二宮城跡

所在  あきるの市二宮東

交通  JR五日市線東秋留駅より徒歩20分

歴史  二宮城跡は武蔵七党の一つ西党の庶流二宮氏の居城跡を、のちにこの地を統治

     した大石氏が接収、居館とした説が有力である。

     大石氏は南北朝期から室町時代にかけて関東管領山内上杉氏の重臣として代々

     武蔵国の目代・守護代の要職を歴任し、関東一円に勢威を振るったとされ、延文元年

     (1356)当主信重の時、この地に居館を構えたとされる。

     その後の大石氏は後北条氏の侵攻に屈し、家督を北条氏康の次男氏照に譲り歴史の

     表舞台から消えるが、その前後に二宮城も廃城になったと考えられる。

       二宮城推定地

       推定地正面(現在は民家?)

一言  二宮城の所在については諸説あり、その地は数カ所にのぼっているが、「神道衆」や

     「私案抄」の記載によって二宮の地に城があったのは間違いないとされている。

     この地も候補の一つとされるが、昭和57年に実施された発掘調査では、室町時代の

     遺物を伴なう建物址の遺構が確認出来たことからこの地を二宮城跡とする説が有力である。

     なお現在この地一帯は開発により市街地と化してその遺構を望むべくもない。ただ地元郷土

     史研究会の建てた説明板が、この地に城跡があったことを伝えるのみである。

 

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