付け毛をはずし、女物の着物を脱ぐ。
 久しぶりに袖を通す狩り衣はとても軽く感じられた。
 今朝、突然訪ねてきた母は、秋良を連れ戻しに来たと告げた。今から父が帝に挨拶に行くとも言った。それが実質上、別れの挨拶であることは明らかだった。
 あまり話そうとしない母に帰りたくないと訴えると、父と一緒に帝へ会いに行ってはどうかと唆された。
 女ならば殿上は適わないが、あなたなら大丈夫でしょうと、少女のように悪戯っぽく微笑まれて、秋良はしっかりと頷いたのだった。
 母は女房の一人を男性の姿をさせて従者として連れてきていた。
 その女房と着物を取り替えた。
 母の従者として他は誤魔化せても、咲玖来たちは誤魔化せないだろうことはわかっていた。それでもいいと思った。今までも、これからも、咲玖来たちを騙し続けることの方が苦しかった。
 ばれてもいいというくらいの気持ちで部屋を出た。狩衣姿の秋良を見た咲玖来は一瞬驚きを隠せなかったが、すぐに平静な顔を取り戻し、何も見なかったかのように頭を下げて一行を見送ってくれた。

 父に連れられはじめて入った部屋は、寂しいほどに広く、夏も近いというのにとても寒々しく感じられた。
 御簾の向こうで身体を起こした洋也に、胸が酷く痛んだ。
 こんなところで……。こんな寂しい場所で帝は寝ていたのかと苦しくなる。
『ずっと……傍にいて欲しいと……今でも思っている』
 もう突き放されるのかと怖々と聞き耳を立てていた秋良は、泣きたくなるような嬉しい台詞を捕らえた。
 帝と兄の間に交わされた会話のことは初耳だったが、兄なりに秋良を心配してくれていたことがわかって嬉しかった。
『これは末息子の方でございます』
 父親の紹介にあわせて、そろりと顔を上げる。
 帝の表情はわからなかったが、信じられないというように声が震えていた。
『秋良……ここへ……』
 まだ呼んで貰える事が震えるほど嬉しく、伸ばした手を引き寄せられて、その胸の暖かさを思い出す。
 彼が無事であれば他には何も必要なかった。
 いつの間にかそれほど洋也のことを想うようになっていた。
 重ねた唇の熱さに今までの苦しさがすべて消えて行くのを感じていた。


「秋良子様、もうすぐ帝がお渡りになります」
 咲玖来の声は今までと何も変わることがなかった。
 あの日、再び母が『秋良子様のお見舞いに』と秋良を連れて訪れた時、咲玖来は当然のように秋良を出迎え、従者が入れ替わった母一行を平然と見送った。
 言い訳を口にしようとした秋良に、咲玖来はにっこりと笑って告げた。
「何事も秋良子様の良いようにと、最初から帝の命を受けております。私は秋良子様のお世話係でございます。これからもよろしくお願いいたします」
 秋良は感謝の気持ちで一杯で、ありがとうというのがやっとだった。
 いつものように、以前となんら変わることなく、帝を迎える用意が整えられる。
 傷自体は早くに治っていた洋也は、秋良が見舞ってからは体調の不良も見る見るうちに回復させた。
 そして床上げが済んですぐに、帝は最愛の女御の元へと向かったのだ。
 かたりと扉の開く音がして、板の間を踏む音が近づいてくる。
 秋良は手を床につき、深く頭を下げてその人が几帳を回ってくるのを待った。
「いらっしゃいませ」
 緊張のあまり声が震えた。何しろこうして出迎えるのは久しぶりのことなのだ。その前は酷く怒っていた彼のことを思い出すと、どうしても緊張が拭えない。
 秋良の姿を認めた帝は、足を止めてじっと秋良を見つめた。その時間があまりにも長く感じられて、床についていた手が震え出す。
 このまま彼が出て行ったらどうしよう……。
 その恐怖と戦っていると、不意に抱きしめられた。
「秋良……」
 優しいけれど、強く自分を求める声に呼ばれて、秋良は夢ではなかったと安堵する。
「……洋也」
 名前を呼び返すとさらに強く抱きしめられた。
「すまなかった。あなたに辛い思いをいっぱいさせてしまった」
 愛する人の胸の中で聞く謝罪はとても暖かく、甘い響きを持っていた。
「お元気になってくださった。それだけで嬉しいです」
 頬に両手を添えられて、顔を上向けられる。
 親指がゆっくりと頬を撫でる。
「愛している、秋良。あなたが……欲しい」
