金山城跡(伊豆国)
所在 静岡県田方郡大仁町神島
交通 伊豆箱根鉄道大仁駅下車徒歩30分
歴史 室町時代初期、畠山国清は関東管領足利基氏の執事として専横をふるったため、次第に基氏に
疎まれるようになり、失脚した国清は『畠山3城』と呼ばれた城の一つ、この金山城に立て篭もり
足利基氏に対抗する事となる。
康安元年(1361)から始まった戦いは、当初、畠山国清軍が基氏軍を撃破するなど優勢に推移した
が、足利基氏が軍を立て直し20万の兵を金山城に寄せると畠山軍は一転、窮地に陥ることになる。
畠山氏は伊豆国土豪狩野氏に援軍を求めるものの狩野氏は畠山氏に味方せず、結果、金山城は
水の手を断たれるなどして落城。国清は修善寺城に移るがその修善寺城も間を置かず落城してしまう。
国清は出家を条件に降伏。のち各地を流浪し、窮死したとされている。
金山城跡
金山城跡北曲輪跡
金山城跡本郭付近
一言 金山城跡は別名神益(かんます)城・神餘(みかやます)城とも呼ばれ、大仁市街からも岩肌を剥き
出しにしたその威容を見ることができる。
現在、城山(じょうやま)と呼ばれる城跡にはハイキングコースが整備されており、また、城山はロック
クライミングの地としても有名らしい。
訪問時は、城山の裏手を通る林道で山の中腹まで行き、そこから徒歩にて登城開始。山頂までは約30
分ほどであろうか。
遺構としては、堀切の一部・虎口(らしき)跡・曲輪等が確認できたが、前述の通り、ハイキングコース
として多くの人が訪れるためか、遺構は判別しにくくなっていた。
なお、北曲輪跡からの眺める富士山と大仁市街は絶景であった。
金山城虎口部
堀切跡も埋もれてしまい...
城跡より大仁市街を望む