小山城跡
所在 静岡県榛原郡吉田町片岡
交通 JR東海道本線焼津駅よりバス片岡下車
歴史 小山城の創築者は鎌倉時代の小山朝光とされ、その後、今川氏の時代
になって義元の家臣、井伊肥後守が居城したと「今川分限帳」にある。
今川氏没落後、甲斐武田氏と松平氏による争奪戦が繰り広げられ、元亀ニ
年(1571)に城は武田氏の手に落ちる。
武田氏は馬場美濃守信房(信春)を奉行に据え、本格的な小山城築城に着手
する。
その後、大熊備前守長秀らが守将となり城の拡張に努めるが、信玄死去後の
天正三年、長篠の戦いに大敗すると武田氏の勢力は弱体化する。
天正九年(1581)3月、遠州の要、高天神城が徳川氏により攻略されると小山
城への圧力はより一層強まり、翌十年二月には城兵が逃亡、城は自落し徳川氏
の手に落ちた。
小山城跡遠望
小山城本郭跡
復元天守閣が...
一言 城跡は牧乃原台地の一角、台地が大井川の三角州に張り出した舌状の地形
先端に位置する。比高は約30m。
能満寺の裏手付近が本郭跡で、二の郭付近には現在、復元の天守閣が建って
いる。こういった『ありもしなかったコンクリートの天守閣を建てる神経』は甚だ理解
に苦しむが、馬出しや武田氏築城法で有名な三日月堀、周囲に残る空掘を一望
できる事がせめてもの救いである。
特に三重に張り巡らされた三日月堀は見る者を圧倒するのは間違いない。
天守閣より城内を望む
三日月堀
二の郭・三の郭を分ける空掘
三重の三日月堀
復元天守閣(鉄筋コンクリ)