カルナダリアが祭のシーズンを迎えた。 祭は一ヵ月の準備期間中、前夜祭、祭当日も含めて、大小さまざまな儀式が執り行なわれる。 その一ヵ月の丁度真ん中辺りに、真珠狩りが行われる。 狩り場を選ぶのも、真珠を獲りにいくのも、マシュウの仕事であった。 マシュウは前日から潔斎に入り、神殿の中で寝泊りをすることになっている。 神殿の警護は王国の兵士によって厳重に固められたが、その中、一番扉に近い場所に直樹がいた。 扉の中のマシュウは白い衣装を着せられ、食事も僅かな果物と水を与えられるだけだった。 香が焚かれ、人々が神殿に祈りを捧げる。良い真珠が獲れますように。王国が平和でありますように。 寝ずの番を過ごしていると、アトレーとニコルがやって来た。 「どうだ?」 「問題はありません」 ニコルは満足そうに頷き、扉の内側を覗き込む。 「明日はいい真珠を獲って来てもらわないとな」 直樹は返事のしようがなく、黙ってニコルの動きを目で追う。 「明日はお前一人で大丈夫なのか?」 アトレーは胡乱な目つきで直樹を睨み上げた。 「はい。お任せ下さい」 直樹がきっぱり返事をすると、アトレーは鼻先で笑った。 「ふん、その言葉、忘れるなよ」 「アトレー」 溜め息をつき、皇太子は弟を窘める。 「きみはいずれ王弟になるのだよ? そんな言葉遣いは慎みなさい」 ニコルは仕方ないなと微笑み、弟の巻き毛をぽんぽんと叩いた。 そんな皇太子の、他人には見せない優しい様子を、直樹は意外な気持ちで見ていた。 「兄上、しかし」 「卑しいものに絡むのは、やめなさい。きみまで汚れる」 直樹はあまりの身贔屓ぶりに呆れながら、ニコルのアトレーへの態度を冷ややかに眺める。 ニコルはちらりと直樹を見、唇の端に薄い笑みを浮かべた。 「全ては明日だ」 アトレーはニコルのどこか不自然な様子にも気づくことなく、兄の言葉に頷いた。王の息子たちは揃って神殿をあとにする。 今の会話がマシュウに聞こえていなければいいと、直樹はそれだけを願っていた。 翌日、マシュウを祝福するように、空は雲一つない快晴だった。 マシュウは四方を白い幕で覆われた輿に乗せられ、海に向かっていた。 直樹も祭の装束を着せられ、輿のすぐうしろにつき従っていた。 女たちはマシュウと同じような白いドレスに、花冠を被り、男たちは白いシャツとスラックスに、色とりどりの帯と胸飾りをつけている。 みんなが裸足で、輿を肩に担いでいた。 一行は先日マシュウが潜った場所よりも少し南の入り江にやってきた。 王と王妃が海に向かって、国の安寧を祈る。そして、その証しとして、素晴らしい真珠を与えてくれと。 人々が祈りを済ませると、輿の中からマシュウが出てきた。 白く長いローブに、白いフードを被っている。フードを目深に被っているために、金色の髪も、青い瞳も、今は見えない。 直樹は王たちが祈りを捧げている間に、ウェットスーツに着替え、先に海の中に潜っていた。 潜る時、ふと、今日はバドールの姿を見ていないことに気がついた。 アトレーやニコルの傍にいるはずなのに。そう思ったが、あまり疑問にも思わなかった。きっと今日のように、王族や官僚たちが揃って城を出るとなると、SPを統率する者も大変なのだろうと思った。 ゲージを確かめ、潮流の様子を見る。 外の天気同様、海の中も状態は良かった。視界はクリアで、遠くまで見通せた。 これが無事に済んで、マシュウが命を狙われるようなことも減ればいいのにと、直樹は願う。 王宮の片隅で息を潜めて暮らす小さな命を何故奪う必要があるのだろうかと思う。 マシュウは何も望まず、海の中で暮らしたいというくらいで、余計なものを欲しがったりはしなかった。地位も、名誉も、……父親の名前さえ。 物思いに捕らわれていると、海面に波紋が広がり、白い塊が沈んできた。 直樹はその白い塊に向かって泳ぐ。 マシュウは水中で器用に白い衣装を脱ぎ捨て、細い身体をくねらせた。 直樹の姿を見つけると、指で自分の進む方向を指した。 直樹は手で合図をして、マシュウに並んで泳いだ。 入り組んだ岩場を一通り眺めたマシュウは、一度海面に顔を出して、再び潜った。 魚たちが寄ってくるのを手でよけるように進み、いくつかの石を退けた。 何度か浮上して新鮮な空気を吸い、海中に戻る。 そんなことを繰り返したあと、マシュウはある岩の下から、大きめの貝を取り出した。 その貝を上下に眺めたあと、マシュウは腰につけていた網の袋にそれを大切そうに入れた。そして直樹に上を指差し、浮上し始めた。 