愛甲三郎季隆居館跡
所在 厚木市愛甲
交通 小田急電鉄愛甲石田駅よりバス上愛甲下車
歴史 愛甲三郎季隆は武蔵七党の一族、横山党の血を引く平安時代末期より鎌倉時代初期に
かけて活躍した武将である。
愛甲三郎季隆は愛甲庄を領してこの地に居館を建て、源頼朝の忠臣として活躍するが、
頼朝死後、北条家が起こした政争に巻き込まれることになってしまう。
建暦三年(1213)の和田義盛の乱にて季隆は他の武蔵御家人同様、和田氏側について
戦うが敗死したとされる。
なお、この居館は季隆が頼朝の子を身ごもった丹後の局をかくまったことから、頼朝の妻
政子の逆鱗に触れ、焼き打ちに遭ったという。
車の奥が農地(撮影は公民館の駐車場より)
上愛甲公民館敷地内にある神明神社
一言 愛甲三郎季隆の居館跡は愛甲城のあった円光寺より北西に約1.2km、現在、上愛甲
公民館及びその周辺がその地とされているが、現在は公民館敷地及び田畑へと土地の
改変が進んでおり、また、田畑の踏査は断念した(地主の方とお会いできなかった)ために
遺構は確認できなかった。
なお、公民館駐車場の一角には神明神社と甲稲荷が建っているが、そのすぐそばに石碑
がある。
甲稲荷
神社横にある石碑