三枚橋城跡(沼津城跡)

所在  沼津市三枚橋・大手

交通  JR東海道本線沼津駅より徒歩7分

歴史   沼津城の前身となる三枚橋城は元亀元年(1570)、甲斐の武田勝

      頼の命により築かれた。武田氏は当時、この三枚橋城より約2Km南

      東に位置する後北条氏の戸倉城攻略に腐心していた背景もあり、東

      駿地方に楔を打つ意味も兼ね、狩野川北岸にこの城を築城したという。

      戸倉城攻略については城将笠原氏への謀略が功を奏し、武田氏の手

      に落ちることになるが、武田氏の衰退により三枚橋城はそっくりそのま

      ま徳川氏の持ち城となる。後北条氏は韮山城を拠点としてしばしば出

      撃し小競合いを演じるが落城には至らなかった。

      天正十八年(1590)、北条氏滅亡後の家康関東移封により秀吉臣下

      の中村一栄が城主となり、江戸幕府開幕後は大久保氏が城主となるが、

      慶長十九年(1614)、大久保氏に嫡子がなかった事を理由に大久保

      氏は除封、城は破却されたと言われる。

      のちの安永六年(1777)、水野出羽守が沼津藩主として沼津城を再

      興し、沼津は城下町として発展したという。

        沼津城跡(三枚橋城跡)石碑

        石碑の残る中央公園

一言  三枚橋城跡は沼津駅の南側、狩野川沿いに本丸を設けた水陸両用の堅

     固な城であったという。江戸時代に再興された沼津城は、武田氏築城の三

     枚橋城の跡地につくられた。

     江戸幕府倒幕後、沼津城地は民間に払い下げられ開発が進み、現在は遺

     構らしい遺構は残っていない。ただ中央公園の片隅に、沼津城址と書かれ

     た石碑と、大手に位置する銀行の新築工事現場で発掘された三枚橋城時

     代の石組みが残るのみである。

      明治時代に作られた沼津兵学校跡地を記す石碑

      

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