掛川城跡
所在 静岡県掛川市掛川城内
交通 JR東海道本線掛川駅より徒歩10分
歴史 城の起源は文明年間(1469〜1486)に駿河守護今川義忠が、
重臣の朝比奈氏に築城を命じた事に始まる。以降、朝比奈氏の居
城となる。
永禄十一年(1568)家運の傾いた今川家当主氏真は、駿河・遠江
分割領の密約を交わした徳川家康・武田信玄両軍に攻められ、駿
府城を放棄し、この掛川城に逃げ込む。その後も家康はこの掛川
城を攻めつづけ、攻防五ヶ月後に和議が成立し、氏真は小田原に
逃れる。これにより、名門今川家は滅亡する。
掛川城は徳川氏の持ち城となり、石川家成・康通が城代となるが、
家康の関東転封により山内一豊が入城する。一豊は城の大改築を
行い、現在の掛川城の縄張の基本は一豊統治時代に出来上がった
という。
掛川城は江戸幕府開幕後も存続し、松平・安藤・朝倉・青山・本多・
北条・井伊・小笠原氏と城主が目まぐるしく替わったが、その後入城
した太田氏が明治維新を迎える。
掛川城入口
天主閣を望む
一言 朝比奈氏が最初に築いた掛川城は、現在の城から北東に500m程離れ
た天王山山頂にあったという。
現在天守閣が再建され、新幹線の車窓からも見ることが出来る。なお、天
守閣横に残る掛川城御殿は、城主居所・藩政庁・諸役所を合わせたもので
国の重要文化財に指定されている。
天守閣を望む(2)