 触れられているから熱いのか、心が熱くて頬に熱が集まっているのか、どちらなのかわからない。ただ熱い視線が自分にそそがれているのはわかった。
「…………はい」
 震える手を伸ばすと、ぎゅっと抱きしめられた。そっと手を背中に回す。
「まだ怖いか?」
 何をされるのかわからず、怖いかと聞かれれば怖かった。だから小さく頷くと、微かに笑う気配がした。
 からかわれているのかと思った秋良は、こつんと洋也の背中を叩いた。
 今度ははっきりと笑い声が聞こえて、秋良は唇を尖らせて顔を上げた。そこにあったのは洋也の嬉しそうな笑顔だった。それを見てしまえば、文句も言えなくなるような、晴れやかな笑顔だ。
 秋良もつられて笑ってしまい、二人でくすくすと笑い合った。
 ふとその笑い声が途切れると、わずかな沈黙が訪れ、真剣な瞳が秋良を覗き込んだ。
「あ……」
 褥に横たえられる。被さるように口接けられると、秋良は洋也の袖をぎゅっと握りしめた。
 唇が重なり、離れては触れる。今までのように、軽い挨拶のような口接けではなく、意図を持った口接けは、秋良の身体の熱をどんどん上げていく。
「や……」
 洋也の手が着物の衿を割り、秋良の胸の中へ入ってくる。
 大きくて暖かい手が胸を撫でていく。
 どきどきと高鳴る心臓の鼓動がわかってしまうのではないかと不安になった。
「あ、あの……」
 思わず腰を引いて逃げようとしたら、肩を抱かれて再び口接けられる。
「逃げないで。本当に嫌なら、しないから」
 あなたの涙は見たくないからと言われると、秋良はこくりと頷き、覚悟を決めるように目を閉じた。
 唇が喉を辿り、鎖骨を舐めていく。しゅるっと帯が解かれて、腰の辺りが軽くなるが心許なくなった。肩から着物が外されていく。
「だめ……」
 微かな抵抗をものともせず、洋也は薄い夜着を剥いだ。
 小刻みに震える身体を包むように抱きしめられた。
「綺麗だ……」
 自分の身体など、女性のように柔らかな膨らみもないし、痩せて骨も浮いているし、綺麗なところなどないと思うのに、洋也はとても大切そうに抱きしめてくれる。
 身体の曲線を確かめるように撫で下ろされると、羞恥と快感が綯い交ぜになって襲ってくる。
「あ……ぁ……」
 波間に揺られるような浮遊感に捉われる。
 身体中すべてに洋也は唇を埋めていくように思えた。そして……。
「や! 駄目!」
 固くなり始めていたものを握りしめられ、軽く擦られると、思わず洋也の手を止めていた。
「どうして?」
「どうしてって……そんなところ……」
 洋也はふっと笑い、優しく甘い口接けを与えた。
「一人でしたことは?」
 とんでもないと秋良は首を振る。
 何故か洋也はとても嬉しそうに笑って、目を閉じるように囁いた。
 励ますように唇を重ねられると、自然と目が閉じた。
 ゆっくり擦られると、身体中の血液が集まっていくような熱さを感じ、熱つ重い快感がそこから広がっていく。
「いや……やめ……」
 秋良は目尻に涙を浮かべて、弱々しく訴える。
「いいんだよ……出しても」
「ね……むり……」
 秋良は縋りつくように洋也に抱きつき、駆け上る快感を逃がそうと足をもがかせる。
 零れた涙を吸い取ると、秋良は息を途切れがちに喘ぐ。
「ひろ……や…ぁ」
「ここにいるよ」
「……んっ」
 ぎゅっと肩を握りしめられ、息を詰めた時、手の平に熱い迸りを受けた。
 はぁはぁと薄い胸を大きく上下させる。頬は桃色に色づき、潤んだ瞳は瞬きを繰り返している。
 まだ自分の身体に起きた衝撃をやり過ごせていない様子に、今夜はこれ以上は無理だと判断する。
 深窓の令息として育てさせたのは自分に他ならなかったが、ここまで純情だとは思いもかけず、これからの楽しみが増えたと、心の中でにやりと笑う。
「落ち着いた?」
 着物を手繰り寄せて抱きしめると、秋良は頼りない目で洋也を見上げ、びっくりしたと呟いた。
「これから閨のことも学ぼうね」
 途端に赤くなる人が愛しい。
「大丈夫。私がすべて教えてあげる」
 楽しそうに言われるとなにやら不安を感じるが、今はそれを十分に考えるだけの余裕がなかった。
「おやすみ……」
 胸の中に抱きしめられると、それよりもまたこうして眠れることの嬉しさが勝って、幸せだと目を閉じた。
「おやすみ」
 答えたときにはもう、幸せな夢を見ていたように思えた。