真田城跡(相模)
所在 平塚市真田
交通 小田急線鶴巻温泉駅よりバス真田神社下車
歴史 真田城は平安時代末期、源頼朝に仕え石橋合戦にて戦功を挙げた佐奈田余一義忠の
居館だったとされる地に築かれた城で、室町時代中期に三浦氏により整備・拡張された
という。
真田城の東約3kmに位置する岡崎城は室町時代中期、相模一帯に勢力を持っていた
三浦一族の当主、三浦義同が居城として使用していたことから、この真田城は岡崎城の
支城として利用されていたと考えるのが妥当である。
16世紀に入って西相模の覇権が三浦氏・大森氏より後北条氏に移るとこの真田城の存
在価値は低くなり、天徳寺が建立された天正ニ年(1574)には廃城になっていたとされる。
なお『寛永大森譜』によると、明応四年(1495)伊勢新九郎長氏(北条早雲)の奇策に
より小田原城を追われた大森藤頼はこの真田城に逃れ、3年間に渡り攻防戦を展開した
との記述があるが、他の古文書などによりこの説は否定されている。
真田城遠望
『真田城址 天徳寺』と書かれた看板と天徳寺山門
一言 真田城跡は大根川方面に突き出た舌状台地に築城されていた比高約10mほどの丘城で、
天徳寺がその城地であった。
城跡は寺地となり、また周辺も住宅地となるなど土地の改変が進み、残念ながら遺構は
確認できなかった。
なお、寺地には『与一堂』と、『真田公力石』がある。
城跡に建つ天徳寺本堂
寺地への転用のため遺構は確認出来なかった
与一堂
真田公力石