愛甲城跡

所在  厚木市愛甲

交通  小田急電鉄愛甲石田駅より徒歩10分

歴史  愛甲城の歴史は詳らかではないが、平安時代末期より鎌倉時代初期にかけて活躍した

     愛甲三郎季隆の居城跡とされている。

     愛甲三郎季隆は武蔵七党の一つである横山氏の一族とされ、愛甲の地を所領するに

     あたり、愛甲姓を称したという。

     また、愛甲三郎季隆は弓の名手として有名で、幕府軍と畠山重忠が戦った『二俣川の

     戦い』では畠山重忠を弓にて倒すなどその武勇ぶりが『吾妻鏡』等に散見できる。

     のち、愛甲三郎季隆は建暦三年(1213)に起きた和田義盛の乱にて他の横山党同様、

     和田氏側について敗北。戦死したとされている。

       円光寺正面

       円光寺本堂

       本堂横に建つ宝筐印塔と石碑

一言  現在、城地は臨済宗円光寺及び住宅地となっており、残念ながら遺構は確認できないが、

     北側から続く台地がこの円光寺付近で落ち込んでいることから、当時は台地の先端部に

     築かれた城であったと思われる。

     なお、本堂の横に愛甲三郎季隆のものとされる宝筐印塔と石碑が建っているが、その

     宝筐印塔については側面に彫られた建立年から別人のものとする説もあり、また愛甲城

     と愛甲三郎季隆の関連を疑問視する説もある。

       本堂裏手は墓地となり遺構はない

       周辺も農地・住宅地に転用され遺構は確認できず

       この径は堀切跡なのか?

     なお、この円光寺の住職さんは「織田信長の末裔」にて、「水晶を使って霊視を行っている」あの有名な御仁。

      以前、この円光寺のホームページに『織田信長からの系図』がアップされていたのですが、途中の系図がダイナ

      ミックに省略されていて驚嘆した覚えあり。(現在はそのページ自体消えていますが)

      なお、直リンは避けますが、円光寺のホームページには愛甲三郎季隆に関する記述が詳しく載っていますので、

      参照いただくのも良いものかと...。

 

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