駿府城跡

所在  静岡県静岡市駿府公園

交通  JR東海道本線静岡駅より徒歩15分

歴史   城は駿河守護職今川範政が応永十一年(1404)、この地に館を

      構えたのが始まりとされる。その後、今川氏の本拠として繁栄し、

      駿府は「東の京都」と称されていた。今川義元敗死により今川氏の

      家運が傾くと、当主氏真は駿府を捨て掛川城に逃亡する。城下町

      は武田信玄の兵火により焼失したという。

      天正十年(1582)に武田勢を追放した家康は、同十三年夏、家臣

      の松平家忠に命じ駿府城の大改築を命じる。

      その後家康の関東入府により中村氏・内藤氏が城主となるが、江戸

      幕府開幕後、秀忠に将軍職を譲った家康の隠居城として使用される。

      元和ニ年、この城で家康が没すると、徳川頼宣・忠長が城主となるが、

      忠長が改易されると幕府の直轄地として旗本が城代を務めた。

       本丸は公園として整備

       再建された巽櫓

       再建された東御門

一言  現在、駿府城公園として整備されている。

     駿府城の近辺には県庁・市民会館・裁判所・税務署が建ち、現在も市の中

     心として機能している。

     家康による大改築当時、天守閣も建設されたが2度にわたり焼失し、幕府

     直轄地として旗本が治めた事から、とうとうそれ以降天主閣は再建されなか

     ったという。

      駿府城中堀(南側)

      駿府城中堀(東側)

      駿府城内堀

    (2003.10.6追記:静岡在住の大橋様より東御門・各堀名・堀の方角に関する御指摘をいただき訂正を入れました。

     大橋様に感謝申し上げると共に、誤述に関して心よりお詫び申し上げます。)

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