
は島式ホーム。
乗降人員は少ないが、飯田線三信区間の中心駅である。
有人駅で「みどりの窓口」もあり、当然、特急停車駅にもなっている。
開業当初は佐久間と称していたが、半年ほどで現在の駅名に改称、その1年半後、隣に佐久間駅が新たに作られている。
かつては佐久間線と称して、ここから二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)二俣本町までの路線が建設されていたが、
国鉄末期に工事が凍結、あちこちに橋梁やトンネルの遺構が残っている。
現在ではバス路線がその代わりにあるが、直通ではなく途中で乗り換えとなる(二俣本町からのバスは相月、城西、水窪に行ってしまう)。

留置線もあるためにこの駅を発着する列車も多く設定されているが、島式ホームで線路容量が少ないのが問題である。
夏季に臨時運行される「トロッコファミリー号」の発着駅になっているが、
折り返し列車はこの駅には留置せず、5駅先の水窪駅で機関車を入れ替える。
おそらく前述したように、折り返し列車や行き違いをする列車が多いにも関わらず、線路容量の関係でできないのではないだろうか。
駅舎からホームへの構内踏切には汽笛も設けられており、列車が発車すると大きな音で鳴らして乗客を驚かせる。

駅の隣には「佐久間レールパーク」が併設されている。
駅の外から利用者は入場券が必要だが、鉄道利用者は構内からそのまま入れるようになっている。
中には往年の列車が展示されており、建物の内部は資料館になっている。
ただし普通は土日しか開館しておらず、夏季などの多客時には毎日開館しているので注意が必要。
しかも周囲には天竜川以外には何もないので、折り返し時間や途中下車程度に見た方が無難ではないだろうか。
鉄道ファンならよいが、一般客まで取り込もうとするには少々魅力に欠ける施設なので、もう少し何かが必要である。
なお駅名には「中部」と付いているが、これは中部地方の「中部」ではない。
この近辺の字名「なかべ」からきているようである。


佐久間
も島式ホーム。
山奥にも関わらず、中部天竜からは1キロしか離れていない。
これは飯田線が元私鉄だったことを物語っている。
北側にある駅舎までは辰野寄りの構内踏切で通じており、図書館が併設されている。
この辺は列車本数が少ないので、この図書館で時間をつぶす人も多いようである。
この駅ができる前は中部天竜が佐久間を名乗っていたが、半年で改称、中部天竜の2年後にこの駅が設置されて佐久間を名乗ることになった。
利用者は中部天竜の方がずっと多いが、佐久間町役場はこちらの方が近い。


佐久間から先、大嵐までは昭和30年11月10日に開業した新線区間である。
かつては天竜川に沿って線路が走っていたが、佐久間ダムの建設により水没してしまうからである。
そのため、3619メートルの峯トンネルと、5062メートルの大原トンネルという2つの長大トンネル建設し、
山をひとつ越えて、水窪町を抜けるルートが新設されたのである。
相月、城西、向市場、水窪の4駅が新駅に対し、豊根口、天竜山室、白神という3駅は、水没して廃止されることになった。
この区間は長大トンネルを掘る以外にも、「フォッサ=マグナ(大地溝帯)」を通るために路盤が非常に弱く、難工事だったところである。
そのためにトンネルが掘れず、「渡らずの橋」というようなものができたのである。
余談だが、水窪市街地を通る国道152号線を北上すると、青崩峠という峠を越える。
国道はこの峠をトンネルで抜けようとしたらしいのだが、青函トンネルという世界に誇れるトンネル技術を持った日本が、
崩落のあまりの激しさに建設を断念した唯一(?)の場所である。それくらいこの周辺の岩盤は脆い所である。


水窪は島式ホーム。
街が西側に広がっているため、駅舎も西側にある。駅舎とは辰野寄りの構内踏切でつながっている。
駅東側には側線が広がっている。
町の規模を見ると、この近辺では一番大きく、秋葉街道(国道152号線)も通る交通の要衝である。
そのため乗降人員も多い方で、有人駅で「みどりの窓口」も設置されていて、特急も停車する。

ここからは西に進路を変えて大原トンネルに入り、大嵐で元の線路に戻る。
大原トンネルは全長5062メートルと、数ある飯田線のトンネルの中でももっとも長いトンネルである。
このトンネルによって、天竜川と併走する路線にまた戻るのである。


大嵐も島式ホーム。
前後はトンネルに挟まれており、ポイントはトンネル内にあるくらいである。
ホーム辰野寄りに駅舎への構内踏切があるが、写真で見ると、一瞬出口が無いのかと思われるくらい近くまでトンネルがある。
かつては木造の古い駅舎であったが、平成になってから赤レンガのこぎれいな駅舎に生まれ変わった。
駅前を天竜川に沿って林道が走っているが、その林道を南に行くとすぐトンネルに入る。
これがルート変更以前に使われていた飯田線のトンネルである。
駅前には家は1軒しかないが、利用者は近隣の他の駅よりも多い。
これは、すぐそばに天竜川を渡る橋があって、その先に愛知県富山村の集落があるためである。


(左上)大嵐駅駅舎。近年新しく建て替えられた。真ん中が待合室、左がトイレ、右がホームへの通路になっています。
(右上)豊橋方面を臨む。ホームの先にはトンネルが待ち受けている。
(左下)辰野方面を臨む。ホームの先にはトンネルが待ち受けている。こうして見ると、ホントに出口があるのかと思いたくなる。
(右下)大原トンネル。ホームの端(豊橋寄り)=トンネルの入口です。しかも5キロを越える長大トンネル。


小和田
は相対式ホーム。
豊橋寄りに構内踏切があり、下りホームに接する形で木造の駅舎がある。
CTC化されていない時には、この駅にも駅員が配置されていた名残である。
その後、一度脚光を浴びた時期がある。
それは皇太子妃雅子様の旧姓が小和田(おわだ)だったために、御成婚前後は大変な賑わいを見せたのである。
無人駅に入場券もクソもないのだが、入場券が発売され、臨時の駅員まで派遣されていたほどである。
しかしそれも今は昔。現在では昔の駅の姿に戻っている。
駅の前後はトンネルに挟まれており、あたりを見渡しても人家は一軒もない。
駅舎からは天竜川に向かって下りていくあぜ道があるだけで、自動車はおろか自転車で来ることも不可能である。
一番近い集落で徒歩20分という看板があるのだから驚きだが、その集落も佐久間ダムの建設で水没してしまった。
現在では立ち退いた後も住み続ける1件の家だけのための駅である(宮下さんというらしい)。
飯田線が唯一の交通手段なのである。飯田線はかような所を走る路線なのである。
しかし私がこの駅を訪問した時、2人ほど利用者がいたのは驚きである。
この駅の北西で愛知、静岡、長野の3県の県境があるため、下りホームにはそれを示す看板も立てられている。


中井侍は片面ホーム(下り進行方向右側)。
ここからいよいよ長野県となる。ここから為栗までは天龍村だが、地名はずっと平岡である。
天龍村は3つの地名があるが、天竜川の左岸は全て平岡であるためらしい(某天龍村民談)。
駅名は何やら意味深な名前だが、昔、中井姓の武士がこの辺りの土地を拝領したかららしい
(この辺の土地を貰っても役に立たないじゃないの?というツッコミは却下です)。


伊那小沢は相対式ホーム。
豊橋寄りに構内踏切があり、下りホームに接する形で木造の駅舎があるのは小和田駅と同じ構造である。
ここから先、「伊那」の冠した駅名がここを含めて11駅ある。
「伊那小沢」「伊那八幡」「伊那上郷」「伊那大島」「伊那田島」「伊那本郷」「伊那福岡」「伊那市」「伊那北」「伊那大島」「伊那新町」である。
普通は旧国名を付けるものだが、長野県ではその例は多くない。
大糸線には「信濃」を冠した駅名が多いが、それ以外は小海線と飯山線に1駅ずつあるだけである。
中央西線は「木曽」、小海線は「佐久」を冠した駅名が見受けられるように、長野県は線区ごとに冠する名前が違うのが特徴である。


鶯巣は片面ホーム(下り進行方向左側)。
ずっと対岸を走ってきた県道1号線は、この鶯巣の集落で飯田線と同じ天竜川左岸を走ることになる。

鶯巣〜平岡を、併走する県道1号線(この辺りは国道418号線との重複区間)から線路を見ると、
現在走っている線路の手前に、古い橋やトンネルが見える。
こちらが飯田線の旧線である(どうして移設したのかは不明。平岡ダム建設と関係があるのかも)。


平岡
は島式ホーム。
以前はホームの一番豊橋寄りから駅舎に向かう構内踏切があったが、
平成13年4月2日に駅舎が改築され、ホーム一番辰野寄りに構内踏切が変わった。
駅舎には温泉施設や食事をする所が併設されて、飯田線の中でも立派な駅舎である。
乗降人員はそんなに多くないが、特急の停車駅であり、「緑の窓口」も設置されている。
その特急「伊那路2号」と「伊那路3号」は、この駅で行き違いをするという無駄のないダイヤを組んでいる。
下り列車はポイントによる減速しなくてはいけないが、全ての列車が停車するのであまり問題はない。
開業時は満島という駅名だったが、昭和27年11月15日に改称されている。

昭和61年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正までは、新宿〜辰野〜平岡に急行「こまがね」が走っていた。
これは中央本線内は急行「アルプス」と併結しており、天竜峡〜平岡は各停となるものであった。
しかし中央自動車道の全通により、伊那谷から東京や名古屋へ行くには高速バスが主流となった。
これにより飯田線は路線の性格を大きく変え、路線内完結形の長大ローカル線と化したのである。
構内には165系が留置・展示されていたが、今はもう無くなっているのは残念である。


