泉頭城跡

所在  静岡県駿東郡清水町玉川

交通  JR東海道本線三島駅よりバス泉下車

歴史   正確な築城年代については不明だが、戦国時代には後北条氏が

      伊豆を守る国境の城として城代を置いた。

      天正九年、甲斐の武田勝頼はここより南西に位置する戸倉城を落

      とすと、続いてこの泉頭城を攻撃対象とする。しかし、城将荒川豊前

      守をはじめとする城兵はこの泉頭城をよく守り、落城を免れた。

      その後、天正十八年に起こった小田原征伐において、後北条氏はこ

      の泉頭城に兵を置くことの不利を悟り、城を破却したのち、城兵を韮

      山城・山中城に移したという。

        西の丸跡に建つ貴船神社

        本丸跡は現在駐車場に

 

一言  城跡は現在、『富士山からの湧水』で有名な柿田川公園となっている。

     戦国時代にはこの豊富な水量を利用して、後北条氏は船で近くの戸倉城

     と連絡を取っていたとされる。当時の城域は、東西400m・南北500m程

     であったという。

     遺構は、大正時代まで往時の姿を止めていたとされるが、公園として整備

     されるにともない、堀切・土塁の一部が残るのみである。

     なお、本丸跡は駐車場に、北曲輪は国道1号線にと変貌してしまっている。 

       この川を利用し戸倉城と船で連絡していた

       堀切を利用した遊歩道

     

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