春日山城跡(相模)

所在  南足柄市内山

交通  JR御殿場線山北駅より徒歩20分

歴史  春日山城は室町時代中期、大森氏により築かれたとされる。

     当時、大森氏は本拠としていた東駿より西相模侵出を目指し、河村城を所領していた河村

     氏と敵対関係となっていたが、その河村城攻略のために築いた城がこの春日山城であり、

     大森氏はこの春日山城を攻城戦の拠点として利用したとされる。

     大森氏と河村氏との戦いは実に半世紀に渡って行われたが、永享十年(1438)、河村城

     は大森伊豆守憲頼によって落とされ河村氏は滅亡する。これにより春日山城の存在価値は

     薄れるが、以降も古道を押さえる城として利用されたのではないか、とする説も残っている。

       春日山城跡遠望

       城地は現在、内山発電所に

一言  春日山城跡は河村城跡より南東約1.5Km、酒匂川と内川の合流地点手前の舌状台地

     に築かれた丘城で、比高は約30m程であろうか。

     三方を川で囲まれた地形で、川は天然の堀として利用していたとされる。

     地形的に川により極端にくびれた箇所があり、あたかも鵜の首のように見えた事から別名

     『鵜頸の城』とも呼ばれていたが、現在、城地は大正時代に建設された内山発電所の敷地

     内となっており、水路が作られるなどして遺構は全く残っていない。

        発電所建設により遺構は消滅(勿論、敷地内は立入禁止)

 

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