(左)平岡駅正面。ホームは高台にあるため、駅施設は2階に相当する。
(右)ホームから駅舎を望む。龍泉閣は駅の他にも温泉施設などがある。ホームとは構内踏切にて結ばれている。

平岡駅旧駅舎。片田舎の小ぢんまりとした駅舎だったが、これほど変貌するとは思わなかった。


平岡から為栗までは平岡ダムの建設により、昭和27年にルートが変更されており、この時に遠山口という駅が廃止されている。
旧線のトンネルは現在、平岡と南信濃村を結ぶ酷道(国道)418号線のトンネルに転用されている。
このトンネルは、平岡駅前を通る国道418号(センターラインがないが国道である!)を1キロほど北へ向かい、
県道1号と分岐する交差点のすぐ先に見ることができる(国道が十方峡トンネルというのに対し、飯田線は新十方峡トンネルという)。


為栗は片面ホーム(下り進行方向左側)。
これはいくつかある飯田線の難読駅の中でも一番読めない駅だろう。
ホームのすぐ隣を天竜川が流れている。駅を出ると天竜川を渡る吊り橋があって、それを渡る以外に他へ行く道がない。
吊り橋を渡ると砂利を積み込む基地があり、1キロほど進むと県道1号線に出る。
県道に出ても人家はほとんどなく、ホントに人が乗るのかどうか分からない駅である(某天龍村民談)。


為栗駅ホーム。豊橋方面を望む。


(左)為栗駅へ通じる道路。狭い。
(右)為栗駅全景。周りに人家はありません…が、某天龍村民に言わせると、正面の山に家があるらしい。


温田は島式ホーム。
辰野寄りに下り本線を渡る構内踏切があり、駅舎につながっている。
駅の目の前は県道1号線だが、為栗駅付近に比べるとかなりショボい規格になっている。
かつては有人駅だったが、合理化によって無人駅となってしまった。
駅の住所は泰阜(やすおか)村であるが、泰阜村の中心部はもっと山の上の方である(山の上の方が比較的緩やかな地形になっている)。
利用者が多いのは、すぐそばの天竜川を渡ると阿南町の中心部になるからである。
阿南町役場、阿南病院、阿南高校、阿南警察署と、下伊那郡で最大の中心部となる。
中でも阿南高校の利用者が多く、それ以外にも万古峡や南宮峡などのハイキング客も多い。


田本は片面ホーム(下り進行方向右側)。
トンネルとトンネルに挟まれており、断崖絶壁に張り付くような感じで駅のホームが設置されている。
この辺は天竜川のあたりよりも、山の上の方がなだらかな地形になっていて、
県道1号線も対岸の国道151号線も、天竜川の遥か上の方を走っている。
当然集落もその道沿いにあるわけで、飯田線が走っているあたりには人家がほとんどない(住むスペースがないというのが正しいか?)。
田本の集落もここから数キロ離れた所にある(ので利用者はほとんどない)。

 門島は島式ホームの無人駅で、下り本線の外側に側線が1本ある。豊橋寄りに下り本線と側線を渡る構内踏切があり、駅への出入口となっている。かつては駅舎があったが撤去されてしまい、ホームに待合室があるだけである。
 泰阜(やすおか)村役場への最寄駅となっているが、その村役場は坂を上って5キロくらい東にあり、周囲に人家が少ないことからも利用者も少ない。また天竜川に架かる櫓橋を渡ると下條村陽皐(ひさわ)や阿南町富草に出ることもできる。
 駅の北には泰阜ダムがあり、その発電用の施設があるが、飯田線はその施設の上を鉄橋で渡っていく。次の行き違い可能駅は4駅先の天竜峡で、8.3キロもあるが、現状のダイヤであれば全く問題の無い距離である。
 
(左)駅入口。木造の駅舎があったが撤去されてしまった。(右)辰野寄りからホームを臨む。
 
(左)泰阜ダムの発電用施設。飯田線の撮影ポイントでもある。(右)天竜川右岸に渡る櫓橋。下條村や阿南町に行ける。


唐笠は片面ホーム(下り進行方向右側)。
駅近くに「天竜ライン下り」の唐笠港がある。
これは天竜峡より約5キロを1時間かけて下るものである。
この他にも弁天港〜時又港〜天竜峡温泉港にも「天竜ライン下り」がある。


金野は片面ホーム(下り進行方向左側)。
天竜川左岸のわずかな土地に駅が設置してあり、付近に民家は見当たらない。
金野という集落はここから5キロほど西に行った所にあり、当然利用者も少ない。しかし遂に行政区画は飯田市に入る。


千代は片面ホーム(下り進行方向右側)。
ここも断崖に張り付いたような駅である。


天竜峡はJR型配線。
駅舎は西側にあり、駅舎に接するホームが1番線、島式ホームが2・3番線である。
1番線と2・3番線は、豊橋寄りの構内踏切を渡ることになる。
1・2番線は上り下り共用で、3番線は配線の都合上、下りにしか使うことができない。
ここから先、伊那谷区間は列車本数も多くなり、1時間に1・2本の運転となる。
天竜峡と飯田を結んでいる区間列車も多く、長大な飯田線の中でも重要なセクションになっている。
また駅には留置線が何本かあるため、この駅で滞泊する列車も多い。
この駅を見るとホントに山を抜けたという感じがする。
トンネルもこの先は2つしかなく、たった1駅違うだけでこれほど違うものか驚くはずである。

駅を東に歩いていくと天竜川があるので、そこに弁天港〜天竜峡温泉の下船場と、天竜峡〜唐笠の乗船場がある。
また駅付近には天竜峡温泉というちょっと鄙びた温泉街が広がっていて、飯田線の中でも大きな観光地の一つである。
観光地以外にも、飯田駅まで25分程度で行けることから、飯田への通勤・通学圏と言える。


天竜峡〜川路〜時又は平成13年に路線が変更された区間である。
それまでは天竜川の築堤の下を通っていたが、河川工事のために飯田線は築堤上を走るようになった。
そのため、この区間では天竜川の流れを楽しむことができる。


川路は片面ホーム(下り進行方向左側)である。
前述のように築堤上に駅がある。
かつてはもっと西側を走っていたが、河川工事により現在の位置に変更された。
これによって駅間距離が100メートル短くなり、区間によっては運賃が安くなるところも出た。
新築の駅舎だけあって、無人駅だが斬新な駅舎になっている。
この周辺は飯田市の郊外にあたり、河川工事で区画整備が行われている。
将来的には新興住宅地になる予定である。


伊那八幡は両開き分岐の相対式ホームである。
駅舎は下り本線にあり、豊橋寄りの構内踏切でホームを結んでいる。


は片面ホームだが、かつては相対式ホームであった。
国鉄の末期に、あちこちの路線でこの駅と同じように棒線化されている。
伊那八幡の次に行き違いできるのは飯田なので、この区間は利用者が多いにも関わらず増発ができずにいる。
この駅を行き違い可能駅に復活することが急務ではないだろうか?
特にこの駅は乗降人員が多く、「みどりの窓口」も開設されている。
しかし飯田駅に近いためか、特急の停車駅にはなっていない。
名前は何やら意味深であるが、「鼎」とは古代中国の3本足の祭器である(「鼎の軽重を問う」という故事でも有名)。
それが何故この辺りの地名になったかは知らないが、地名からきている。
「願いがかなう」ということで、ここの入場券は結構人気があるらしい。
ただし現在ではマルスの導入により、硬券ではなく普通の長距離切符形式になってしまったのは残念である。


飯田はJR型配線の主要駅である。
駅舎は東側にあり、特産であるリンゴをイメージして赤い屋根の瀟洒な駅舎となっている。
西側には側線が広がっており、主力の119系を始め115系や373系も留置されている。
何しろ路線の名前がこの駅名を付けているのだから、様々な意味でこの路線の中心となっている。
この駅で折り返す列車も多く、列車運行上の要衝となっている。
飯田以南と以北の折り返し列車同士は、この駅で接続していることも多い。
その場合、島式ホームの2番線と3番線でホーム上乗り換えということもあるが、1番線と2・3番線で跨線橋を使わなくてはならない乗り換えもある。
また、接続するといっても10分以上待つ場合もあるし、スルーする列車でも結構長い待ち時間の長いものもある。
中でも面白いのは227M列車である。
天竜峡5:32発上諏訪行きである227Mは、飯田に5:57着で、6:09発と12分待ちとなっている。
しかしその間に快速「みすず」長野行きが発車するのである。

飯田は人口10万人を越えており、伊那谷最大の都市であるとともに、飯田線の中でも豊橋に次ぐ都市規模を誇る。
伊那谷北部は伊那市があり、どちらかというと諏訪湖周辺に人の流れが向いている。
それに対して飯田は、下伊那郡を主とした南信地域の中心である。
江戸時代から堀氏の城下町として、また三州街道の宿場町として重要な地位を占めていた。
飯田市ができたのは昭和12年、飯田町と上飯田町が合併、その後も周辺の村を合併、最近では上郷町を合併している。

飯田市の地形は複雑である。
河岸段丘になっている天竜川から分かれている松川が東西に流れている。
この松川が「田切」と呼ばれる深い谷を形成して、市街地を真っ二つにしている。
一つは谷の北側の飯田駅周辺。その飯田駅は河岸段丘の上に設置されていている。
もう一つは発展著しい鼎地区である。
飯田線は段丘の下を走り、対岸には飯田駅へ向かって急坂を上っていく線路が見える。
段丘の上には国道153号線バイパスが通っており、中央道飯田ICもある。
鼎地区から飯田駅方面に向かうにはどうしてもこの谷を通らねばならず、結果、都市を二分している形になっている。
高速バスにしても、飯田駅前の他に、鼎地区に伊賀良(いがら)という大きなバスターミナルができている。

