安藤家の姫の輿入れは、新年の行事が一段落して、宮中が落ちついた吉日を選んで行なわれた。 新帝が即位されてからはじめての入内、祝いごととあって、式は盛大に執り行われた。 「なんなの、田舎貴族の娘のくせに」 「身分だって、女御の中じゃ一番低いわ」 「深窓の姫だって。今まで誰の目にも触れさせなかったそうよ」 「そんなの、醜女だからに決まってるじゃないの」 聞こえよがしに囁かれる声。 廊下を通るだけでも、嘲け笑う声や、意地悪い蔑みの声が聞こえてくる。 だが……。 「帝、御自ら望まれた婚姻だそうよ」 「幼い頃に見初められた姫らしいわ」 今まで誰の元にも注がれなかった寵愛が、これから一人に向けられるのではないかという憶測は、正室をはじめ、側室達にも恐怖になった。 「御身に気をつけあそばして」 「父上、すぐに戻ります。そんな顔しないで」 ここが家族との別れの間だと言われ、秋良は父と兄に、輿入れの挨拶をした。 秋良は十二単を身に纏、入内が決まってから伸び切らなかった髪には髢をつけていた。 あまり外に出なかった肌は白く、元々身体も細かったので、少し背は高いものの、誰が見ても、どこから見ても、女性に見えた。 これなら、帝本人以外にばれる事はないだろう。 秋良に許されたお付の女房は、五名。口が固く、昔から安藤家に仕えていた者ばかりを選んだ。秋良を世話する女御はもちろん他にも必要だが、それらは宮中から選ばれるのだという。 どんな女房達が選ばれるのか、不安ではあったが、それを詮索してられる余裕はなかった。 秋良は男だとばれればすぐに帰してもらえるとたかを括っているようだったが、父と兄は事が露見した時の覚悟はできていた。 せめて家督すべてを取り上げられる事のないようにと、嫁や娘達がいつでも出奔できるように、手筈は整えてある。 そして、秋良だけは……。 秋良付の女房には、申し訳ないと何度も謝った。 帝の勘気にふれても、秋良だけは逃がしてくれと、涙ながらに頼んだ。 それは秋良を逃がしてお前は死んでくれと言うようなものであったが、女房頭は昔から秋良を可愛がり、我が子のように世話をしてくれた人物で、喜んで引き受けますといってくれた。 秋良が本当に娘であったら……。 そう願わなかった日は一日とてなかった。 本当に娘であったら、喜んでこの日を迎えたであろう。 「どうぞ、つつがなくお過ごし下さい」 我が子と言えど、帝の女御になる秋良は、既に家族の誰よりも身分が高かった。もう、以前のように気軽に話せる相手ではなくなった。 父親の遠く離れたような言葉を聞いて、秋良は困った顔をする。 「まるで今生の別れのようだよ、父上」 父は床に頭を擦り付け、涙を隠した。 二度と会えないと覚悟はできていたが、できることなら、今からでも逃げたい。せめて秋良だけでも。 「お時間でございます」 御簾の向こうから声がかかった。 「夏月、頼む……」 父親は女房の手を取り、唇を震わせて頼みこんだ。 「旦那様、お任せください。秋良様には何がありましても」 夏月の力強い言葉に、父親は何も言えなくなり、何度も何度も頭を下げた。 静々と秋良達一行が出て行く、その姿を見送り、父親は我が身の不甲斐なさを悔やんで泣いた。 どうして断われなかったのか。どんなことになっても、断わればよかったのだ。二度と秋良に会えないくらいなら。 「父上」 年が離れた弟を慈しみ、共に守ってきた兄も男泣きに泣いた。 「きっと……、うまくいきます」 それは儚い望みに聞こえたが、今はその言葉に縋るしかなかった。 清涼殿に通された秋良は、御簾の奥の帝に深く頭を下げていた。 「よく、聞き入れたくれた」 静かな、低い声がふりかかる。それは口伝人によって秋良に伝えられたが、帝の声は秋良自身にも聞こえた。 「畏れ多き、幸せにございます」 秋良は教え込まれた通り、小さな声で囁く。その言葉は口伝人から帝に伝えられる。 「秋良子には承香殿(しょうこうでん)を遣わす。今よりはそちらを我が家と思い、寛ぐがよい」 ざわりと室内がざわめいた。 「怖れながら、今上、秋良子様には凝華舎(ぎょうかしゃ)、梅壷あたりがよろしいのではないかと」 大臣の一人が進言した。 女御の部屋は、その出自によって割り振られる。安藤家の勢力を考えれば、承香殿はあまりに恵まれすぎている。 身分に見合った部屋でなければ、それは女御達の諍いの元になる。 「余が決めたことに不満が?」 帝の言葉に、大臣は怖れながらも、言葉を繋いだ。今の正室は左大臣家の二の姫であり、大臣は左大臣派に属している。決して左大臣家の姫が蔑ろにされるのは引き止めたかった。 