小沢古城跡
所在 愛甲郡愛川町小沢
交通 JR横浜線淵野辺駅よりバス小沢下車
歴史 小沢古城は平安時代末期より鎌倉時代にかけて活躍した武蔵七党の一つ、横山党小沢氏の
居館跡とされている。
小沢氏は同じく横山党の田名氏・小倉氏らと共に相模川上流一帯を支配していたが、横山党
は建暦三年(建保元年・1213)に勃発した和田義盛の乱において和田氏に加勢し敗北。これ
により横山党は没落したことから、横山党である小沢氏の、この一帯における支配力も急激に
弱まったと考えられている。
なお、下って文明九年(1477)、この小沢古城より南東約150mに位置する小沢城を太田道灌
が攻めたとする記録(『太田道灌状』)があるが、そもそもその小沢城はこの小沢古城を指すので
はないかとする説もある。
城跡遠望(還浄寺より)
城跡麓に建つ諏訪神社
頂部の削平地
一言 小沢古城跡は水郷田名の対岸、諏訪神社及び浄土宗還浄寺の裏山がその地とされている。
城跡へは諏訪神社裏手の急坂をへばりつくように登り、尾根に沿った径を進むことになる。
途中、堀切らしきものがあるが、それが遺構か否か判断がつかなかった。また、頂部には約20
平方メートル程の広さの削平地のほか土塁らしきものがあるが、それも遺構とは判別出来なかった。
堀切跡?