千福城跡
所在 静岡県裾野市千福
交通 JR御殿場線裾野駅よりバス普明寺下車
歴史 千福城の利用を記した資料は全くないが、『駿河志料』に「古館跡
普明寺の境内ナリ」とあり、「御宿勘兵衛古城アトと云ひ、又一に葛
山氏居なりとも云へり」と伝えている。
御宿氏は葛山氏同様大森氏の一族とされ、大森氏衰退後は今川
氏に属し、東駿地方に進出して来た北条氏綱軍や武田信虎軍と交
戦したとされる。
今川氏が氏真の代となり、永禄十一年(1568)武田信玄により駿
府城を追われると葛山氏は今川氏から離反、信玄配下となり東駿
地方を治める。その後、葛山氏が逆心を起こし、信濃の諏訪で一
族皆討たれると、替わって御宿氏が東駿地方を治めたとされる。
千福城跡遠望
居館跡とされる普明寺
一言 城跡は普明寺の裏山に残り、普明寺の境内も御宿氏の居館跡とされ
る。遺構は西側を通る東名高速道路により一部消滅しているが、中心
はその破壊から逃れて旧態を維持している。
主郭部は普明寺のすぐ裏手の平場と推測できるが、説明板もなけれ
ばその平場に植林がされるなど、なかなか判別に苦しむ。但し、主郭裏
手には雑木林に埋もれながらも堀切・郭・土塁などが良く確認できる。
畑に利用されている郭より主郭部を望む
主郭部には植林がなされ、判別に苦しむ
草木に埋もれた土塁・空掘跡