堀越御所跡
所在 静岡県田方郡韮山町四日町
交通 伊豆箱根鉄道韮山駅より徒歩10分
歴史 堀越御所の前身は鎌倉時代初期に建てられた北条時政の居館とされる。時政の娘、北条政子は
源頼朝夫人として頼朝死後も権勢を振るい、鎌倉幕府における北条氏の地位を不動のものにした。
のち室町時代中期に入り、室町幕府は関東において勢力を拡大しつつある古河公方足利成氏に
対抗すべく将軍足利義政の弟政知を鎌倉に派遣しようとするが、情勢の悪化にともない政知はこの地
に館を構えて成氏に対することとなる。
延徳三年(1491)、足利政知がこの地で没すると、名跡はその子茶々丸が跡を継ぐこととなる。
当時、堀越御所内では政権争いが繰り広げられ、茶々丸はその混乱に際し、継母円満院や義弟
潤童子を次々と殺害、また、老臣を誅するなどの乱行を重ねたために伊豆国は混乱状態に陥った。
この伊豆国における混乱に際し、当時駿河興国寺城城主だった伊勢新九郎(のちの北条早雲)は
手勢を率いて堀越御所を強襲、茶々丸は近くの守山城に篭もるが、ついに力尽き自害した。
その後、伊勢新九郎は1ヶ月あまりで伊豆国を掌中に収めたという。
堀越御所跡地に残る成福寺
寺裏手に残る北条時宗とその夫人の墓所
一言 堀越御所は現在の成福寺一帯にあったとされるが、遺構は殆ど残っていない。
ただ、成福寺には北条時宗とその夫人の墓所が残り、寺の周辺では古瓦や土器等の破片などが
出土したという。