阿野氏館跡
所在 静岡県沼津市東井出
交通 JR東海道本線沼津駅よりバス西井出下車
歴史 平安時代後期、源義朝が平治の乱で敗死すると、その子である今若丸は山城の醍醐寺に
預けられ全成と改名する。
治承四年(1180)、同じく義朝の子である頼朝が挙兵すると全成は密かに寺を脱出し頼朝の
元に馳せ参じ、頼朝の鎌倉幕府開幕に尽力する。
その後、全成は鎌倉幕府開幕の功労者としてこの地に領地を与えられ領地経営を行うが、
頼朝の死後、次第に執権北条氏による幕府専横が進み、次第に源氏一族の地位が脅かさ
れる事になる。
建仁三年(1203)五月、危機感を抱いた全成は反幕府軍の挙兵を画策するが発覚、捕らえ
られて下野国にて処刑される。
その約15年後、全成の遺子時元も反北条氏の兵を挙げるが、執権北条義時が差し向けた
制圧軍により交戦10日間後、時元は自刃。阿野一族は滅亡したという。
阿野氏館跡に建つ大泉寺
境内に建つ阿野父子の墓石
同上(左が全成、右が時元の墓石と伝えられる)
一言 阿野全成は鎌倉幕府開幕の功により駿河国阿野庄を与えられたが、現在の大泉寺にその
居館があったとされている。
境内には阿野全成・時元父子の墓と伝えられる墓石が建ち、県道に面した竹林は当時の
土塁跡とされている。
阿野氏館土塁跡
同上