勝間田城跡
所在 静岡県榛原郡榛原町切山
交通 JR東海道本線金谷駅よりバス中島下車
歴史 勝間田城は平安時代末期より室町時代中期にかけてこの地方を治
めた豪族、勝間田氏の本拠地であったとされる。
平安時代末期の顛末を記した「保元物語」にその名前が最初に現れ、
「吾妻鏡」やその他鎌倉時代に源実朝が送った宋使節団にも、一族の
名が記されている。
室町時代に入ると政治の中心に進出し、勝田三河守や勝田修理亮など
は室町幕府三代将軍足利義満の近習となり活躍したとされ、また将軍
直属の軍として応永の乱(1399)や応享の乱(1439)などで各地を転
戦したという。
しかし、1467年に勃発した応仁の乱においては近隣の国人豪族、横
地氏とともに今川氏と対立、文明八年(1476に)今川義忠軍に攻めら
れ勝間田城は落城。一族は逃散したとされるが、一説では静岡県御殿
場市周辺に移り住んだとされる。
駐車場付近に建つ縄張図
勝間田城跡入口部
一言 勝間田城は応永年間に勝間田定長が築城したとされ、牧の原台地に
連なる尾根を利用した山城である。県指定史跡として整備され、本丸・
二の丸・三の丸・物見曲輪・土塁・堀切などが確認できる。
特に二の丸から三の丸への眺めは、尾根の巧みな利用法が手に取る
ように解かる。
案内板も各地に設けられ、麓には駐車場も整備されている。実は、麓
の駐車場より城跡に近い車道があるのだが、車はちゃんと駐車場に。
二の丸より三の丸を望む
本丸に建つ石碑
滅亡後の勝間田氏は御殿場市に移り住んだということだが、御殿場市には「カツマタ姓」が本当に多いらしい。