矢部氏居館跡
所在 神奈川県相模原市上矢部五丁目
交通 JR横浜線・矢部駅より徒歩20分
歴史 鎌倉時代初期、武蔵国一帯では武蔵七党が勢力を誇っており、その武蔵七党の
一つである横山党の一族、横山新大夫孝兼の孫の義兼は野部(やべ)三郎を名乗り、
この地に居を構えていたという。
義兼は建暦三年(1213年)5月の和田合戦に参加し、他の横山党の一族と共に討死
したとされている。
矢部氏居館跡土塁跡
一言 矢部氏居館跡は現在、住宅地に転用されて一画に土塁跡を残すのみである。
居館跡は住宅地に転用され、土塁以外の遺構は消滅