直樹も海面を目指して岩を蹴った、その時だった。 右手側から数人のダイバーが近づいてくるのが見えた。ただ近づいてくるのではなく、それぞれ手に光るものをもっている。 (ナイフか?) 直樹は慌ててマシュウの身体を自分の影に隠すように浮上を急いだ。 しかし思ったより深く潜っていた二人は、焦るほどに海面が遠く感じられた。 海面に出たとしても、すぐに陸に上がれるわけではない。入り江からかなり離れて進んできたことを直樹は知っている。 とにかく、マシュウを海の上に出し、急いで陸に上げなくてはと、そればかりを思っていた。 けれど、直樹はすぐに信じられない光景を見た。 左手側にダイバーが一人、こちらの様子を伺っている。そしてその手に握られているものを見て、直樹は慄然とした。 (水中ボウガン!) あれはある程度の距離でも、十分な威力を持つ。しかもボウガンを持っていることで、マシュウを狙っていた暗殺者と同一人物である可能性が高かった。 (ならば、ナイフの奴らは何者だ) 直樹はナイフを持って迫り来るダイバーたちとの距離を考えながら、水中ボウガンの射程距離を測る。 どちらにせよ、早く海上へ。頭上に太陽の光が、波模様を描いているのが見えた時、ボウガンが発射されるのが見えた。 マシュウ一人の方が速く泳げると判断した直樹はマシュウを前方に押しやり、行けと合図した。 マシュウは驚いて直樹を見たが、懸命に足を動かした。 直樹は右足に巻いたベルトから、水中銃を引き抜いた。カルナダリアに来る前に、直樹に行ってくれと頼んだ人物が渡したただ一つの物。これを使う日が来るとは、思わなかったが、相手は最悪のことを予想していたのだろう。 ボウガンの矢をギリギリでかわし、狙いを定める。 相手は直樹が手にした物に気がついたのか、慌てて向きを変える。その背中に向かって、直樹は引き金を引いた。 確かな手応えを感じ、直樹は急いでマシュウを探す。 マシュウは驚いた目で直樹を見ていたが、ボウガンの危険が去ったと知ると、海面に顔を出し、空気を吸い込むと、直樹に向かって泳いでこようとした。 直樹はそれを手で制した。 ナイフを持ったダイバーたちは、何故かマシュウを狙わず、真っ直ぐ直樹に向かって泳いでくるのがわかったからだ。 直樹はマシュウに逃げろと手振りで示し、自分はマシュウから離れるべく、方向を変えた。 何故なのかは知らないが、狙われるのが自分なら、マシュウの傍にいる方が危険である。 相手がナイフを持っていることも、直樹にとっては都合が良かった。 直樹はある程度まで泳ぐと、水中銃を構えた。 その姿勢を見て、相手が慌てふためいているのがわかった。 直樹は真っ直ぐに銃を放つ。 三人の真ん中、一番泳ぎに慣れているように見えた相手を狙ったのだが、最初の弾は右側の人物に当たった。 (くそっ、海流の関係か) 真っ直ぐに進むはずの弾が、僅かに右にぶれるらしいと読んで、直樹は二発目を放った。 それは男たちに掠ることもなく、逸れていく。 (あと一発。撃つと同時に逃げる) 二発を無駄にして、直樹は最後の弾を撃った。 それは左側の男の腕に当たったらしい。 水中に赤い帯が流れる。 腕を撃たれた男は海面を目指し始める。 (くそっ。マシュウ!) あとを追おうとした直樹は、目前まで迫っている敵に気づくのが遅れた。真ん中の男だ。 ナイフが突き出されるのを目の前ギリギリで避ける。 相手のナイフを握った手を掴み、水中マスクを奪った。 (……!) 直樹は相手の髭の濃い顔を見て、驚きに硬直した。その隙をつき、バドールは直樹に向かってナイフを突き出した。 ぐさりと脇腹にナイフの肉を割く感覚を覚え、直樹は空気を吐き出す。 その光景を海面近くで見ていたマシュウは、悲鳴を上げた。 マシュウの口から、泡が吐き出される。 (逃げろ。早く。逃げてくれ) 直樹は腰につけた鞘からナイフを抜き出し、バドールに向かって振りかざす。 脇腹からナイフの抜けていく感触を覚えたが、直樹は力を振り絞り、ナイフを縦に下ろした。 ナイフはバドールの肩に突き刺さり、胸までを切り裂いた。 バドールは苦痛に顔を歪めながら、直樹のエアタンクのバルブを開いた。大きな水泡が、空に向かって上っていく。 直樹はレギュレターを外し、エアタンクも背中から放り出した。バドールは、直樹のエアタンクと共に、沈み始める。 二人の血で海がだんだんと赤く染まっていく。 (マシュウが悲しむ) こんなに海を汚して。 戻って詫びることができるだろうか。直樹は流れ出る血に、身体が重くなっていくのを感じた。 |