宮城野城跡

所在  足柄下郡箱根町宮城野

交通  箱根登山鉄道宮ノ下駅よりバス明神平下車

歴史  宮城野城に関する文書記録は全く残っておらず、その成立年代については不明であるが、

     築城者は応永二十三年(1416)に勃発した上杉禅秀の乱において功を立て西相模侵出

     を果たした大森氏と考えられている。

     城の縄張りとしては南北に続く舌状地の尾根に3つの円形曲輪を並べたもので、その形態

     が古態をなしている事から、室町時代中期以前の成立とする説もある。

     なお、北条氏直が豊臣秀吉来攻に備えて構築した宮城野陣場とこの宮城野城は全く別の

     ものである。

       宮城野城城域に建つ説明板

       城域を分断するように埋設された送水管

       送水管により遺構は殆ど確認できない

 

一言  宮城野城跡は早雲山の北、標高約600m程の地に位置する山城で、御殿場から箱根に

     繋がる碓氷道を押さえる役目を担っていたとされる。

     現在、城跡はその城域を分断するように発電用の送水管が埋設され、また北曲輪周辺は

     久野林道建設に伴なう残土捨て場に利用された事から、残念ながら遺構の残存状況は芳しく

     ない。

     なお、城跡へは“碓氷梅園”を目指して行くとよいであろう。

 

       城域の梅園

       城跡(城域)に建つ日本武尊あずまやの碑

 

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