小野路城跡
所在 町田市小野路
交通 JR横浜線小田急線町田駅よりバス小野路下車
歴史 承安元年(1171)、この地一帯を治めていた小山田別当有重は町田市小山
田に本城となる小山田城を築く。
有重は小山田城の周囲に支城を築きその守りを固めたが、この小野路城も
それら支城群の一つとされ、その子、二郎重義を配した。
小山田氏は源頼朝鎌倉幕府開幕に尽力し重臣として列せられるが、頼朝死後、
畠山重忠讒訴・虚言のかどにより一族の多くが誅殺されることになる。これに
より小山田氏は没落するが、元弘三年(1333)新田義貞軍従軍するなど史記
に名を現す。
その後、小山田氏は扇谷上杉氏の勢力下となり、文明八年(1476)に起った
長尾景春の乱では小山田城同様、この小野路城も扇谷・山内両上杉軍の拠点
として改修されたという。
小野路城跡遠望
本丸跡に建つ祠
一言 小野路城は本城となる小山田城の約1.5km北東に位置する。
遺構として祠の建っている本丸のほか、二の丸・土塁・空堀等が残る。
現在、小野路城跡は「図師小野路j歴史環境保全地域」に指定されているが、主に
戦国期より前に使用された城のためか、山城にしては遺構がやや確認しづらかった。
(木々により太陽光が遮られ、昼間でも薄暗い。これも確認しづらい遠因でもあるが。)
また地元の人にもこの城跡の存在はあまり知られていないのか、何人かにその場所
を聞いたが一様に「知らない」と言われ、捜索を諦めかけたほど。でも轍の残る砂利道
があったので、もしかして車も通れるちゃんとしたハイキングルートがあるやもしれない。
本丸付近の削平地