秋良が十五になった時、帝が崩御した。
 突然の病に篤い手当ても虚しく、加持祈祷の甲斐もなく、別れを惜しむ暇もない最期だった。
 都は喪に服した。
 帝が崩御されてすぐ、東宮が即位された。
 新帝は先帝の甥にあたり、先帝に嫡子がなかったことから、東宮に選ばれていた。
 だが、先年、帝にお子が生まれていた。その子は庶子であり、しかも女の子であったので、東宮を誰にするかで、宮中は揉めに揉めた。
 そこで新帝は右大臣を後見に擁し、先帝の子を女の子でありながらも、東宮に据えた。
 周りからは、時期尚早である、若いのだから、しばらく東宮をたてずにという声も多数上がったが、東宮を空位にする訳にもいかないと、新帝が言えば、それが通った。
 宮中は、喪に服しながらも、潜められた声が行き交うようになった。
 新帝に我が娘を。女御になって、うまく男の子が生まれれば。
 それは誰もが夢見た、未来図であっただろう。策略とも言うが。
 新帝には、正妻と側室が二人いた。
 新帝は十五であるが、三人の妻たちはいずれも帝よりも年が上であった。
 まだ子供は生まれていない。
 正室、側室達は、実家から早く子をと矢のような催促を受けていたが、望む子は受けられそうにない。
 帝が奥へと足を運ばないからだ。
 まだ若いから。彼女たちは何度も言い聞かせていたが、どんな誘いも断われていては、焦る気持ちは拭い切れず。
 だが、寵愛を受けられないのは自分だけではないという矜持が、なんとか彼女たちの感情を沈めていた。
 そんな中へ、ある不穏な噂が渦巻き始めた。
 
『帝がある貴族の元へ、娘の出仕を促している』
 
 それはつまり、帝が自分から、妻を娶るという申し出であり、そんなことは今までになかったことである。
 どこの誰。
 憶測や噂が飛び交い、誰もが息を詰めてことの成り行きを見守っていた。
 