ライバルとなるその高速バスは、名古屋、中津川、新宿、松本、長野方面に出ていて便利である。
飯田ICの近くには伊賀良というバス停があり、駐車場も整備されていることから便利である。
高速バスは伊賀良から飯田駅へ向かうが、飯田ICの北側に上飯田BSがあることから、そちらを利用するという手もある。
いずれにせよ長距離は高速バスに取られていて、飯田線は苦境に立たされている。


桜町は片面ホーム(下り進行方向右側)。
駅舎はいかにも昔の私鉄風の駅で、駅前にはタクシープールもある。
飯田市街にあるが、飯田駅から近いということもあって利用者はそんなに多くない。
標高は518メートルで、3駅手前の鼎駅が448メートルなので、わずかな間に70メートルも上ったことになる。


(左)桜町駅舎。最近の駅舎にはこういうタイプのものは見られなくなった。駅前はタクシープールや商店街もある。
(右)桜町ホーム。片面ホームで、線路のすぐ隣を道路が走っているため、こんなアングルも可能。上屋の支柱が特徴的。


伊那上郷は片面ホーム(下り進行方向右側)の無人駅だが利用者は多い。
これは、この近辺が上郷町の中心部であったためである。
上郷町があったためにその北に飯田市の飛び地があったが、飯田市に併合されたのである。
なお伊那八幡の先で大きなオメガカーブを描いてきた路線がこの先で修正される。
下山村よりここまで直線距離でわずか2キロなのだが、飯田線は6.4キロと3倍の距離を走る。
おまけに半径200メートルのカーブや25パーミルの勾配の連続である。
このような線形になったのも、伊那電気鉄道という私鉄が建設資金を少しでも抑えるため、このような遠回りをして建設せざるを得なかったのである。
この区間を橋梁で一直線に結ぶと、おそらく橋脚が100メートル以上のものを作らねばならなかっただろう。


元善光寺はJR型配線となっている。上りのホームが島式ホームとなっていて、下り片面ホームに駅舎がある。
ホーム同士は豊橋寄りの構内踏切で結ばれている。
交互分岐になっていて、上下線ともに安全側線が設置されている。
駅の周りには石油ターミナルやセメント工場につながっていて貨物取り扱い駅であったが、平成8年9月に廃止されてしまった。
利用者は多いものの、「みどりの窓口」も設置されている。
元善光寺の云われは、難波から長野の善光寺へ阿弥陀如来を移送する祭、一時安置されたことから付けられた地名である。
その元善光寺は西へ500メートルの所にある。
開業当初は元善光寺を名乗っていたが、昭和18年8月1日に地名である座光寺に改称した。
しかし戦後の昭和25年5月20日に再び元善光寺に改称された。
なお元善光寺〜市田は、市田まで開通したわずか5日後に開通している。


下市田は片面ホーム(下り進行方向右側)。
ちょうど国道153号線と分かれる所に設置されている。
後述するが、この駅を行き違い可能駅にすると、快速列車の設定がスムーズになる。


市田は相対式ホーム。
交互分岐になっていて、上下線ともに安全側線が設置されているのは元善光寺駅と同じである。
駅舎は下りホームに、鉄筋造りのごつい駅舎が設置されている
豊橋寄りの構内踏切でホームが結ばれているが、駅舎が辰野寄りにあるために少々歩くことになる。
利用者が元善光寺とともに多いので、「みどりの窓口」も設置されている。


伊那大島は相対式ホーム。
松川町の中心部で利用者もかなり多い。
中央道には松川ICが設置されており、高速道路の方が利便性はある。


伊那本郷は相対式ホーム。
ホームはちょっとした築堤上にあり、出口はそれぞれのホームにある。
東のホームが1番線で、ホーム中央に小さな駅舎が設置されている。
西のホームが2番線で、豊橋寄りに築堤を下りる出口が設置されている。
飯田線では珍しく1線スルー構造となっており、行き違いがない時は、本来上りである1番線に停車する。


飯島は相対式ホームの無人駅。
交互分岐になっていて、上下線ともに安全側線が設置されている。
駅舎は下りホームにあり、ホームは構内踏切で結ばれているが、豊橋方、辰野方の2ヶ所設置されているのが特徴である。
無人駅だが飯島町の中心なのでそれなりに利用者は多い。
実は飯島町は現在でこそ町制を敷いているが、江戸時代には天領(大名がいるのではなく、幕府の直轄地)で陣屋も置かれ、
三州街道(現在の153号線)の宿場町にもなっていた。
明治時代の廃藩置県では伊那県が作られ、その県庁所在地であったこともあり、小さいながらも由緒ある町である。
中央道にも飯島BSが設置されていて飯田線とはライバル関係にある。


小町屋は片面ホームの無人駅だが、伊那上郷と同じように利用者は多い。
駒ヶ根市役所は駒ヶ根駅よりもこの駅の方が近い。


駒ヶ根はJR型配線で、上りが島式ホーム、西側に駅舎がある。
ホーム同士は豊橋方に構内踏切があってそれでつながれている。
これだけ利用者が多い駅でも構内踏切というのが、いかにも私鉄で建設されたローカル路線という感じがするのだが、
返して見れば、跨線橋のように階段がないので乗客にとっては便利である。飯田線の本数が少ないということも言えるのだが…
駅の東側には留置線が4本あって、列車が止められるようになっている。
駒ヶ根市の中心であり利用者が多いことから、当然有人駅で「みどりの窓口」もある。
夏には特急「伊那路」1往復がここまで延長されることもある。
開業当初は駒ヶ根市の一部であった赤穂(あかほ)という駅名だったが、駒ヶ根市に昇格したことによって、
市制を敷いて5年遅れの昭和34年10月1日、市の名前と同じ駅名に改称された。

駒ヶ根市は昭和29年7月1日、上伊那郡の赤穂町、宮田町、中沢村、伊那村が合併してできた市である。
実はこの合併は、さいたま市よりも更に紆余曲折してできた市なのである。
と言うのも、宮田村にとっては赤穂町主体で合併が進んでいくのを快く思っておらず、かたくなに拒否していたのである。
しかし赤穂町にしてみれば、宮田村が合併してくれないと市昇格への条件である人口3万人以上にならない。
そこで考え出されたのが、上記の2町2村が合併して、その後宮田町が分離するという方法である。
市に昇格したら、人口がいくら減っても町村になることはない、というものを逆手に取ったものである。
ともあれ、このようにして駒ヶ根市が成立。名前は木曽駒ケ岳の麓にあるためこの名前になった。
飯田と岡谷のほぼ真ん中で、どちらに行くにしても便利だが、いかんせん飯田線は遅く、中央道に駒ヶ根ICがあるために高速バスに流れがちである。
駅前からは百名山の一つ「駒ヶ岳」の登山口である「しらび平」まで行くバスも出ており、夏を中心に登山客で賑わう駅である。


宮田は相対式ホームの無人駅。
駅舎は伊那谷区間では珍しく東側にあり、
無人駅だが宮田村の中心なので利用者もまあまあ多い。
中央道にはICはないが、宮田BSがあるため、ここもライバル関係にある。
旧宮田町は合併して一度は駒ヶ根市となったが、旧赤穂町(現在の駒ヶ根市中心部)主導のために、今度は村に戻ったという稀有な経歴を持っている。
開業当初は「みやた」という駅名だったが、昭和31年12月15日に「みやだ」に改称している。
駒ヶ根市になる以前は行政名が「みやだ」町だったことから、行政と駅名の読みが違っていたようである。
現在では駒ヶ根市、伊那市のベッドタウンとして人口増加も著しい。


沢渡は相対式ホーム。
かつてはこの駅から辰野方面に向けて貨物が走っていたが、廃止されてしまった。


伊那市は相対式ホームの単純な駅である。駅本屋は西側にある。
下りホームには水車が利用者を出迎えてくれる。
簡易な造りが多い飯田線の駅の中にあって、この駅は跨線橋で結ばれている。この前に跨線橋のある駅は飯田まで行かないとない。
伊那市の中心部にあるために利用者が多く、「みどりの窓口」も併設されている。
ここまで来ると岡谷や諏訪の通勤圏内となる。また名古屋方面から鉄道利用しても、特急「しなの」を利用すれば比較的短時間で行くことができる。
当初は伊那町という駅名だったが、市制を敷いてから半年後に伊那市に改称している。

その伊那市は昭和29年4月1日に、伊那町、富県村、美焉村、手良村、東春近村、西箕輪村が合併して成立、後に西春近村も編入された。
古くから三州街道(国道153号線)と高遠方面への杖突街道(国道361号と152号)、木曽方面への権兵衛街道(国道361号)が交差しており、
交通の要衝となっている。現在でも、鉄道こそ走っていないものの、高遠方面へのバスの便は比較的良い。
今や人口6万人を数え、伊那谷北部の中心地となっている。


伊那北はJR型配線で上りが島式ホームとなっている。
伊那市駅よりわずか900メートルの距離であるが、ずっと市街地になっているために利用者は多い。
高遠方面へ向かうバスは、伊那市始発ではなく伊那北始発になっている。
これは伊那営業所があるためである。


伊那松島は相対式ホームである。
駅舎は下りホームの辰野寄りに設置されており、ホームをつなぐ構内踏切も辰野寄りに設置されている。
伊那松島運輸区が駅の北西側に設置されていて、ここに籍を置く車両はないものの、多数の車両が留置されている。
現在でこそ相対式ホームになっているが、かつては上りが島式ホームでJR形配線となっていた。
そして直接、運輸区から豊橋方面に行くことができた(辰野方面へは行けない構造だった)。


伊那新町は伊那谷区間では珍しく島式ホームとなっていて、下りが直線となっている。
これは昭和41年3月に、片面ホームから現在のように行き違い可能駅にしたためだろう。
駅舎は見るも武骨な鉄筋造りで、ホーム豊橋寄りから下り線を構内踏切で渡った所にある。
また、これも飯田線としては珍しく、下りである1番線が1線スルーになっている。
開業当初は南新町と称していたが、昭和18年8月1日に現在の駅名に改称している。


