月




 布団の中へ枕や脇息を入れて人型を作る。夏月が物忌みでいないのをいいことに、先に休んだふりをして、隣の部屋へ隠れた。
 帝は早く二人きりになりたいらしく、部屋の中へは一人で入ってくるから、秋良が先に寝ていても、とりあえず文句を言う人はいない。
 毎晩飽きもせず通ってくる相手が不思議でならない。
 他の女性のように美しいわけでもなく、しおらしく仕えるわけでもなく、最悪なことに女性ですらない。
 先に寝ていると思ったら、怒って帰るかもしれないと、秋良は女官たちが知ったら呆れて溜め息をつくようなことを考えていた。
 夏月などがこの秋良の企みを聞いていたら、『そんなことで今上が秋良様のことを諦めるわけがありませんわ。むしろ先に休んでいたら、お喜びになられることでしょう。まったく浅はかなんですから』などと言われていたに違いない。
 もちろん秋良は褥を抜け出したりしたら叱られるのはわかっているので、夏月に相談したりはしなかった。
 いつも憎らしい帝に、ちょっと悪戯をして、びっくりさせて、ざまぁみろというくらいのことしか思っていない。まさしく、考えが浅いのだが、うまくいくと思っている秋良は楽しくて仕方がないのである。
 息を潜めて隣の部屋で待っていると、格子の隙間から黄色い淡い光が差し込んでくる。
 部屋の中は隠れるために真っ暗で、秋良以外には誰もいない。
 秋良は物音をたてないように、そっと窓辺へと擦り寄っていった。
 灯りの主は空にぽっかりと浮いた丸い月だった。
「満月なんだ……」
 思えば、ここへ来てからゆっくりと月を眺める暇もなかったことに気がついた。
 毎日が緊張の連続で、特に夜は気の抜けない攻防戦を繰り広げている秋良としては、ゆっくり月を眺めてなどいられなかったのだ。
「……きれい」
 そっと吐息を吐くように呟く。
 初夏の月は乳白色で、濃い藍色の空に、白い粉を散らすように輝いていた。
「何がそんなに美しいのかな?」
 うしろから声をかけられて、秋良はあまりの驚愕に悲鳴をあげそうになった。
 慌てて振り向いた途端に、格子の端に頭をぶつけてしまう。
「いったー……」
「大丈夫か?」
 秋良を驚かせた張本人が慌てて駆け寄ってきては、頭を抱えるようにして、手で押さえた場所を確かめる。
「怪我にはなっていないようだ……」
「ちょっとぶつけただけだよ……」
 秋良は憮然として、抱きしめようとする手から逃げ出す。
「びっくりさせるから悪いんだ」
 およそ天下人に対する口の利き方ではないが、洋也はむしろ秋良が秋良らしく振舞っているのが好きなので、注意するなどという野暮なことはしない。
「私もびっくりしたのだがな。二重の意味で」
「二重?」
 秋良が不思議そうに聞き返すと、洋也は苦笑いを浮かべて、寝間の隣の扉を開けた。
「姫が先に休んで私を待っていてくれたのかという嬉しい驚きと、やはりそこに姫がいなかったというちょっとした落胆と」
「姫って言うな」
 洋也は外の月が良く見えるように、扉にもたれるように座った。そして秋良を手招く。
「おいで。ここだと良く見える。……何もしないから」
 秋良の疑り深い視線に、洋也はくっくっと笑って、何もしないと付け加える。
「その言葉、半分以上は裏切られているように思うんだけど」
 言いながらも秋良は、洋也の傍へと座る。
「うっ、……わー」
 隣に座る秋良を引き寄せ、洋也は自分の足の間へと秋良を抱え込んだ。
「ちょ、ちょっと……」
「ほら、月が良く見える」
 秋良の抗議の声を聞く前に、洋也は空を指差す。
 つられて秋良は顔を外へと向ける。
「落ちてきそうなほど大きく見える……」
「姫が望むなら、あの月をあなたへ贈ろう」
「ええっ! そ、そんな、無茶だよ」
 遍くこの世のものはすべてこの人のもの。その人が月を自分にくれるという。
「それであなたを手に入れられるなら、何も惜しくはないのに。むしろもっとねだって欲しいくらいだよ。どんな願いでも聞いてあげたい。姫をこの手に入れるためなら……ね」
 熱い吐息が耳元で囁く。
 秋良は震える思いで、天上人の告白を身に受ける。
 気持ちはこの人へと向いている。それは悔しいけれど、認めざるを得ない。
 けれどそれを教えてはあげない。心だけでなく、身体も欲しいというこの人に、全てを投げ出すのはまだ怖いから。
 だから……。
「姫って言うな」
 精一杯の強がりに、洋也は楽しそうに笑い、月の光を浴びている頬に優しく口接けた。