「お部屋の取り決めは、お家の身分をご考慮下さいませ」 「秋良子の裳着親が誰であるのか、忘れたのか?」 それを言われては誰も反論できなかった。実家は所詮低い身分であるが、裳着親は彼女の後ろ盾、つまり実親以上の力を発揮する。 「失礼致しました」 ぐっと押し黙り、大臣は下がった。 「では承香殿へ、咲玖来」 帝の声に、廊下に一人の女房が現れた。 「咲玖来だ。これから承香殿付の女房頭となる。咲玖来、姫の案内を」 「咲玖来と申します。どうぞよろしくお願いいたします」 夏月たちが挨拶を取り交わし、秋良は彼女達の先導に従って、後宮へと足を踏み入れた。 途端に視線が突き刺さる。几帳の影から、密やかな囁きが漏れ聞こえる。 「こちらを向きなさいよ」 「どんな顔なのか、見せられないんじゃないの」 「まったく、ずうずうしいわねぇ」 扇で顔を隠し、秋良は震える足を進めた。 どうしてこんな風に言われるのか、秋良にはわからなかった。 自分が何故、女性たちの嫉妬を浴びるのかもわからない。 数日の辛抱。すぐに家に帰れるのだから。 秋良は必死で堪えた。 「こちらが承香殿でございます」 咲玖来に導かれて室内に入ると、秋良は何故だか泣き出したくなった。 「秋良様、大丈夫ですか?」 夏月に声をかけられても、すぐには答えられなかった。 「僕は大変なところに来てしまったんだね……」 部屋に入ると、夏月は四方に几帳を立てかけさせて、室内を誰にも見せないように取り計らった。几帳の中には、安藤家から連れてきた女房だけにする。 それでも秋良の震えは治まらなかった。 「大丈夫です、秋良様。大丈夫ですから」 震える背中に手を置き、慰めるように擦ると、秋良も弱々しいながら、微笑を浮かべる。 「ごめんね。僕が一番しっかりしなくちゃいけないのに」 夏月は笑って首を振る。 「すべて夏月にお任せ下さい。秋良様はご心配なさいますな」 そうしている間にも、部屋には色々と荷物が運び込まれてくる。 すべて帝からの贈り物だと言う。 「咲玖来様にお任せしてもよろしいでしょうか?」 几帳から出て、夏月は荷物の采配を咲玖来に任せることにした。夏月では、それらの物の置き場所すらわからない。 「ええ、よろしいわ。姫様についててあげて下さいませ。さぞお気弱りでしょう?」 咲玖来に言われ、夏月はどう答えていいものかわからず俯く。 「今上からくれぐれもよろしくと言われています。何事も姫の善きようにと。それに決して姫の望まぬ振る舞いをするなとも申し付けられております。姫様が望まぬ限り、几帳の中には立ち入ったりしませんので、ご安心下さいませ。皆様のお話になることも、決して漏らすような真似はしません。そのような者ばかりを集めてありますから」 夏月は驚いて目を見張った。咲玖来はくすくすと楽しそうに笑う。 「私達はどうも、他の女御方は好きになれませんの。影で卑怯なことばかり。ご実家の威光ばかりを傘に着られて、傍仕えの者など、人としての扱いもなさいません。ですから、帝が頼むと言われたこちらの姫様に仕えられるのがとても嬉しいんですよ」 夏月は嬉しくてたまらずに頭を下げた。 「どうぞ頭をあげて下さい。今宵はきっと殿のお渡りがあるでしょう。それまでに秋良子様が心落ち着かれますように、お傍についててあげて下さいまし」 今宵のことを言われ、夏月は顔を曇らせた。 いよいよ。いよいよその時が来る。 夜、先触れの女房が来た。 秋良は一人、柔らかな布団に正座して帝を待っていた。 几帳の外では、夏月らが控えていた。 帝のお咎めがあれば、夏月が刃を受け、その間に他の女房が秋良を連れて逃げる話し合いができていた。 一人は安藤家へ走り、女性たちを逃がす伝令役に。他の三人は、追手を止める役目。最後の一人になるまで、秋良だけは無事に。 薄明かりが差しこみ、帝が承香殿にやって来た。 「ものものしいな」 控えの女房達に驚いたように、だが楽しげな声がした。 秋良はごくりと息を飲む。 かたりと音を立てて、几帳がずらされた。 「顔を上げなさい」 秋良は両手をついていたが、帝に言われ、恐る恐る顔を上げた。 背の高い人だった。端正な顔に、凛々しい眉の下には涼しげな目。高い鼻梁に少し大きめの口と薄い唇。 綺麗な人だなと秋良は自分の置かれた立場も忘れ、しばし魅入っていた。 溺れた自分を助けてくれた人。その腕の強さを覚えている。優しい瞳も。 それが目の前の人とは結びつかない。 「会いたかった」 冷たそうに見えた顔が優しく微笑んだ。 秋良はその言葉に震え、再び深く頭を下げた。 |
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