辰野は飯田線の終点である。
豊橋から195.8キロにわたる路線は、名称上はここで終わることになる。
実際はここを発着するものは1つも設定されておらず、中央本線に乗り入れて岡谷、もしくは上諏訪や長野まで行く列車も設定されている。
JR型配線が基本となっているが、ホームは2〜4番線となっている。
これは駅本屋のある2番線の豊橋寄りには、頭端式の1番線があるためで、ここより辰野発着の飯田線列車が停まっていた。
現在では塩嶺トンネルができて、中央本線はみどり湖経由で走るようになってしまい、辰野経由は支線になってしまった。
そのため飯田線の全ての列車が岡谷まで行くようになり、この1番線が使われることもほとんどなくなってしまった。
駅の西には側線が広がっており、貨物全盛時代だった頃を偲ばせる。
駅舎は東側にあり、2つのホームは跨線橋によって結ばれている。
普段は飯田線が1〜3番線、辰野〜塩尻を走る「ミニエコー」が4番線から出発する。
しかし配線上は、飯田線が4番線を使うこともできるし、「ミニエコー」が2・3番線を使うこともできるようになっている。

伊那電気鉄道は辰野方面より順次開業していったが、開業当初は現在の場所になく、西に300メートルほど行った「辰野西町」であった。
中央本線の駅は当初より現在の位置にあったが、駅前の人力車組合からの反対で駅前乗り入れが果たせなかったためである。


岡谷はJR型配線を基本としていて、片面ホームとなるべき1番線の反対側に行き止まり式の0番線がある。
中央本線下りが島式ホームで、同上りが片面ホームである1番線を使用する。
そして0番線に飯田線の列車が発着するが、上諏訪・茅野方面へは行けないため、その時は1番線が使われる。
駅の西側では中央本線の上りと下りの間が開いており、その間に飯田線が通っている。
飯田線は地平線のままだが、中央本線は高架橋になって下り線が飯田線をオーバークロスする形になる。
この構造は列車同士の競合がなくて便利だが、飯田線は0番線に発着するので、結局の所中央本線上りと交錯することになる。
飯田線はおろか中央本線もそんなに列車本数が多くはないが、中央本線が普門寺信号所(茅野〜上諏訪)と岡谷の間が単線で、
それとの兼ね合いもあることから、ダイヤ担当の頭を悩ませる区間である。
飯田線の列車も、上諏訪方面に運転延長させる余地があまりない。