 
 重い溜め息を、父親がつく。
 兄の顔も姉の顔も曇っていた。
 秋良は呼ばれていなかった。
 けれど、秋良は御簾に隠れて、皆の様子を覗っていた。
 ここ数日、皆の様子がおかしかった。父も兄も何日も出仕を休み、家の中全体が沈んでいた。
 病気なのかと秋良が心配すれば、何でもない、お前は心配するなと言われ、話から外されてしまう。
 居ても立ってもいられず、秋良は夜毎家族が集う間に、忍び込んだ。
「私が行きます」
 悲壮な決意を込めて、日名子が言った。
「そんな……、おまえは」
 近々縁談が整う娘に、父親は首を振った。
「だって、まさか秋良を行かせられないでしょう。わからないわよ。もう何年も前のことなんだもの。私が秋良だと言っても、きっとわからない」
「お前は靖之君と」
 兄が自分の友達の名前をあげる。日名子と靖之は間もなく正式に婚姻することになっている。
「でも、私のせいだもの。あの時、お咎めが怖くて、秋良を女だって言ってしまって」
 御簾に隠れていた秋良は目を見張った。
「どうして秋良を……」
 日名子は袖で涙を拭い、深く頭を垂れた。
「何がお気に召したのやら……。まだあの時は、六つだっただろうに」
 父が弱々しく首を振る。ここ数日で父はすっかり老けこんでしまっていた。
「都に呼ばれた時は、ただ喜んでいたが、こんなことになろうとは」
「父上……、ごめんなさい」
 父親は項垂れ、姉は泣くばかりだった。
「帝は……、秋良が男だと、ご存知なのではないだろうか……」
 兄がぼそりと呟いた。秋良はごくりと息を飲む。
「だって、そうだろう。秋良の元服をお許しにはならなかった。きつく止められた。それより先に、妹の裳着を先にしろと仰って。娘は一人しかいないと言っても、私は知っていると言われる。その娘は死んだと言っても、信じて下さらなかった。あれは……、知っていたとしか思えぬ」
 秋良は膝の上に置いた手を震わせていた。
 六歳の頃、自分は池に溺れたところを、さる高貴な人に助けられたといわれたことがあった。
 その人は周りから自分たちが咎められるのを庇い、反対に助けられたのだと言ってくれたらしいことも。
 微かに憶えているのは、力強い手と、優しそうな目だけ。
 その後、とても高価な御礼が届き、両親が大層恐縮し、都に招かれることになっても、両親は少しも嬉しそうではなかった。
 それに、自分も外に出してもらえなくなり……。
「裳着もできぬかわりに、元服も諦めて、秋良はここでひっそりと暮らさせるつもりだったのに。どうして今頃出仕を急がされるのだろうか」
「それは、即位されるのを待っていたのではないでしょうか。東宮では、いないという娘を差し出させることなんてできないと思われて」
 姉の言葉に、一同は更に重い溜め息をつく。
「行くよ。一度行けば、向こうも諦めるだろう?」
「秋良!」
 秋良は飛び出して言った。三人が驚いて秋良を見上げた。
「秋良、無理よ。あなたは男なのよ」
「だから、帝にお会いすればいいんだろう? 男だってわかれば、追い出されるよ」
 秋良の明るい発言に、一同は口を固く閉じる。
 そんな簡単に諦めてくれるだろうか、というのが皆の心配なのだ。
 秋良には内緒にしてきたが、帝から秋良子姫にと、昔からいろんな贈り物が届けられてきていた。
 珍しい飾り箱であったり、綺麗な櫛であったり、高価な布であったり。それだけならここまで悩みはしなかった。
 とても戴けませんと返せばいいのだし、受け取るにしても悩まない。
 女性のものと思われるものの他に、都では手に入らぬ本があったり、海を隔てた国の笛があったり、挙句に弓矢や蹴鞠を姫にと言われて、喜んで受け取れるだろうか。
 何を考えておられるのだろうか。
 それも怖いと感じたのは、秋良が何を好きなのか、良く知っているということだ。
 都でも一部のものしか食べられないような果物、田舎で秋良が好きだったもの。それらが届けられる。
 それらはすべて東宮の名前ではなかったけれど、送り主の名前は、東宮の幼名であれば、誰かわからないはずもなく。
「皆で田舎に下ろう。どこか鄙びた所へ行けば、まさか帝も追っては来れない」
「だって、父上も兄上もお役目があるじゃない。兄上にはお子もいらっしゃるし。姉上だってもうすぐ。だから、僕が行けばいいよ。ちゃんと断ってくるから」
 逃げようという父親に、秋良はあっけらかんと言った。
 その笑顔を見ていれば、なんだかうまくいくような気さえする。
「それに、僕が男ってわかれば、元服も出仕もできるよね。兄上や勝也と一緒に、出仕できるんでしょ」
 秋良はにこにこと夢見るように言う。
 たった一人の友達から聞く宮中の様子に憧れているのだろう。
「だめよ。だめ。そんなに簡単に許してもらえるはずがないわ」
 日名子は首を振ったが、都を逃げるより、他に良い思いつきもなく。そして逃げ出したとしても、どこまで逃げられるのか、わからない。
 もしも、捕まったとしたら……。
「ね、僕が行く。行って、ちゃんとお話してくるから」
 自分を助けてくれた、あの優しい目。
 きっとわかってくれる。
 秋良は微笑んで皆を見た。
 父と兄はじっと俯き、姉は袖で涙をぬぐう。
 秋良はそれでうまくいくのにと、不思議でならなかった。
 だが、皆が、自分の命と引き換えにしても、秋良の命を請おうと決意したことまでは、わからなかった。
 
 入内の日取りは、先帝の喪が明けた、翌年の初めに定められた。
 秋良姫の裳着は、それより一月前に決められ、帝の実母が腰紐を結んだ。
 帝の母親が結び役を務めるという重大さに、宮中はざわめきたった。
 そして、……その日…………。