Part1
わが人生最大の過ち!?
キックボクシングとの出会い→北星ジムとの遭遇
なんでキックを見だしたのかさっぱりわかりません。格闘技に関する漠然とした興味から「格闘技通信」を読み出して、それで…ってとこでしょうか。バイト先にキックが好きな人がいたこともあって、一緒にNKホールで行なわれた「立嶋 対 前田」を見に行ったのが、初のキック観戦でした。
このころの私は、自分の普通さにイライラしていたような状況でした。一応、リトルリーグ時代は、全国準優勝投手という肩書きがあって、まあ高校もそれなりのところで野球をやってました。安っぽいプライドみたいなものはあったかもしれません。
大学に入って野球をやめて、普通の大学生になりました。自分の中ではまだ野崎勇治はヒトカドの男だったのですが、昔のことを知らない人にとってはフツウの人。周りのそういう扱いが、かなり悔しかった記憶があります。畑山隆則が、ボクシングを始めた動機として「自分がどれほどの男か見てみたい」と言っていましたが、まあ同じような気持ちはあったんでしょうか!?「自分では自分を凄いと思っていたが、周りは凄いと言ってくれない。自分でも自分を凄い男だと断言する自信がなくなってきた。だったら、一番厳しいもの=格闘技でそれなりのことをやれれば文句ないだろ!……」
と思ったのです。そのころは「他人に認められたい」気持ちが無茶苦茶強かったのですが、最近はそういうのには疲れ気味。自己満足で十分かなぁ、という気持ちも少しあります。ただ、お金を払って観に来てくれたお客さんには、それなりのものを見せる義務があるとは思っています。
●初めての後楽園ホール
さて、そんなイライラモードの時に観たのが、立嶋の試合でした。異常なまでの自己顕示欲の強さは、当時の私の壺にはまりました。以降、後楽園での立嶋の試合は欠かさず見に行くことになります。
初めて観戦した後楽園でのキック興行のメインイベントは、立嶋対リューファット。しかし、この試合にも感動はしたのですが、もう一人記憶に残った選手がいました。延藤直樹師匠です。対戦相手は杉本金太郎でした。この試合は怪我での長いブランクからの復帰戦だったようですが、そんな事情などわかりません。ただ、周囲の雰囲気を震えさせる眼光とたたずまいは、「この選手何かが違う!」と思いました。このとき初めて、私の脳味噌に「東京北星ジム」がインプットされたのです。
これがダイナマイト延藤
こうしてキックにはまっていったわけです。この時点でジムに入っていれば、また違った人生になっていたのでしょうが(良くなったのか悪くなったのかわかりません)、ちょうどそのころは就職活動が始まるころ。それどころではありません。
私の希望進路はマスコミ。そんな簡単に入れるもんじゃあありません。1日22時間くらい就職のことを考えて、あとはちょこっとキックと、ほんのちょこっと好きな女の子のことを考えていた(ここ笑うところ)ってとこでしょうか。●人並みに就職活動
マスコミを40社くらい受け続け、落ち続け、ようやく決まったのが、現在働いている●●●●出版社。ここは最寄り駅が御茶の水。「ゲ、大学時代と変わらんやんけ!」と思ったが、このとき「今度は下町に住んでみっか」と思いました。
大学時代は京王線の明大前に住んでいました。活動の中心は新宿や吉祥寺で、まったくと言っていいほど、下町方面へは行ったことがありませんでした。「せっかく東京にいるのだがら、一度下町にも住んでみよう」と思ったのです。あと、ずっと転勤族で落ち着いて一カ所に落ち着いたことがなかったので、「ちょっとふるさとの香りのするところにでも…」(キザ?)とも考えました。
「そういうとこってどこだ?」と考えて、頭に浮かんだのが現在住んでいる「柴又」だったのです。住処を決める上でもう一つ重要な条件がありました。「近くにキックのジムがある」ことです。私は全日本キックのパンフレットと、地図を取り出し調べました。そして通勤途中の綾瀬にジムがあるのを見つけました。「東京北星ジム」。「あ〜あの怖そうな……、そうたしか延藤っていう選手がいたジムだ」。このころは選手になろうなどとは考えていなかったのですが、やっぱ強い選手がいるところでないと……ということで、私の柴又移住が決まったわけです。