山下長者屋敷跡
所在 平塚市山下
交通 JR東海道本線平塚駅よりバス下万田下車
歴史 山下長者屋敷は平安時代末期もしくは鎌倉時代初期頃に造られた館跡で、一説には宮内判官
長家もしくはその一族が所有していたとされている。
下って永正七年(1510)、権現山合戦において北条早雲(伊勢新九郎長氏)は住吉要害に篭もった
とする文書が残されているが、その住吉要害こそこの山下長者屋敷とする説がある。
また、永禄四年(1561)、越後の上杉謙信は後北条氏の本拠小田原城を攻めるが、『甲陽軍艦』
には「高麗山のふもと、山下と云所に陣を取」とあり、この山下長者屋敷もなんらかの形で利用され
たのではないかと考えられている。
屋敷跡の土塁と説明板
土塁は今もその高さを遺す
土塁内部は住居地のため立入不可
一言 山下長者屋敷跡は平塚市街より西、約3kmの地に位置する。
屋敷跡内部は民有地及び住居地のため入ることはもちろん不可能であったので、周囲の道路に
沿って遺構を見学した。
特筆すべきは屋敷を囲む土塁跡であり、高いところで約2.5mもの高さを今でも遺している。
なお、山下長者屋敷跡の近くには、仇討ちにより刑死した曽我十郎祐成の愛妾・虎御前が閑居した
と伝えられる『虎女住庵の跡』が残っている。
虎御前の石碑
虎御前を奉った祠