授業の後のホームルームが終わった途端、教室の後ろのドアがガラ リと開いた。
 そのドアを開けた背の高い影に、教室内の面々はごくりと息を呑ん で、平然と座る一人の生徒へと視線を集めた。
 ドアから睨んでいるだろう伊堂寺やクラスメイトの視線を気にする 様子もなく、勝也は堂々と立ち上がった。
「起立、礼、解散」
 クラス委員の声に習って、いつもならバラバラと帰っていく生徒た ちは、今日ばかりは勝也がどうするのかと、まだ目を離せずにいた。
「三池」
 春の声と担任の陽の声が重なった。
「先生、さようならー」
 おどけた調子で勝也は帰りの挨拶を述べて、教室の後ろ、春の元へ と歩いていく。
 ジッと睨み合う様に視線を合わせた後、二人は無言のまま教室を出 て行った。
「こえーっ」
 ざわざわと騒がしくなっていく教室で、陽は美しい顔を心配そうに 曇らせる。
「三池先輩、いますかっ?」
 そこへこの空気も読めずに、ひょこりと顔を出す一年生がいた。
 ざわめきは一瞬静まったが、すぐにより一層煩くなっていく。
「三池は今出て行ったけれど。君は? 何か用事か?」
 陽は落ち着いて声をかけたが、既にこの一年生が何者かはわかるよ うな気がした。
「いえ、あの、クラブに行ったんでしょうか?」
 井原はちらりと陽を見たが、教師には話はないとばかりに、違う質 問をしてきた。
「今日は休部届けがでていたが?」
「剣道部の……先生ですか?」
 井原の目がその時だけ、憎しむように細められる。
「そうだが……」
「失礼しました」
 キッとあからさまに睨んで、井原は廊下を走っていく。さすがに陸 上部だけあって、速いし綺麗なフォームだ。
「ヨウ先生、剣道部ごと憎まれちゃってますね」
 一人の生徒が気の毒そうに陽の肩を叩いた。背が低めの陽は、たい ていの生徒よりも小さめで、親しみもこめられているのだろうが、こ のように気安いスキンシップも受けてしまう。
「お前も剣道部に入るか?」
 陽が笑いながらその手を叩くと、その生徒は叩かれた手を振りなが ら、三年生ですからーと笑いながら逃げた。
 陽ははぁと息を吐いて、職員室へと足を向けるが、春と共に消えた 勝也のことが気になって仕方なかった。
 昼休みにメールが来て、『ちょっと騒ぎになるかもしれないが、黙 って見守って欲しい』と書かれていた。
 その時はあの一年生とトラブルがあったのかと思っていたのだが、 6時間目が終わる頃には陽の耳にも、勝也が冬芽に『愛の告白をし た』という噂は届いた。
 もちろんそれを信じることはなかったが、何を考えているのかを聞 いてやろうと思っていたら、先に春に奪われてしまった。
 勝也のことだから、話し合いをつけられる自信があるからこそ、春 と共に出て行ったのだろうと思う。そうでなければ、春との接触も避 けたはずだ。
 それよりも実は気になることがある。
 それは……。
 家に帰ったら、どれだけ冬芽が荒れているだろうか?ということで ある。
「春君よりも、冬芽の後始末をして欲しい……」
 半ば本気でそう思いながら、陽はまた一つ、重い溜め息をついた。

 剣道部の道場は荒れていた。
 いつものように電撃が見境なく落ちるというのではなく、嵐の前の 静けさという緊張を孕んだ張り詰めた空気だった。
 これならいっそ、大きな雷を落としてほしい、そのほうがよほど気 が楽だとさえ思えるピリピリした空間に、ガラリと扉が開いた。
 もしや春先輩では?と期待して縋るような視線を向けた美樹彦は、 そこに救世主どころか、この空気をさらに悪化させるだろう人物の姿 を見つけて、身体を凍りつかせた。
 頼むから帰ってくれと懸命に願う幹彦の懇願も虚しく、冬芽がその 人に気がついてしまった。
「何しにきやがった」
 愛らしい容姿から出てくる口汚い言葉は、まだ冬芽がなんとか自分 を抑えようとしている表れなのかもしれない。どうか竹刀に手を伸ば す前に消えてくれと、美樹彦は叶わぬ願いを胸に抱く。
「三池先輩に話があるんです」
「来てねーよ。お前もしつけーな」
「来るまでここで待ってますっ」
「今日はこねーよ。休みの届けが出てるんだから」
「でもっ、あの人と出ていったって聞きました。貴方のことでライバ ルの人と」
「俺がどうかしたか?」
「春!」
 噂をすれば影。祈れば救世主。
 美樹彦は春の登場に、思わず神に感謝の言葉を述べた。
「三池先輩は……」
 突然うしろに現れた春の姿に、威勢よく押しかけてきた井原も思わ ず一歩を後退さる。
「今日は来ない。いや、しばらく休部すると言ってたな」
「え?」
「俺と勝負をするそうだ。それまでは学校じゃないところで秘密の特 訓をすると言ってた」
「はー?」
 大きな声で冬芽が割り込んできた。
「まさか、春。お前、その勝負を受けたんじゃねーだろうな?!」
 冬芽はもう抑える気配もなく、スパークを散らしながら、春と井原 の間に割り込んできた。
「お前という存在を賭けて、俺と三池は勝負をする。負けたほうが身を引く。俺はその勝負を受けた」
 春の言葉に衝撃を受けたように、冬芽は何かを言いかけたまま、固 まってしまう。
「な、なんだよ。やっぱりそういうことじゃないか」
 ショック状態のまま動けない冬芽に代わり、井原がうわずった声で 抗議の声を上げた。
「これは剣道部の問題だ。君には関係ないだろう。だけど、俺は負け るつもりはない。三池は負ければ剣道部を辞めるつもりだといってい た。君にはそのほうが好都合なんじゃないか?」
 春は冬芽の頭をくしゃりと掻き混ぜて、さっと自分の背後に隠し、 抗議を続けようとする伊原に告げた。
「だったら、君は自分の練習に励んでいたほうがいいんじゃない か?」