堀川城跡
所在 静岡県引佐郡細江町気賀
交通 天竜浜名湖鉄道気賀駅より徒歩15分
歴史 永禄三年(1560)、遠江を治めていた今川義元が桶狭間にて織田信長に討たれると、それまで今川氏
の臣下であった徳川家康は三河にて独立、そののち遠江侵攻を目論む。
徳川氏の遠江侵攻に対して、斎藤為吉・新田四郎ら地元豪族はこの堀川城を築城し徳川氏の侵攻を阻む
こととしたが、永禄十ニ年三月、徳川家康は兵3000を擁して堀川城を包囲して殺戮戦を展開、篭城してい
た男女1千人を撫で斬りして落城させる。
こののちも抵抗した首謀者らに対する追及は熾烈を極め、落城から6ヶ月後の永禄十二年九月にも首謀者
のほか地元住民約700人が処刑されたという。
堀川城跡
堀川城跡石碑
一言 堀川城跡は気賀関所の近く、都田川に面した地にあったとされるが、現在周囲は田園と化して何ら遺構は
残っていない。ただ、城跡の一画に建てられた石碑と説明板がその地に城があったことと、当時、周辺の住
民が半減したと言われる大殺戮戦が行われた事を示すばかりである。
戦没者塚
周辺は田園と化し、遺構は一画以外に何も残っていない