茅ヶ崎城跡(相模)
所在 横浜市都筑区茅ヶ崎東2丁目
交通 横浜市営地下鉄センター南駅下車徒歩15分
歴史 茅ヶ崎城の築城年代に関する説は主に2つあり、一つは室町中期以前(十六世紀以前)に
上杉氏による築城説、もう一つは上杉氏に替わって相模を掌中に収めた後北条氏による
十六世紀以降の築城説である。
いずれにしてもこの茅ヶ崎城はこの地より約4km南に位置する小机城の支城として整備され、
北条氏綱は小机衆の坐間氏などを城代に置いたといわれている。
後北条氏による相模統治が確立し、その勢力が関東一帯に広がるにつれ茅ヶ崎城の重要性
は薄れ、主だった改修がなされないまま廃城を迎えたとされている。
なお、廃城は小田原の役が起こった天正十八年(1590)前後と考えられている。
茅ヶ崎城跡遠望
茅ヶ崎城主曲輪跡
ニの曲輪跡
一言 茅ヶ崎城跡は開発進む港北ニュータウンの一画に位置する城跡である。
比高約20mほどの丘城で、城跡の北側には早淵川が流れているが当時は天然の堀として
活用していたと考えられる。
縄張り及び遺構の残存状況であるが、4つの曲輪・土塁・虎口等の遺構が確認できた。特に
主曲輪とニの曲輪を分断する堀切はその深さを遺している。
土塁跡
堀切部
なお訪れたのは1〜2年前。
今、茅ヶ崎城跡は整備されたとか、されないとか。
訪問時は特に整備されておらず草木が生え茂る状態であったが、それでも遺構は容易に確認
する事が出来るほど残存度合の高い城跡であった。