河村新城跡
所在 足柄上郡山北町川西
交通 JR御殿場線谷峨駅より徒歩50分
歴史 河村新城の築城年については不明であるが、後北条氏が甲斐武田氏の侵攻に備えて築城
したと考えられている。
甲駿国境の地に位置するこの河村新城では度々攻城戦が行われ、永禄十二年(1569)には
武田信玄により湯ノ沢城・足柄城・深沢城とともに落城したとされ、天正九年(1582)には武田
勝頼の軍勢に攻められたと『寛永土屋譜』に記録が残っている。
武田氏滅亡後も引き続き北条氏の支配化に置かれていたが、天正十八年(1590)豊臣秀吉
による小田原城攻めにおいては徳川家康配下の甲州勢によって落城。城は廃城になったとさ
れている。
河村新城遠望
残された河村新城櫓台跡
櫓台跡削平地
本郭部は茶畑に転用されている
一言 河村新城跡は標高342mの地に築かれた山城で、駿河みち・甲斐みちからの侵入路を監視
するには絶好の地に位置している。
城跡一帯は現在田畑に転用されており、櫓台跡とその北側に残る削平地が城跡として確認で
きる遺構である。なお、櫓台跡には石積みの遺構も確認できる。
降雨時、城跡は霧につつまれる
石積み跡(降雨時に撮影)
土塁跡