持舟城跡

所在  静岡県静岡市用宗

交通  JR東海道本線用宗駅より徒歩20分

歴史   正確な築城年については不明だが、今川氏が駿府城防衛のため

      に築城したのが始まりとされる。  

      その後、武田氏駿河統治時代には駿河先方衆の三浦兵部義鏡が

      在番し、のちには水軍の将向井伊賀守正重が海賊城として利用した。

      天正七年(1579)持舟城は徳川軍の攻撃を受け、向井以下約40名

      が戦死し、落城したが、何故か徳川軍は一旦引き上げ、それに乗じ

      て勝頼は朝比奈駿河守氏秀に命じてこの城の改修をおこなった。

      天正十年(1582)2月、再び徳川軍に攻められ持舟城は無血開城。

      天下の安定とともに持舟城も廃城となったとされる。 

      持舟城遠望

      持舟城石碑

      本丸跡に建つ廃屋

 

一言  城跡は用宗駅北側の標高78mの山頂に残る。山頂の削平地が本丸で、

     その周囲には帯曲輪が確認出来る。

     山頂近くまで道路が整備されているが、進入禁止の農道なので、歩いて登

     るしかない。山頂に登ると東に静岡市街、南に海と、非常に眺望がよい。

     その南側の海だが、以前はこの城跡の近くまで迫っていたらしく、それ故に

     海賊城として使用されたとの事。

     本丸の削平地には、以前マリア観音が奉られていたが、マリア観音は山麓

     の大雲寺に移され、現在は廃屋が残るのみである。その廃屋が、これまた

     なんとも廃屋然とした廃屋なので夜には訪れたくない。

      城跡から静岡市街を望む

      城跡から太平洋を望む

      

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