予鈴とともに担任の朝比奈陽が現れたのをこれ幸いにと、勝也は八坂を追い返 した。
 陽の視線がチクチクと痛い気もするが、勝也は気づかぬふりでやり過ごした。
 あとで何があったのかと聞かれるだろうが、クラブに関することなので、報告 だけすれば片がつくと思っていた。
 陽は勝也の所属する剣道部の顧問であり、勝也を勧誘した張本人であり、そし て勝也の恋人である。
 彼のために入るつもりのなかったクラブ活動に参加し、生徒会長となってから も時間をやりくりしながら続けている。
 剣道部は陽の弟、朝比奈冬芽が主将を務めていて、インターハイの県大会を目 指している。関東大会出場までは難しいだろうというのが、今のところの実力で ある。
 井原か……。と勝也は少しばかり気持ちが重く感じる。
 中学時代の後輩は、勝也を信奉している状態と言っても過言ではなかった。
 二つ下の井原と勝也は接点など少なく、指導も本来なら間の2年生がするはず だったのを、勝也が出ればついて回るような状態に、あまり無碍にもできず、ク ラブ上の付き合いだけはしていたように思う。
 それ以外の接点を勝也は許さず、クラブ以外では避けていたが、卒業式のとき に井原は勝也に向かって宣言した。
「僕も同じ高校を目指します。また先輩と一緒にトラックを走りたいんです」
 それに対して、自分の目標は自分で決めろと返事をしたのだが、勝也にとって はついてくるなという意味が、彼にとってはついてこいとなってしまったのは、 八坂の言葉で決定的となった。
 入学式の前後の数日間は、生徒会長の勝也にとってはとても忙しい日々を過ご していた。それこそ、大会前だというのに、クラブに顔も出せないほどに。
 そろそろ冬芽の怒りも沸点を越えるだろう、今日辺りには無理にも顔を出そう かと思っていたところだったが、このままでは伊原の特攻もありかねない。
「三池勝也はこの高校にはいません。なんて、無理だろうなぁ」
 昼休み、いつものごとく数学準備室でお弁当を広げていた勝也はポツリと呟い た。
 今日のお弁当は勝也の手作りで、隣に座っている陽も同じものを食べている。
「生徒会長として全校代表で歓迎の祝辞を述べたのに?」
 陽の指摘に、あんなの誰かにやらせれば良かったか?と後悔する。
「まさか、剣道部に入るとかは……」
「それはないと思うけど……。でも、陽は剣道部に入って欲しくないの?」
 剣道部の新入部員は少ない。現3年生は三人だけ、2年生はなんと二人、1年 生の新入部員は今のところ……ゼロかもという危機感である。
 なんとしてでも五人を揃えないと、団体戦に出られない。かなりの危機感を抱 いているのが、2年生の久住である。1年生の中に経験者が二人いるという情報 は得たので、個別勧誘に乗り出すと言っていた。
 その二人を確保したとして、残るは一人分。今入部すれば即レギュラーという 美味しい面を前面に押し出したクラブ紹介をするんだと息巻いていた。
 何とか地区大会だけでも出たいと思うのは、クラブを続けてきた選手の念願で もあるだろう。
「だけど……そんな不純な動機の生徒なんて……」
 視線を逸らせて、陽はポツリと告げる。
「…………もしかして、妬いてもらってる?」
「そんなんじゃないよ。教師としてだな、というか、顧問として……違うな、俺 も剣士の一人として、気持ちの浮ついた奴に道場に入って欲しくないだけだ」
 いつになく熱弁の陽に、勝也は唇に笑みを乗せた。
「お前、笑うな」
「いや、ちょっと嬉しいな」
「馬鹿野郎。何とかしろよ、勝也」
「わかってるって」
 勝也はニコニコ笑って陽の頬に手を伸ばし、その手をパシン!と思いっきり強 く叩かれたのだった。

 生徒会の雑用を手早く済ませて、勝也は部室で胴着に着替え、道場へと急いだ。  遅れるのは言ってあったが、せっかく久しぶりに部活に出るのに、冬芽の電撃 はなるべく小さく抑えたいと思っていた。
 冬芽は愛らしい外見を見事に裏切る、悪口雑言、容赦の無い電撃の持ち主だっ た。
 勝也もその対象外ではないらしく、なんどか落雷を浴びた経験がある。あの雷 は避けるより一度まともに浴びればいいと悟っていたので、それ以上の被害はな かったが、できるだけ回避したいのが人情であろう。
 しかし、竹刀と防具を手に道場の入り口までやってきた時、そこには既に雷雲 がたちこめていた。
 冬芽の怒鳴り声と、それを宥めようとする久住の声。冬芽の性質を知らないの か、それを煽るような発言に、冬芽の竹刀が上がる。
 それを必死で止めているのは伊堂寺春である。
 冬芽の前に立ち、勇猛果敢だが賢くはない直進的な猛突進をしている背中に、 どこか見覚えがあるような気がして、勝也は急いだ。
「何わけのわかんねーこと言ってやがんだ、てめー!」
 それをはじめて聞かされた者は、可愛い外見のギャップとに驚いて、たいてい の場合怖気づくものだが、彼は怯まなかった。だがしかし、それは賢明とは言い 難い対応であることは明白である。
「俺は、見学させてくださいって言ってるだけです」
「その前に余計なことを言っただろうが! それを謝れって言ってんだろう!」
 冬芽の竹刀が上がり、それを春が押さえている。
「春、離しやがれ! 邪魔すんな、この野郎!」
 放電はマックス状態で、敵も味方もなく襲撃し放題の様子である。
「何を謝れって言うんですか。こんな弱小クラブに、どうして三池先輩が入って いるのか、それを知りたいだけですよ!」
 馬鹿野郎。
 勝也の気持ちは一気に冷めた。頭に血の昇った冬芽とは正反対に、勝也は体温 までが氷点下に下がったような気持ちになった。
「てめーにかんけーねーだろー! 三池が欲しいならくれてやる! 勝手に持っ て行きやがれ!」
「そんな、困ります、冬芽先輩」
「インターハイが終わるまでは待て」
「それじゃあ、俺と一緒に4K(100メートル×4人リレー)に出られないじ ゃないですか!」
「てめーこそ、入ってすぐにレギュラーになれると思ってやがんのか!」
 冬芽の足が伸びようとして、それを察した春が背後から羽交い絞めしたために、 井原は冬芽の襲撃を何とか免れた。
「乱暴なクラブですね! 本当にこんなところに三池先輩がいるなんて信じられ ない!」
「はるー! 離せー! 一発じゃ足りねーぞっ!」
「冬芽、あとは俺が話をつけるから」
「三池!」
「三池先輩!」
 冬芽のお前こそ敵だという視線と罵声、騒ぎの張本人でありながら井原の歓喜 の声。
 勝也はすべてを凍らせるような視線で、その二つの声を黙らせた。