下田城跡(鵜島城跡)

所在  静岡県下田市三丁目

交通  伊豆急行線伊豆急下田駅より徒歩15分

歴史   正確な築城年については不明だが、延元ニ年(1337)に記された基

      氏帳(土肥神社蔵)に『本郷氏島城主志水長門守』とあることから、室町

      時代の初期には存在していたと考えられる。

      その後、小田原に本拠を持った北条氏はこの城を北条水軍の拠点の

      一つとして整備し、城代として笠原能登守を入城させる。

      天正十六年(1588)豊臣秀吉との関係が悪化する中で、北条氏政は

      伊豆衆筆頭の清水上野介康英を水軍の総大将に任命し、下田城の守

      備に当てさせる。さらに高橋丹波守や江戸摂津守らも入城させ臨戦体

      制を整えさせた。

      天正十八年(1590)三月、いよいよ秀吉の小田原征伐が始まると、この

      下田城も脇坂安治・長曽我部元親らに率いられた水軍によって攻められ

      る。他の北条水軍城が続々と降伏する中、この下田城は康英の指揮の

      もと、よくこれを防いだ。しかし衆寡敵せず五十日後ついに開城。康英は

      河津三養院に身を寄せ翌年病没。

      小田原落城後には家康の家臣、戸田忠次は五千石の禄高で入城するが、

      江戸幕府成立後は幕府直轄の天領地となり、下田町奉行が置かれた。

       鵜島(下田)城石碑

       下田城主郭部

一言  下田城跡は駅の南側、あじさい公園と呼ばれる城山に存在する。石碑に

     は『鵜島城祉』とあるが、『鵜島』というのは幕府時代の小字名らしい。

     下田城は周囲の入江を利用した海軍(海賊)城だったとされ、北条水軍の

     本拠の役割を担っていた。

     遺構として標高60mの主郭の周囲に後北条氏独特の障子堀などが確認

     できる。

     なお、駅の東側の山に「下田城」なる天守閣があるが、あれは美術館(博物

     館)?なのでお間違えのないように。

       障子掘などの遺構がよく残る

       城跡より水軍の船着場として利用された入江を望む

 

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