駅名
ふりがな
開業日
乗降人員
駅間距離
所在地
豊橋
とよはし

明21・9・1

45940

愛知県豊橋市花田町

船町
ふなまち

昭2・6・1

340

1.5

愛知県豊橋市北島町

下地
しもじ

大14・12・23

410

0.7

愛知県豊橋市横須賀町

小坂井
こざかい

明31・3・13

1116

2.2

愛知県宝飯郡小坂井町小坂井

牛久保
うしくぼ

明30・7・15

1796

2.2

愛知県豊川市牛久保町

豊川
とよかわ

明30・7・15

7014

2.1

愛知県豊川市豊川町

三河一宮
みかわいちのみや

明30・7・22

2082

3.3

愛知県宝飯郡一宮町一宮

長山
ながやま

明32・10・19

538

2.4

愛知県宝飯郡一宮町上長山

江島
えじま

大15・11・10

236

1.0

愛知県宝飯郡一宮町東上

東上
とうじょう

明31・4・25

380

1.6

愛知県宝飯郡一宮町東上字東京寺

野田城
のだじょう

大7・1・1

712

2.7

愛知県新城市野田

新城
しんしろ

明31・4・25

2790

1.9

愛知県新城市西ノ宮

東新町
ひがししんまち

大3・1・1

1172

1.0

愛知県新城市平井

茶臼山
ちゃうすやま

大15・5・1

736

1.2

愛知県新城市富永

三河東郷
みかわとうごう

明33・12・15

174

1.2

愛知県新城市川路

大海
おおみ

明33・9・23

410

2.9

愛知県新城市大海

鳥居
とりい

大12・2・1

110

1.4

愛知県新城市有海

長篠城
ながしのじょう

大13・4・1

140

1.5

愛知県南設楽郡鳳来町長篠

本長篠
ほんながしの

大12・2・1

1276

1.3

愛知県南設楽郡鳳来町長篠

三河大野
みかわおおの

大12・2・1

566

3.5

愛知県南設楽郡鳳来町富栄

湯谷温泉
ゆやおんせん

大12・2・1

386

2.4

愛知県南設楽郡鳳来町豊岡

三河槙原
みかわまきはら

大12・2・1

162

2.6

愛知県南設楽郡鳳来町豊岡

柿平
かきだいら

昭25・2・15

44

2.3

愛知県南設楽郡鳳来町下豊岡

三河川合
みかわかわい

大12・2・1

190

2.3

愛知県南設楽郡鳳来町川合

池場
いけば

昭21・12・1

28

4.9

愛知県南設楽郡鳳来町池場

東栄
とうえい

昭8・12・21

346

1.1

愛知県北設楽郡東栄町三輪

出馬
いずんま

昭9・11・11

28

4.2

静岡県磐田郡佐久間町浦川

上市場
かみいちば

昭21・12・1

24

0.6

静岡県磐田郡佐久間町浦川

浦川
うらかわ

昭9・11・11

408

1.3

静岡県磐田郡佐久間町浦川

早瀬
はやせ

昭21・12・1

54

1.2

静岡県磐田郡佐久間町浦川

下川合
しもかわい

昭9・11・11

114

1.4

静岡県磐田郡佐久間町川合

中部天竜
ちゅうぶてんりゅう

昭9・11・11

642

2.5

静岡県磐田郡佐久間町半場

佐久間
さくま

昭11・11・10

166

1.1

静岡県磐田郡佐久間町佐久間

相月
あいづき

昭30・11・11

82

5.0

静岡県磐田郡佐久間町相月

城西
しろにし

昭30・11・11

206

2.0

静岡県磐田郡佐久間町相月

向市場
むかいちば

昭30・11・11

70

2.8

静岡県磐田郡水窪町地頭方

水窪
みさくぼ

昭30・11・11

434

1.0

静岡県磐田郡水窪町地頭方

大嵐
おおぞれ

昭11・12・29

108

6.5

静岡県磐田郡水窪町奥領家

小和田
こわだ

昭11・12・30

3.0

静岡県磐田郡水窪町奥領家

中井侍
なかいさむらい

昭11・12・30

16

4.0

長野県下伊那郡天竜村平岡

伊那小沢
いなこざわ

昭11・12・30

16

2.3

長野県下伊那郡天竜村平岡

鴬巣
うぐす

昭11・12・30

72

1.6

長野県下伊那郡天竜村平岡

平岡
ひらおか

昭11・12・30

454

2.1

長野県下伊那郡天竜村平岡

為栗
してぐり

昭11・12・30

4.7

長野県下伊那郡天竜村平岡

温田
ぬくた

昭10・11・15

748

3.7

長野県下伊那郡泰阜村

田本
たもと

昭10・11・15

2.0

長野県下伊那郡泰阜村

門島
かどしま

昭7・10・30

56

3.7

長野県下伊那郡泰阜村

唐笠
からかさ

昭7・10・30

132

3.4

長野県下伊那郡泰阜村

金野
きんの

昭7・10・30

2.3

長野県飯田市千栄

千代
ちよ

昭7・10・30

22

1.2

長野県飯田市千栄

天竜峡
てんりゅうきょう

昭2・12・26

942

1.4

長野県飯田市川路

川路
かわじ

昭2・12・26

116

1.3

長野県飯田市川路

時又
ときまた

昭2・12・26

358

1.9

長野県飯田市時又

駄科
だしな

昭2・4・8

594

1.8

長野県飯田市駄科

毛賀
けが

昭2・2・5

274

1.4

長野県飯田市毛賀

伊那八幡
いなやわた

大15・12・17

796

1.1

長野県飯田市松尾

下山村
しもやまむら

大15・12・17

212

1.1

長野県飯田市鼎下山

かなえ

大15・12・17

1668

1.0

長野県飯田市鼎中平

切石
きりいし

大15・12・17

716

2.0

長野県飯田市鼎切石

飯田
いいだ

大12・8・3

3752

1.6

長野県飯田市上飯田

駅名
ふりがな
開業日
乗降人員
駅間距離
所在地
飯田
いいだ

大12・8・3

3752

長野県飯田市上飯田

桜町
さくらまち

大12・8・3

288

0.8

長野県飯田市桜町2丁目

伊那上郷
いなかみさと

大12・8・3

1966

1.0

長野県飯田市上郷黒田

元善光寺
もとぜんこうじ

大12・3・18

1182

2.7

長野県飯田市座光寺

下市田
しもいちだ

大12・3・18

180

1.8

長野県下伊那郡高森町下市田

市田
いちだ

大12・3・13

1276

1.2

長野県下伊那郡高森町下市田

下平
しもだいら

大12・3・13

204

2.7

長野県下伊那郡高森町山吹

山吹
やまぶき

大12・1・15

256

1.0

長野県下伊那郡高森町山吹

伊那大島
いなおおしま

大11・7・13

1156

2.6

長野県下伊那郡松川町元大島

上片桐
かみかたぎり

大9・11・22

1178

3.8

長野県下伊那郡松川町上片桐

伊那田島
いなたじま

大9・11・22

42

1.3

長野県上伊那郡中川村片桐

高遠原
たかとおばら

昭21・9・1

118

2.5

長野県上伊那郡飯島町七久保

七久保
ななくぼ

大7・7・23

714

1.6

長野県上伊那郡飯島町七久保

伊那本郷
いなほんごう

大7・7・23

118

2.8

長野県上伊那郡飯島町本郷

飯島
いいじま

大7・2・11

896

2.8

長野県上伊那郡飯島町飯島

田切
たぎり

大7・2・11

136

2.2

長野県上伊那郡飯島町田切

伊那福岡
いなふくおか

大3・12・26

772

2.8

長野県駒ヶ根市赤穂

小町屋
こまちや

大3・12・26

1514

1.5

長野県駒ヶ根市赤穂

駒ヶ根
こまがね

大3・10・31

1972

1.2

長野県駒ヶ根市東町

大田切
おおたぎり

昭21・9・1

192

1.4

長野県駒ヶ根市赤穂

宮田
みやだ

大2・12・27

798

2.1

長野県上伊那郡宮田村

赤木
あかぎ

大2・12・27

130

1.3

長野県伊那市西春近

沢渡
さわんど

大2・12・27

1462

3.0

長野県伊那市西春近

下島
しもじま

大2・12・27

182

1.1

長野県伊那市西春近

伊那市
いなし

昭29・11・10

3560

3.5

長野県伊那市伊那

伊那北
いなきた

明45・1・4

2608

0.9

長野県伊那市伊那

田畑
たばた

大12・12・1

244

2.1

長野県上伊那郡南箕輪村

北殿
きたとの

明44・11・3

786

2.2

長野県上伊那郡南箕輪村

木ノ下
きのした

明44・2・22

816

2.4

長野県上伊那郡箕輪町中箕輪

伊那松島
いなまつしま

明44・2・22

1918

1.5

長野県上伊那郡箕輪町中箕輪

さわ

大12・3・16

818

2.6

長野県上伊那郡箕輪町中箕輪

羽場
はば

大12・3・16

412

1.9

長野県上伊那郡辰野町伊那富

伊那新町
いなしんまち

大12・4・20

162

1.8

長野県上伊那郡辰野町伊那富

宮木
みやぎ

大12・3・16

920

1.2

長野県上伊那郡辰野町伊那富

辰野
たつの

明39・6・11

2788

1.1

長野県上伊那郡辰野町辰野

川岸
かわぎし

大12・10・28

428

*@6.0

長野県岡谷市川岸東

岡谷
おかや

明38・11・25

9672

*A3.5

長野県岡谷市本町1丁目

下諏訪
しもすわ

明38・11・25

4686

*B4.1

長野県諏訪郡下諏訪町広瀬町

上諏訪
かみすわ

明38・11・25

10038

4.4

長野県諏訪市諏訪1丁目

茅野
ちの

明38・11・25

7836

6.7

長野県茅野市ちの

みどり湖
みどりこ

昭58・7・5

424

*C7.8

長野県塩尻市上西条

塩尻
しおじり

明35・12・15

8530

*D3.9

長野県塩尻市大門八番町

広丘
ひろおか

昭8・7・10

4132

*E3.8

長野県塩尻市広丘野村

村井
むらい

明35・12・15

4922

3.0

長野県松本市芳川村井町

南松本
みなみまつもと

昭19・9・1

2768

4.1

長野県松本市出川町

松本
まつもと

明35・6・15

38284

2.4

長野県松本市深志1丁目

田沢
たざわ

明35・6・15

1030

8.3

長野県南安曇郡豊科町田沢

明科
あかしな

明35・6・15

2954

6.6

長野県東筑摩郡明科町中川手

西条
にしじょう

明33・11・1

722

9.0

長野県東筑摩郡本城村西条

坂北
さかきた

昭2・11・3

568

3.7

長野県東筑摩郡坂北村

聖高原
ひじりこうげん

明33・11・1

1060

4.1

長野県東筑摩郡麻績村漆田

冠着
かむりき

昭20・4・1

128

3.3

長野県東筑摩郡坂井村大野田

姨捨
おばすて

明33・11・1

160

5.9

長野県更埴市八幡

稲荷山
いなりやま

明33・11・1

984

8.7

長野県長野市篠ノ井塩崎

篠ノ井
しののい

明21・8・15

18074

*F3.8

長野県長野市篠ノ井布施高田

今井
いまい

平9・10・1

*G

2.1

長野県長野市中島町今井

川中島
かわなかじま

大6・7・20

4114

2.2

長野県長野市川中島町上氷鉋

安茂里
あもり

昭60・3・14

2280

2.1

長野県長野市安茂里

長野
ながの

明21・5・1

51950

2.9

長野県長野市栗田

*@辰野からの駅間距離。
*A川岸からの駅間距離。
*B岡谷からの駅間距離。
*C岡谷からの駅間距離。
*Dみどり湖からの駅間距離。
*E塩尻からの駅間距離。
*F稲荷山からの駅間距離。
*G新駅のためにまだデータが出ていない。

  

ダイヤ

 飯田線を走る特急として「(ワイドビュー)伊那路」が走っている。JR東海の新造車両になってから、「しなの」「ひだ」「南紀」などの特急には「ワイドビュー」が冠されている。使用車両は373系3両編成で、グリーン車を連結していないモノクラス編成となっている。飯田寄り1号車が指定席となっている他、各車両の車端部にあるセミコンパートメント席も指定席となっている。運転区間は豊橋〜飯田で、途中停車駅は豊川、新城、本長篠、湯谷温泉、中部天竜、水窪、平岡、天竜峡とかなり限定した停車駅となっている。
 2往復走っており、1号と2号、3号と4号は同じ車両を使用する。「伊那路」に使用される車両運用は、東京〜大垣を走る「ムーンライトながら」と密接なつながりがあり、間合い運用をかなり上手くやっている。
 「ムーンライトながら」は373系を3編成つないだ9両編成で走るが、そのうち東京寄り3両は名古屋で切り離しになる。そして名古屋6:55発「ホームライナー豊橋2号」として走り豊橋7:48着となる。そしてそのまま豊橋9:08発「伊那路1号」として走り、飯田11:33着となる。この車両は折り返し飯田13:34発「伊那路2号」として走り、豊橋16:10着となる。
 「ムーンライトながら」の残り2編成は終点の大垣まで走った後、1編成は大垣電車区に留置され、東京行きの「ムーンライトながら」として運用するまで出番は無い。もう1編成は、大垣8:26発「ホームライナー豊橋4号」として走り豊橋9:50着となる。そしてそのまま豊橋13:08発「伊那路2号」として走り、飯田15:33着となる。この車両は折り返し飯田15:48発「伊那路4号」として走り、豊橋18:11着となる。
 豊橋で「伊那路2・4号」として運用した2編成を併結して、豊橋20:07発「ホームライナー豊橋1号」として走り名古屋20:57着となる。そしてそのまま名古屋21:42発「ホームライナー大垣3号」(土日は名古屋21:12発「ホームライナー大垣1号」)として走り大垣22:14着(土日は21:42着)となる。大垣到着の後、大垣電車区に留置してあった1編成を連結して9両編成として「ムーンライトながら」として運用されるのである。
 下り2本は同じ所要時間で、豊橋〜飯田129.3キロを2時間25分で走る。表定速度は53.5キロという鈍足で特急とは名ばかりである。こんなに速度が遅いのは、本長篠以北の線形が非常に悪くて最高速度が60キロ程度しか出せないためと、各駅が1線スルーになっていないので、ポイントで大きな速度制限を受けてしまうためである。因みに各停車駅間の表定速度は以下のようになっている。

豊橋 豊川 新城 本長篠 湯谷温泉 中部天竜 水窪 平岡 天竜峡 飯田
距離 8.7キロ 12.9キロ 10.5キロ 5.9キロ 24.4キロ 11.9キロ 19.5キロ 22.4キロ 13.1キロ 距離
1号 8分 14分 11分 7分 26分 13分 21分 26分 15分 1号
62.3キロ 55.3キロ 57.3キロ 50.6キロ 56.3キロ 54.9キロ 55.7キロ 51.7キロ 52.4キロ
3号 8分 14分 11分 7分 25分 13分 21分 26分 15分 3号
62.3キロ 55.3キロ 57.3キロ 50.6キロ 58.6キロ 54.9キロ 55.7キロ 51.7キロ 52.4キロ
2号 9分 13分 11分 7分 28分 14分 28分 27分 14分 2号
58.0キロ 59.5キロ 57.3キロ 50.6キロ 52.3キロ 51.0キロ 41.8キロ 49.8キロ 56.1キロ
4号 9分 12分 11分 7分 26分 13分 22分 27分 14分 4号
58.0キロ 64.5キロ 57.3キロ 50.6キロ 56.3キロ 54.9キロ 53.2キロ 49.8キロ 56.1キロ

 「伊那路1号」は豊橋において、東京7:36発「ひかり303号」と8分で接続しており、同じく「伊那路3号」は豊橋において、東京11:36発「ひかり311号」と8分で接続していて便利である。所要時間は3時間57分、運賃・料金は自由席で10,970円となっている。一方で、新宿高速バスターミナル(西口)〜飯田駅前の高速バスは、所要時間4時間11分、運賃は4,200円となっており、運賃はバスの方が半額以下と圧倒的優位に立っていると共に、所要時間についてもほとんど差が無い。バスは土日を中心に中央道が渋滞して時間がかかる場合も多いが、1時間に1本の割合で走っているので、やはりバスの方が優位に立っていると言わざるを得ない状況である。関西方面とは、豊橋に停車する「ひかり」が9分の差で接続していないので、接続状況はそんなに良くない。「のぞみ」「ひかり」に乗って名古屋で「こだま」に乗り換える必要があるのだが、どうせ名古屋で乗り換えるなら名鉄バスセンターで高速バスに乗り換えた方が、所要時間、運賃、本数全ての面で便利である。「伊那路」は静岡と南信を結び、かつ湯谷温泉や天竜峡といった観光地向けの特急と位置付けて考えた方がいいだろう。
 一方、上りの所要時間は「伊那路2号」が2時間36分、「伊那路4号」が2時間23分となっており、2号の所要時間が長いのが目に付く。これは大嵐で「伊那路3号」と行き違いをするために6分ほど運転停車するのと、天竜峡や中部天竜の停車時間が長くなっているためである。また新城〜豊川の所要時間が、下りに比べて上りが短いということが上の表から分かる。これは、この区間のほとんどの行き違い可能駅で下り線が分岐しているためであって、上りは直線で減速しないからである。各駅が1線スルーの構造になれば、各区間で1〜2分程度の時間短縮できるのである。
 上りの新幹線接続状況は、「伊那路2号」は豊橋において、「ひかり316号」と8分で接続しており東京17:43着、同じく「伊那路4号」は豊橋において、「ひかり320号」と7分で接続しており東京19:43着となっている。「伊那路4号」→「ひかり320号」の接続では、所要時間が3時間55分となる。

