七沢城跡
所在 厚木市七沢
交通 小田急線本厚木駅・厚木バスセンターよりバス七沢城址下車
歴史 七沢城の正確な築城年については定かではないが、室町時代中期の宝徳ニ年(1450)に勃発した鎌倉
公方足利成氏と関東管領上杉憲忠と戦いでは、『憲忠軍がこの城に篭もった』との記録があり、城の成立
もこれ以前とされている。
のち七沢城は扇谷上杉定正に継がれ、定正の兄朝昌が城を守ったとされるが、長享二年(1488)当時
扇谷上杉氏と勢力争いをしていた山内上杉顕定率いる兵に攻められる。この戦いにより朝昌は戦死する
ものの、寡兵をもって山内上杉軍を撃退したという。
その後、七沢城は朝昌の子朝寧・憲勝兄弟へと引き継がれるが、永禄五年(1562)小田原より進出して
きた後北条氏の攻撃により七沢城は落城。以降、七沢城は利用されることなく廃城になったという。
七沢城跡遠望
城跡は現在病院にとなり、遺構は全く残っていない
一言 七沢城跡は現在七沢病院が建ち、遺構は全く残っていない。病院正面に続く坂道の途中に建てられた
石碑と説明板がその地が城跡だと示すばかりである。(以前、石碑は正面玄関前にあったが、いつの間
にか移設されていた)
ただ、病院の敷地は周囲を見下ろす高台に位置しており、背後に山を抱えているなど、城地には適当な
場所だったと思われる。
正面玄関付近に建つ石碑と説明板
以前は病院玄関前にあった石碑