興国寺城跡
所在 静岡県沼津市根古屋
交通 JR東海道本線原駅よりバス30分根古屋下車
歴史 興国寺城の築城年数については明らかではないが、伊勢新九郎長氏
(のちの北条早雲)が今川氏の家督争いを鎮めた功により今川氏より恩賞
として与えられたと記録されるのが初見である。長氏はこの興国寺城を
本拠地として伊豆方面に侵攻し制圧、韮山城を居城とするまで在城したと
される。
室町時代末期に興国寺城は今川氏の手に帰るが、義元は興国寺城の戦略的
価値を認め、城の強化・規模拡大を行ったという。
戦国時代には武田氏・北条氏・再び武田氏とこの興国寺城を巡る争奪戦が
繰り返され、武田氏滅亡後には徳川氏の手中に収まる。
慶長5年(1600)の関が原合戦後、天野三郎兵衛康景が城主となるが、事件を
起こし出奔、同時期に廃城になった。
興国寺城跡石碑
天守台跡
一言 城跡は愛宕山麓の舌状台地に残り、本丸・二の丸・天守台のほか櫓台跡
が残る。また、現在は住宅地となっているが、二の丸南側が三の丸跡とされる。
天守台跡の裏は深さ15m・幅30mの大堀切が東西に走り、その北側は外曲輪
とされるが現在畑となっている。石垣等も一部ではあるが残り、戦国時代末期
から慶長年間の遺構であろうか。
興国寺城は北条早雲ゆかりの城とされるが、早雲時代の遺構は殆ど残っていない
とされる。
比高もあまりなく、訪れやすい城跡である。但し、大堀切内部から外曲輪に登るとき
足を取られやすいので注意を。
天守台付近に残る石垣
本丸裏に残る堀切り跡