三田氏館跡
所在 国立市谷保
交通 JR南部線谷保駅より徒歩20分
歴史 この三田氏館跡の成立年代・館主については諸説あり、「新編武蔵風土記稿」
では鎌倉時代初期にこの地を治めていた津戸三郎為守の居館とし、また「江戸名所
図会」では菅原道武朝臣の居館と伝える。その他、大正年間に編纂された谷保郷土史
では三田県主貞盛が館主だったとしている。
しかし、いずれも館主を確定するには証拠不充分であり、今後の調査が期待されている。
三田氏館跡遠望
遺構は民家敷地内のため確認できず
一言 館跡は「谷保の城山」とも呼ばれ、一帯は現在東京都の歴史環境保全地域に指定されて
いる。
比高8mほどの青柳段丘の崖縁に位置する居館跡の前面は田園が広がり、開発にて景観
が変わりつつある周囲と比べ、のどかな雰囲気を醸し出している。
なお館跡には現在民家が建ち、立ち入り禁止となっている。(周囲に国立市の注意書きが立っている)
よって内部に入れず遺構を確認することは出来なかったが、多郭式城郭縄張りの館跡には
現在も土塁・空堀等が状態よく残っているという。
一帯は歴史環境保全地域に指定され、遊歩道が整備されている