戸倉城跡

所在  静岡県駿東郡清水町下戸倉

交通  JR東海道本線沼津駅よりバス神社前下車

歴史   戸倉城は室町時代後期、北条氏綱により築城されたとされる。永禄

      十一年(1568)から元亀二年(1571)には、駿河に進出した武田信

      玄がしばしばこの戸倉城に攻め入り、北条氏との間でこの戸倉城を巡

      る争奪戦を繰り広げる。

      天正五年(1577)、当時の武田氏当主勝頼は、この地より北西約

      2kmのところに三枚橋城を築き、そこを本拠にこの戸倉城を攻めた。

      城将の笠原新六郎をはじめ城兵はよく守ったが、天正九年(1581)

      戸倉城はとうとう武田氏の掌中に落ちる。

      天正十年(1582)、武田氏滅亡により戸倉城は再び北条氏の持ち城

      となるが、豊臣秀吉により天正十八年に始まった小田原征伐の折、戸

      倉城は無血開城、城兵は韮山城に退いたという。

        戸倉城遠望

        本城山公園として整備

一言  城跡は現在、本城山公園として整備されている。

     標高75mの本城山山頂に東西40m・南北30mの平場が残り、ここ

     が本丸部分とされる。現在、本丸の周囲には柵が設けられているが、

     当時は土塁が巡っていたという。また、その柵があるので直接行くのを

     避けたが、本丸東側を覗くと帯曲輪が確認できた。そのほか平時、城主

     の居館があった麓の龍泉寺からこの頂上にかけて土塁・土橋・空掘・小

     規模曲輪などの遺構が残る。 

     なお、この戸倉城は武田氏との戦時、北東約1kmにある泉頭城と船で

     連絡をとり、物資の運搬を行っていたという。

       山頂削平地      

       草木に覆われた遺構

      

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