水巻城跡
所在 静岡県磐田郡佐久間町中部字平沢
交通 JR飯田線中部天竜駅より徒歩30分
歴史 水巻城は南北朝時代より北遠地方を統治していた奥山氏が、本城である高根城の支城として
築いたとされが、その築城年代は不明である。
室町時代、奥山氏は今川氏の勢力下に置かれるが、戦国時代に入ると甲斐より侵出してきた
武田氏に属し、当時の城主奥山美濃守定茂は武田軍として設楽ヶ原の合戦にも参陣した。
が、武田軍は織田・徳川連合軍の前に大敗。そののちこの水巻城も落城し、奥山美濃守定茂
は信濃に落ち延びたという。
城跡とされる宥泉寺
城域?
一言 水巻城跡は天竜川を目前に望む台地状の地に築かれた城で、現在の宥泉寺がその跡地とされ
ているが、城特有の遺構等が発見されていないため、『宥泉寺が城跡』とする説に疑問視する向き
もある。一説には『宥泉寺は十四世紀の代官屋敷跡』であり、『水巻城は現在の諏訪神社より上の
地にあった』とするものもあるが、いずれにしても明確な事は解かっていない。
佐久間郷土遺産保存館前にある説明板
城跡はこの諏訪神社より上の地にあったとする説も