 ローカル列車の運転形態を大きく分けると、豊橋〜豊川、豊川〜本長篠、本長篠〜天竜峡、天竜峡〜岡谷に分けられる。以下に各区間の1日の運転本数を示しておく。

豊橋 豊川 長山 新城 本長篠 中部天竜 水窪 平岡 天竜峡 飯田
下り 65本 34本 33本 20本 12本 11本 9本 10本 19本 平日
64本 34本 33本 20本 12本 11本 9本 10本 19本 土曜日
64本 34本 33本 20本 12本 11本 9本 10本 19本 日祝日
上り 68本 35本 34本 22本 13本 10本 9本 10本 19本 平日
67本 35本 34本 22本 13本 10本 9本 10本 19本 土曜日
67本 34本 33本 21本 13本 10本 9本 10本 19本 日祝日
飯田 伊那大島 伊那福岡 駒ヶ根 伊那市 伊那松島 辰野 岡谷 上諏訪 茅野
下り 19本 19本 22本 22本 22本 21本 22本 7本 2本 平日
19本 19本 22本 22本 22本 21本 22本 7本 2本 土曜日
19本 19本 21本 21本 22本 21本 22本 7本 2本 日祝日
上り 20本 20本 21本 22本 22本 20本 22本 6本 2本 平日
20本 20本 21本 22本 22本 20本 22本 6本 2本 土曜日
20本 19本 19本 21本 21本 19本 21本 6本 2本 日祝日
豊橋〜飯田は特急を除いた本数。岡谷〜上諏訪・茅野は飯田線との直通列車の本数。

 まず列車種別としては、「特別快速」(以下「特快」)と「快速」が走る。
 特快は豊川、新城、本長篠発着で、豊橋からは東海道本線に乗り入れて名古屋、大垣方面へ直通する。朝ラッシュ時は豊橋・名古屋方面、夕ラッシュ時は新城

豊橋〜豊川は複線であるため結構本数が多い。

朝夕は10分毎、昼は15分毎に走っている。

日中は2本に1本が豊川以北に行き、それは船町、下地を通過する。

よってこの2駅だけは豊川発着の列車のみ停車し30分毎となる。

豊川〜本長篠は終日だいたい30分〜1時間毎に走る。

新城までは30分毎であるが、新城止まりも数多く設定されている為、新城〜本長篠は1時間間隔が開くことがあり、利用しにくくなる。

前述したように、この列車は日中は船町、下地を通過する。

本長篠を過ぎると、1〜3時間間隔という超過疎ダイヤになる。

乗降客数を見ればうなずける気もするが、中には乗降人員の多い駅もありそこでは不便極まりない。

天竜峡からはまた本数が増え、日中でも30分〜1時間程度の頻度で走っている。

飯田で止まるものが半数以上を占めるが、ほとんどの列車が始発と接続している。

飯田からは日中1時間に1本程度の割合である。

飯田以北には、駒ヶ根、伊那市という比較的規模の大きな駅もある。

ここを始発駅、終着駅にする列車はほとんどないが、朝には伊那松島発、伊那福岡着などの区間列車も走る。

ただ、この区間にしても本数は多くない。

これは中央道が平行して走っており、中距離以上の乗客のほとんどを奪われてしまったからである。

しかし飯田、駒ヶ根、伊那市、岡谷への求心力も短距離客を中心としてそこそこある。

中距離客のほとんどを奪われたといったが、飯田線にもとりあえず快速と特急というものが、飯田を境にして南北両方向に走っている。


特急は「伊那路」と称して、豊橋〜飯田を結ぶ特急として設定されている。

373系1編成3両で1日2往復設定されているが、多客時には増発もなされ、3.5往復になり、飯田から駒ヶ根まで延長されるものもある。

快速は愛称のないものもあるが、「みすず」という愛称がついたものが1日3往復、伊那谷と諏訪盆地・善光寺平を結んでいる。

しかしカーブが多く、勾配もきつい区間がある(JR最急勾配40‰)など、線形が悪く遅い。

また停車駅も一定でなく、途中から各駅停車に変わったりするものもあり、中にはほとんど抜かさず、飯田線内は各駅停車というのもある。

以下にそれらのデータを載せておく。

下り
区間
列車名
距離
所要時間
表定速度
停車駅数中間駅数
備考
駒ヶ根〜岡谷

39.6

62分

38.3

11/17
飯田〜長野
みすず

176.9

229分

46.3

27/54

岡谷〜松本各停

天竜峡〜長野
みすず

190.1

4:12

45.3

59/63

姨捨、今井、川中島、安茂里のみ通過

飯田〜上諏訪

84.4

2:12

38.4

14/36
飯田〜長野
みすず

176.9

3:28

51.0

33/54

飯田〜上片桐、塩尻〜聖高原各停

豊橋〜伊那大島

143.2

3:45

38.2

47/66

水窪〜伊那大島各停

豊橋〜新城

21.6

0:26

49.8

1/10

データは飯田線内のみ

豊橋〜飯田
伊那路1号

129.4

2:24

53.9

8/58
豊橋〜飯田
伊那路3号

129.4

2:26

53.2

8/58
上り
区間
列車名
距離

時間

表定速度

停車駅数中間駅数

備考
長野〜飯田
みすず

176.9

3:33

49.8

26/54
長野〜天竜峡
みすず

190.1

5:07

37.2

60/63

姨捨、冠着、みどり湖のみ通過

長野〜飯田
みすず

176.9

3:32

50.1

29/54

篠ノ井〜松本各停

上諏訪〜飯田

84.4

2:32

33.3

26/36

上諏訪〜辰野、駒ヶ根〜飯田各停

新城〜豊橋

21.6

0:23

56.3

1/10

データは飯田線内のみ。豊橋からは普通。豊橋からの表定は56.8(平日)

駒ヶ根〜豊橋

165.7

4:21

38.1

50/76

駒ヶ根〜平岡各停

飯田〜豊橋

伊那路2号

129.4

2:29

52.1

8/58
飯田〜豊橋
伊那路4号

129.4

2:24

53.9

8/58
この他にも、千代、金野、田本、為栗、中井侍、小和田、出馬、池場、柿平のいずれかを通過する普通もある。


これを見ていると、特急を含め快速がいかに遅いかが分かる。

大垣直通の快速は、飯田線内は豊川しか止まらず速いように見えるが、実際は各停の区間である豊橋〜大垣の方が速い。

特急と同じくらいかそれ以上に速いのもある。

これでは特急として料金を取るのはおかしいことになってしまう。

また中には3,4駅を通過するだけで、快速「みすず」を名乗っているというとても快速とは呼べない快速もある。

とにかく遅くて停車駅はバラバラ、更に本数が少ないということもあって、非常に利用しにくいし、このままではとても増客増は望めないであろう。

まずは本数増と停車駅の統一をしなくてはならない。

更に欲を言えば、飯田線内の大幅なスピードアップが必要である。

特急はせめて表定を80キロ近くまで上げたいものである。

そのためには振り子車にする必要があるが、強制振り子には、専用の車両が必要であるし、地上子に情報を読み込ませたりしなくてはならない。

しかもトンネルが多く、車両限界の心配もあるため、小型で重心の低い形式を新しく作る必要が出てくる。

そこまでして元が取れるかどうかが鍵となる。

そうでなければ、飯田以南にしても以北にしても、停車駅を絞って統一し、パターンダイヤにした快速をもっと設定する必要がある。 

  

車両

特急車両として静岡運転所所属の373系、

一般車両として静岡運転所所属の119系と115系、長野総合車両所所属の115系が使用されている。

 373系は身延線の急行「富士川」用165系の代替として登場した車両である。しかし実際は、特急用を含めた汎用車両として各停、夜行、急行、特急、ホームライナーに使われていて、身延線の特急「ふじかわ」、東京〜静岡の特急「東海」、飯田線の特急「伊那路」、東海道夜行快速「ムーンライトながら」などに使われている。

