刑部城跡(おさかべじょうせき)
所在 静岡県引佐郡細江町刑部
交通 天竜浜名湖鉄道気賀駅より徒歩12分
歴史 永禄三年(1560)、今川義元が桶狭間にて討死すると徳川家康は義元の子氏真を見限り三河にて独立、
そののち遠江侵攻を目指す。徳川氏の遠江侵攻に対して地元豪族は徳川氏に抵抗、浜名湖北側周辺に
諸城を築いて家康の侵攻を阻もうとした。この刑部城もその時に地元豪族により築かれた城の一つと考え
られいる。
永禄十一年12月、刑部城は家康軍の攻撃により落城。以降、刑部城は家康臣下であった菅沼氏が守った
とされるが、その詳細は定かではない。
刑部城跡遠望
街道沿いに建てられている説明板
一言 刑部城跡は落合橋の南、県道に面した小山がその地である。
遺構として当時の犬走りや井戸跡が残っているとの事であったが、登城口が解からず残念ながら登城を
断念した。
なお、刑部城には「城主の娘が落城に際して入水し、金襴の蛇に姿を変えた」という『金襴の池伝説』が
残っている。
城跡北側に奉られている神社