秋良は都に移ってから、退屈な毎日を過ごしていた。
 家族はみんな優しいし、何も不満はない。けれど、どこへも連れて行ってもらえない毎日。
 屋敷は田舎の家に比べれば何倍も大きくなったし、庭も比較できないほどに広い。
 けれど、屋敷から出るなと言われれば、出たくなるのも当然で。
 同じ年の男の子達は、もうそろそろ馬に乗り、管弦の宴にも出、早い者では出仕もしていると聞いた。
 秋良は……。
 そのどれもさせてもらえなかった。
 読み書きなどの勉強や、嗜みとしての楽器や遊び、常識的な作法は兄や姉が教えてくれた。
 すべてを屋敷の中で。
 特に外での遊びを好む秋良ではなかったが、そこはやはり男の子。それだけでは我慢ができない。
 いくら父や兄にねだっても、どれだけ請うても、他の事ではとことん秋良に甘い二人ではあったが、それだけは聞いてくれなかった。
 悲しくて、悔しくて、泣き出す秋良を慰めるのは母や姉であった。それでも父や兄に取り成してはくれない。
 そして、他の貴族の子息が成人を迎える一二歳の頃。
 秋良は既に諦めていた。
 元々武術は嫌いだった。出仕したからといって、好きな役職に付けるとも限らない。
 それよりは屋敷にいて、好きな書物を読めるほうがいいかもと思った。
 書物は望めば父や兄がいくらでも用意してくれた。外に出たいということ以外なら、何でも叶った。
 
 夏の暑い日だった。
 秋良は狩り衣を脱ぎ、部屋のすのこまで簀子(廊下)まで出て、手すりにもたれていた。そこが桜の木の影になり、池も近く、過ごしやすかったのだ。
 とろとろとまどろんでいると、垣根を揺する音がして、秋良ははっと目を覚ました。
 ちょうど、垣根を越えて、一人の男の子が、池の対面に立っていた。
「誰?」
 年は秋良と同じくらいだろうか、きちんとした身形から、相応の身分の者だとわかった。
 相手も不思議そうに秋良を見ていた。
「誰? どこから入ってきたの?」
 秋良は立ちあがった。
 相手も驚いていたようだが、秋良を見てにっこり笑った。
「安藤家の人? 俺は勝也。兄上のお伴で来たんだ。兄上は今、お前の兄上と話してる」
 今日、兄の元には右大臣家の嫡男が来ると言っていた。それでは、彼はその弟なのだろう。
 秋良も彼の身分がわかり、ほっとした。
「いいの? 兄上達のところに居なくて」
「いいよ。つまんねーし。お前、暇? 暇なら、この屋敷の案内してくれよ」
「うん、いいよ!」
 秋良は喜んで、手すりにかけていた狩り衣を羽織った。階段を降りて、素足に草履を履く。
 屋敷の事なら、秋良は誰より良く知っている。何しろ、外へ出してもらえない分、屋敷の中をくまなく散歩するしかできなかったから。
 こっち、こっち、と秋良は勝也をいろんな場所へ連れ回した。
 勝也の手を取り、木の下を潜り、簀子の下まで潜り込んだりもした。
 秋良は楽しかった。久しぶりに大きな声で笑った。都に来てからはじめての事かもしれない。
 池の端に二人で座り、台所から貰ってきた夏蜜柑を二人で分けて食べた。
「秋良は出仕しないのか?」
 まだ髪をあげていない秋良に、勝也は不思議そうに尋ねた。
 この年になれば、髪を上げ、元服と同時に男子は役に就く。遊ぶようになってわかったのだが、勝也は秋良より三つも年下だった。
 だが、彼はもう元服していた。右大臣が元服を急がせたらしい。東宮と年が近い勝也を早くから出仕させ、高い身分を狙わせているのだろう。
「…………うん」
 秋良は悲しそうに黙り込んだ。三つも年下の彼にさえ不思議がられる事なのだ。
「俺、時々、ここに来てもいいか?」
 秋良が俯き、塞ぎこんだのを見て、勝也は元気付けるように秋良の手を握った。
「また来てくれるの?!」
 秋良は驚き、そして勝也が勢いよく頷くのを見て、とても嬉しそうに笑った。
「絶対だよ!」
 二人は指切りをした。
 池の表面は夕陽の色をしていた。茜色の空と水面。でも秋良の頬はそれより更に赤く、喜びに満ちていた。
 
 勝也を探す声が聞こえ、二人は揃って兄の前に姿を現した。
 秋良の兄がしまったという顔をしたが、勝也は自分の兄に願い、これからも秋良と会うことを許可してもらった。
 自分より身分の高い友人の頼みを、兄は拒めなかった。
 但し、秋良に会いに来る時は勝也の友人達などを連れて来ず、一人で来る事。秋良の事は殿中で口外しない事を、秋良の居ないところで、勝也に誓わせた。
 勝也はわけがわからないながらも、今日出来た友人に会いたいばかりに、その約束を飲みこんだ。
 そして、運命はゆっくり動き始めた。