飯田に停車中の373系特急「伊那路」


更には東海道本線東京〜静岡の各停にも使用されている。

国鉄時代も特急車両を各停に使用することがあり185系の登場させたが、これはひどい批判を受け、

183系(房総特急)と並んで史上最低の特急車と言うレッテルを張られた。

そんな中で373系は、身延線を走っていた急行「富士川」用165系の置き換えとして平成7年に登場した。

さすがに185系の反省もあったため、性能、車内設備、固定窓、リクライニングシートなど特急車両として主に使うことを意識している。

また、T、T’c車の車端部にはセミコンパートメント席(指定席)も用意してある。

開発にあたっては「標準性」「効率化」「身近で親しみやすい特急」が基本コンセプトとされ、

電装品、制御システムは「しなの」用383系と極力同じシステムを採用し、メンテナンスやコストの削減に貢献している。

編成はMcTT’cの3両編成で、編成単位の増結が可能。また貫通車両のため、増結した時でも通り抜け可能である。

383系と同様に制御方式はVVVFだが、誘導電動機には各停での運転時の加速性能向上のため、383系よりも容量をアップしている。

しかし最高速は110キロに押さえられている。これは、おそらく最初からスピードの出せない飯田、身延線用として作ったためであろう。

ブレーキシステムには回生・発電ブレーキ併用電機指令式空気ブレーキを採用、

M車にはユニットブレーキ、T車にはディスクブレーキを設置した他、山線用として粘着力確保のため踏面ブレーキも装備されている。

また、パンタグラフには383系にも採用され、最近はやり(?)のシングルアームパンタが採用された。

しかし、各停の運用にも耐えられるように、扉は1車両に2つ、それも両開きであり、デッキと客席部分は仕切りはあるもののドアはない。

更に3両固定編成で、指定席1両、自由席2両と、グリーン車がついていないなど、特急車としてはいささかグレードが落ちるのは否めない。

「伊那路」、「ふじかわ」、「東海」にグリーン車は必要ないが、「ムーンライトながら」にはやはりほしい。

また、デッキとの仕切りがないため、冬のムーンライトなどは、ドア付近は寒くなる(私も経験)。

やはり、特急と各停の運用を1つの車両で行うの無理があるようだ。

クモハ373
サハ373
クハ372









10
11
12
13
14









10
11
12
13
14









10
11
12
13
14


119系は国鉄末期、旧型車を淘汰するために105系を基本に作られた。

台車や機器などは廃車となった101・103系などのものを使っている。

形式はクモハ119とクハ118の2形式のみである。

昭和56年の第3時債務で30両、57年の第1時債務で27両の計57両が作られた。

昭和61年には、静岡付近でフリークェント運転が開始され始め、8編成16両が塗色も新たに「するがシャトル」として運転された時もあった。

これらの列車は後に冷房改造されている。

2両固定編成であったが、後に1M車の技術が開発され、

昭和62〜63年にかけてクモハ119系に運転台を取り付け閑散線区用として単行編成のものも作られた。

また昭和63年には、現在のJR東海色に変更した車両も現われ始めた。

平成元年には「するがシャトル」が飯田線に復帰、

同年にインバータークーラーおよびコンバータ登載を開始し、原番号+5000番に改番され、同時に東海色に改められた。

105系は4扉ロングシートであるが、119系は飯田線用に3扉で、113系のようにセミクロスシートとなっている。

制御は当然の事ながら国鉄標準の抵抗制御となっており、モーター出力も110kwと山線用にしては力がない。

最高速度は110キロだが出力が小さく、また駅間距離が短く、制限速度も多いため、飯田線内では90キロを出すのが精一杯である。

パンタグラフはトンネル断面積の関係で少し小さいものを使用している。

何しろ足回りが101・103系のものを使っており、スピード、加減速などはかなり悪い。

またモーターの出力も物足りない。

また外部は56年製だからまだいいが、機器はそれ以前に廃車になったものを使っており、もはやガタガタである。

そろそろ更新時期であるとも言える。

313系の置き換えで忙しかったが、こちらは一段落している。

しかし静岡地区にはまだ113系が残っており、新幹線の100系の置き換えなども今後加速することになる。

そのため、もうしばらくは使われるのではないだろうか。

クモハ119-5000
クハ118−5000
5001
5003
5005
5008
5012
5014
5016
5025
5029
5030
5031
5032
5001
5002
5003
5006
5008
5009
5010
5017
5021
5022
5023
5024

クモハ119-5300
クハ118−5300
5318
5320
5321
5324
5311
5312
5313
5316

クモハ119
クハ118

10
11
22
23
26
27
28



14
15
18
19
20

クモハ119-5100
5101
5102
5103
5104
5105
5106
5107
5108
5109


115系は113系の山線用として作られたものである。

基本的には113系と同じであるが、急坂を一定速度で下ることのできる抑制ブレーキを備えている。

座席などは、国鉄時代のあのガチガチの席から改善されつつあるが、何しろ元の足回りが悪く、そろそろ更新時期にきている車両も多い。

カラーリングは静岡運転所のものが湘南色、長野総合車両所のものが新長野色となっている。

新長野色はフォギーグレーをベースに窓周りにはアルパインブルーとファンタジーバイオレットの帯となっている。


快速「みすず」に使用される。(飯田駅留置線にて)

クモハ115
モハ114
クハ115
1039
1080
1082
1520
1524
1525
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橙色の数字は静岡運転所所属の車両、黒色の数字は長野総合車両所所属の車両。

 

将来

このまま推移していくものと思われる。

中央道の利便がよすぎるため、飯田〜名古屋・長野はお手上げ状態である。

更にまだ先のことではあるが、浜名湖あたりから飯田へ抜ける三遠南信自動車道の建設もあり、うかうかしていられない。

しかし、かつて計画、工事中であった中津川線の復活という話もありうる。

昭和42年に着工され、国鉄再建法により昭和55年に凍結された中津川線は、

中央道と同じルートで、中津川〜飯田を恵那山の真下を抜ける37キロの路線である。

全線単線電化で、石勝線のように信号場を多くして、特急中心として運行する予定であった。

現在はトンネルの一部や多少路盤などが残っているのみである。

他には、佐久間レールパークなどを中心として、旧型車・トロッコ列車の運行など、アミューズメント的なことを実施していくことになるだろう。

改善点

はっきり言って、現在は鉄道ファンのためにあるような路線である。

これを普通客の利用に転化させるのはかなりの荒治療が必要になってくるであろう。

まずさっきも言った通り、中津川線の建設である。

名古屋〜飯田はかなりの利用者がいるが鉄道利用者は皆無である。

新快速と「伊那路」を使って3時間半かかるようでは話にならない。

高速バスでも2時間〜2時間半である。

料金も2350円と当然バスの方が安い。

中津川線を建設すれば名古屋〜飯田は格段に速くなる。

中央本線は現在は130キロが最高、中津川線は途中の神坂トンネル(中央道で言う恵那山トンネル。とっても長い。)で160キロ運転ができる。

しかし北越急行で160キロ運転がいまだできないのは、単線トンネルを列車が通る時、風圧などの関係で霧が発生してしまうからである。

複線トンネルでは断面積が大きいのでこの心配はないが、神坂トンネルはこの点を注意する必要がある。

現在の名古屋〜中津川の最速「しなの」は44分、中津川線は160キロ運転をすれば20分程度で走れる。

これで名古屋〜飯田は1時間5分〜10分程度とすばらしいスピードアップになる。

これでバスからシフトする客も現れてくると思われる。


と書いてる端から、中津川駅前〜飯田に「いいなかライナー」というJR東海の高速バスが走り始めた。

1日11往復。

うち9往復が「淀川」「三菱工場前」「馬籠」「駒場」「伊賀良」という5つの停留所に停まり、

所要時間は飯田駅行きが49分、中津川駅行きが54分(始発は49分)と結構速い。

残りの2往復は「淀川」「三菱工場前」「馬籠」「園原」「昼神温泉」「阿智」「伊賀良」という7つの停留所に停まり、

所要時間は飯田駅行きが63分、中津川駅行きが68分となっている。

飯田駅行きの1号は中津川駅7:15発と早いため、名古屋からは朝一の列車に乗っても間に合わない。

中津川駅行きの2号は飯田駅5:36発で、中津川において11分で快速に接続し、名古屋7:53着となっている。

3・5・19・21号と4・6・20・22号は中津川において特急「しなの」と、それぞれ14〜17分、7〜8分で接続している。

名古屋方面から飯田方面へ向かう方が接続時間が短いのは、列車の定時性のためであろう。

逆に飯田方面から名古屋方面へ向かう場合は、バスが少し遅れることもあるので接続時間は長めに取ってあると言える。

最速は「しなの」1号・「いいなかライナー」3号乗り継ぎの1時間43分となっている。

名古屋方面から飯田方面へ向かう時は1時間43〜44分、1本は昼神温泉経由のために1時間58分かかる。

飯田方面から名古屋方面へ向かう時は1時間57分〜2時間となっている。

それ以外の日中のバスは「セントラルライナー」と接続する。

名古屋方面から飯田方面へ向かう時は中津川で7〜8分の接続、名古屋〜飯田を1時間59分(1本は昼神温泉経由のために遅くなる)。

飯田方面から名古屋方面へ向かう時は中津川で14〜19分の接続、飯田〜名古屋を2時間13分(2本は昼神温泉経由のために遅くなる)。

できた当初は特急「しなの」と接続していて、1時間43分で結ぶものがほとんどであったが、

「セントラルライナー」の設定に合わせて、これと接続するようになったために遅くなってしまったのは残念である。

バス料金は中津川駅〜飯田駅で1090円となっている。

名古屋〜中津川の運賃+「しなの」自由席料金は2430円だからバスと合わせて3520円、

同じく運賃+「セントラルライナー」指定席料金は1590円だからバスと合わせて2680円となる。

いくら(名鉄)高速バスが名古屋や春日井あたりで渋滞につかまり遅くなりやすいとはいえ、特急を使った時に1000円以上差ができるのは痛い。

しかし「セントラルライナー」と接続することにより随分と差が縮まった。

しかし、その分所要時間は遅くなったし、中津川での乗り換えが必要になるという欠点がある。

そこで有効期間3ヶ月、6枚セットの「しなの&バス回数券」(繁忙期は使用不可)や「ライナー&バス回数券」というものもある。

6枚(つまり3往復)で前者が12000円、後者が10200円。

1枚2000円(通常料金の43%引き)、1700円(通常料金の35%引き)となり、高速バスよりも安くなる。

「ライナー&バス回数券」に300円プラスすると「しなの&バス回数券」にすることもできる。

ただし「しなの&バス回数券」で「セントラルライナー」に乗ることはできるが、差額は払い戻されない。

だったら「しなの&バス回数券」は不要のように思えるが…

これは6枚セットで個人での利用は難しかったが、「ライナー&バス往復割引きっぷ」というものもあり、有効期間4日間で3800円となっている。

こちらもプラス300円で「しなの」に乗ることもできる。

中津川線の建設よりも安くこれでいいとも言えるが、所要時間については少々不満が残る。

やはり「しなの」と「セントラルライナー」それぞれに接続するバスが欲しいところである。

急いでいる人は300円プラスして「しなの」で、安く行きたい人は「セントラルライナー」で、というように分ける必要があるのではないか。

問題は「いいなかライナー」の設定によって飯田線沿線の活性化がなるかである。

それにはやはりバスとタイアップして、せめて飯田〜天竜峡の本数を増やしたり、中央本線と飯田線の運賃を通し運賃にする必要がある。

「いいなかライナー」の設定で特急「伊那路」は必要なくなるようにも思われるが、今度は静岡・浜松とタイアップすればいいのではないか。

現在、静岡と長野方面を結ぶ交通はこれくらいしかない。

それほど需要はないとは思われるので、本数は現状に1、2本増発でいいであろう。


それよりもむしろ飯田〜長野の運転本数を多くすれば県内の南北交通も便利にある。

しかし飯田〜長野は高速バスが揺るぎないものになっているし、飯田線は線形が悪く、振り子車にしてもそれほどスピードは出せない。

ならば飯田〜長野の長距離の方は高速バスに譲り、もう少し短距離客を狙うべきであろう。

天竜峡〜飯田〜岡谷は現在1時間に1本の各停のみで非常に利用しにくいので、もっと快速を頻発させるべきである。

1時間に快速1本、各停1本くらいの設定はほしい。

また快速の停車駅をもっと少なくし、同じ停車駅にする必要もある。

停車駅は1日1000人以上の乗降がある駅を目安にして停車させる。

岡谷から先は塩尻、松本、明科、聖高原、篠ノ井、長野とするのが望ましいが、松本より先の篠ノ井線は単線区間がほとんどで駅間距離が長い。

篠ノ井線には現在、1時間に特急「しなの」1本、各停もしくは快速が1本走っているが、この間にもう1本快速をはさむ余地がない。

松本〜冠着に関して言えば、複線化はそんなに大変ではないと思えるが、東日本の持ち物であるためにそんなに力を入れていない

(一説に東日本と東海は犬猿の仲であるという噂もある)。

そのため、快速「みすず」を塩尻か松本発着にして、特急「しなの」と接続させるのも手である。

また飯田、伊那大島、駒ヶ根、伊那北では、快速に合わせて区間列車の接続をすればもっと便利になる。

しかし単に停車駅を少なくするだけではいけない。

飯田線には一線スルーになってない駅も多く、そこで極端な制限速度を受けることも多い。

現在はCTC化されているものの、スプリングポイントにして進入路を固定している駅も数多くある。

これも直さなければ1駅通過ごとに30秒程度しか差が出てこないだろう(普通は1駅通過するごとに1分以上短縮できる)。


伊那谷の沿線人口はそれなりにある。

飯田市10.6万、伊那市6.2万、駒ヶ根市3.3万人の3都市を中心として、辰野町や箕輪町など2.3万人ほどの町もある。

これだけの沿線人口をほおっておくのはもったいない。

伊那市以北は諏訪地区の通勤圏とも言え、中央道は諏訪湖の南側を通るために諏訪市街から少し離れているから、飯田線が入り込む余地はある。

また飯田前後でもそれなりの乗降人員を誇っており、多客時間帯は区間列車を設定してもいい。

上記のことを考えると、以下のようなダイヤを組める。

1時間に天竜峡〜辰野〜岡谷〜塩尻〜松本の快速を1本設定し、停車駅を天竜峡、時又、伊那八幡、鼎、飯田、

伊那上郷、元善光寺、市田、伊那大島、飯島、駒ヶ根、宮田、沢渡、伊那市、伊那北、伊那松島、辰野、岡谷、塩尻、松本とする。

各停は天竜峡〜辰野〜岡谷〜塩尻・松本の全線通しを1本、

また天竜峡〜飯田〜伊那松島の区間列車を1本と

駒ヶ根〜伊那市〜辰野〜岡谷〜上諏訪・茅野の区間列車を1本設定すれば、伊那盆地北部を中心に相当競争力がつくと思われる。

車両は313系の進出で出番の少なくなった117系を投入するのも手である。

4両編成で2扉、転換クロスシート、トイレ付きと、車内設備に関しては文句はない。

かつては回転クロスシートを装備した169系を使っていたが、現在では115系にグレードダウンしてしまっている。

117系は陳腐化しているが、現状の169系よりは格段にいいはずである。

天竜峡以南ではトンネル断面の関係で使えない恐れがあるが、以北限定の使用にすれば問題はない。

上記のことを行うには、

1.鼎駅の行き違い設備復活と、

2.下市田駅の行き違い設備新設、もしくは高遠原〜七久保の複線化を行う必要がある。

1については鼎駅の相対ホームが残っていることからも比較的容易にできる。

2については、下市田駅の行き違い設備を新設した方が複線化よりも安く済むのは当然である。

快速は時又、市田、飯島、伊那、そして岡谷で行き違いをすることになる。

本来なら時又に快速が停まる必要はないと思われるが、行き違いの都合上、無駄な運転停車をなくして少しでも乗客を増やすことにする。

下りの各停は伊那北で、上りの各停は飯田で快速と緩急接続する。

天竜峡〜伊那大島の区間列車は、下りが飯田で緩急接続を行い、上りは緩急接続をせずに走り抜ける。

逆に駒ヶ根〜岡谷の区間列車は、上りが伊那北で緩急接続を行い、下りは緩急接続をせずに走り抜ける。

これにより、今よりも若干待ち時間の多い各停になってしまったが、快速は今よりもだいぶんスピードアップする。


10分目ダイヤ使用。
赤線は快速。黒線は天竜峡〜岡谷の各停。
水色線は区間各停で、時間帯によっては運休。


さて三信区間は難しい。

本長篠〜天竜峡の途中駅で1000人を越える駅はない。

かつていくつかの駅は1000人を越えていたが、他のローカル線と同じようにかなり利用者が減ってきている。

三河大野、湯谷温泉、浦川、中部天竜、水窪、平岡、温田などが400〜800人程度、その他はそれ以下の乗降客である。

中には小和田、為栗、田本、金野など利用者が1桁という所もあり、いかに山深い所を走っているかが分かる。

その点で言えば現状の本数で妥当とも言える。

しかし乗降客の多い駅や通しで乗る人にとっては不満も出てくる。

特急に乗れと言わんばかりのダイヤであるが、その特急も1日2往復では利用しにくい。

やはり快速運転が必要になると言えよう。

豊橋〜飯田を上記した駅を中心にして停め、できれば1時間に1本程度、特急が間に入る時は2時間間隔で設定してほしい。

車両については119系1両でも十分であろう。

乗客がそれで増えてこれば2両編成、更には313系2両編成快速専用車を新造してもいいのではないか?

快速ではスピードアップは望めないが、特急を導入してもあの線形ではスピードアップはなかなか難しい。

だから快速だけでもフリークェントに運転する必要があるのであると思われる。


特急「伊那路」は今まで言ってきたように遅い。

これは線形の悪さ、路盤の悪さ、駅改良(一線スルーなど)がなされていないためである。

車両だけよくなってもスピードアップ効果は低いと言うことを示したいい例にもなってしまった。

今後は、これらの改良が必要になってくるだろう。

とは言えそれに投じる額は並み半端なものではない。

1分のスピードアップに何十億もかかる。

特にトンネル内のカーブを直すことは不可能である。

カントの向上しか手段はなく、それと同時に車両限界の問題でトンネルを削って大きくする必要があり、百億単位になってしまうだろう。

残念ながら飯田線三信区間にそこまでする価値は見出せない。

しかし今後開通するであろう三遠南信自動車道は脅威である。

そのためにもトンネル外の区間を徐々にでもいいから、改良していかなければ廃線の憂き目にも遭いかねない。

そうしなくても車両を振り子式にすることくらいはできる。

「しなの」用383系でもいいが、さっきも言った通りトンネルでの車両限界があるから、おそらく無理であろう。

ここ専用の低重心、小型の車両を作る必要が出てくるだろう。

車両は1両1億強。

現状のように2〜3.5往復のダイヤであれば、3両編成が5本あれば足りる。

多く見積もっても20億程度あれば作れるはずである(これ書いてるうちに金銭感覚が狂いそう)。

強制振り子にするなら地上子の設置も必要になるが、トンネル工事よりもはるかに安く済む。

そうすれば表定速度で快速に負けるなんて情けない話はなくなり、表定速度80キロ毎時も夢ではなくなる。

できればこの車両を身延線特急「ふじかわ」にも投入してほしい。

こうすると373系は不用になってしまう。

しかし再利用先はいくらでもある。

関西本線、伊勢鉄道、参宮線が今後電化された時に、快速「みえ」として使うこともできるし、

現在優等列車が走っていない静岡地区に快速として投入することもできる。

私が快速にこだわるのは特急とするにはやはりグレードの落ちる車両だからである。

現在でも各停として好評を得ているのだから、静岡では120キロで快速運転をして、新幹線「こだま」の補完列車とすべきである。

現在「こだま」は増発のお邪魔虫になっているから、思い切って1時間に1本くらいにして、在来線を活用するなんてことも…!?


飯田線の活性化はとにもかくにもスピードアップの一言に尽きる。

せめてこの程度くらいしなければ今後の見通しは暗い。

(私は飯田線をけなしているのではなく、こよなく愛しているからこそ、こういった提言をしているだけです。)