Cold Glance

 


「剣道部の三池君。昨日陸上部は大変だったんだよ」
 朝、登校するなり、生徒玄関で陸上部の元部長が勝也の背中にのしかかってき た。
 元とつくのは、二人とも三年生で、二年生の冬に、彼が後輩にキャプテンの座 を譲ったからである。陸上部の元部長は八坂という名前で、勝也とは中学校は別 だが、競技会で何度か顔を合わせたことがあったので、高校に入ってからも言葉 を交わすくらいには仲が良い。
 が、朝から剣道部だの、陸上部だのと言い出すには、クラブ関係に何か不満が あるのだろう。
 クラブに関係のない事なら、名前だけを呼ぶか、生徒会長という冠詞をつける だろう。
「なんだよ。新入生がたくさん入ったのか?」
 三年生になったばかりの四月第二週目。二人は、特にクラブ運営に関しては、 間もなく卒業ということもあり、春の大会で自己の成績を残すことにのみ集中し ていればいいはずである。
 新入部員が多い、少ないは、二年生が悩むところであるはずである。
 地区大会で予選を勝ち残れなければ、県大会には上がれず、四月の時点で引退 となってしまう。上手く全国大会に残れば、引退は夏である。
 この学校は進学校なので、三年生になった時点で受験は本格化するが、クラブ を頑張ってきたものにとっては、やはり目指すはインターハイであろう。
「新入生はそこそこ。なんなら、剣道部に回そうか? お前と引き替え、なんて いうのもいいなぁ」
 八坂は廊下を歩く間も勝也に絡んでくる。
 中学校の大会で一緒に走ったこともある選手が、高校が一緒になった。そうす れば同じクラブに入るものと思うのは自然の流れであろう。
 八坂はもちろん、勝也も陸上部に入るものと思っていた。疑いもしなかった。
 なのに、仮入部期間が過ぎても勝也は陸上部に見学にすらも現れなかった。
 当然八坂は勝也を勧誘にいった。
 それを勝也は……興味がないと断ったのだ。
 その時の八坂の気分は、「女に振られたときよりショックだった」と表現する。
 良きライバル、良き仲間となると信じていた相手は、走ることに興味がないと いったのだ。
 だったらどうして走っていたのかと問い詰めると、勝也は「一人で勝負できる ことだったから」とさらりと言ってのけた。
 つまり勝也の中に、同じレースで走る選手たちはいないも同然だったのだ。
 八坂は勝也を憎んだ。
 可愛さ余って憎さ百倍という奴である。
 徹底的に勝也を憎み、嫌い、無視して……それが一人相撲であることを、一学 期が終わる頃に悟った。
 秋になる頃には馬鹿らしくなった。その時に勝也は生徒会長となった。一年生 でありながら。
 こいつはもう、別の世界の人間だ。
 八坂はようやくそう思えるようになり、クラブのことで生徒会長としての勝也 に話しかけた。
「陸上部は頑張っているんだな」
 誰にでも見せている冷たい眼差しではなく、親しみをこめた柔らかな視線に、 男としても負けたことを知った。
 勝也にとっては八坂の反抗など痛くも痒くもなかったようであるが、それでも 八坂はお前なんか嫌いだというオーラを出しまくっていたし、口に出していもい たから、勝也がそれを知らないわけがない。
 それなのに、まったくごく普通に褒めるような感想を言われて、適わないと白 旗をあげた。
「どうして俺に絡むんだ?」
 聡い勝也にしては珍しく、八坂が絡む理由がわからなかったらしく、それが八 坂の気分を少しばかり浮上させる。
「井原って知ってる? 新入生の井原健(たける)」
「あぁ、知ってる。同じ中学の後輩だな」
 記憶力はかなりいい勝也は、その名前を出されてすぐに思い出したようだ。
「陸上部だったんだってなぁ?」
「勧誘なら自分でしろよ。八坂にスカウトされたなら、喜んで入部してくれるん じゃないか?」
 俺は無関係とばかりに、勝也は教室に入る。隣のクラスの八坂は、それでも執 拗に勝也について教室の中までついてくる。
「勧誘なんかしなくても、井原は陸上部にきたんだよ。初日からもう入部届けを 持ってな!」
 一ヶ月間は仮入部期間である。新入生は新学期が始まって翌週から、クラブに 見学に入れることになっている。
「良かったじゃないか。確か、速い方だったと思うけれどな」
「お前はそんな奴だよ」
 勝也の感想に、八坂はやれやれと首を振る。
「あのな、俺は大変だったんだといっただろう?」
 だから?と勝也もいい加減うんざりしてきた。本来、こんなにのんびり、遠回 しに話をされるのは好きではない。
「昨日、井原が入部届けを持って、見学にやってきた。奴は既に着替えも済ませ ていて、やる気満々だった」
「だから、なんだよ」
 温度の下がるような勝也の冷たい言葉に、八坂はそれでも負けないとばかりに 声を張り上げた。
「井原は入部届けを握りしめて、俺たちに向かって叫んだんだ」
 八坂はその時の井原の真似でもしているように、ぐっと拳を握り締めて天井を 睨むように立った。
「どうして陸上部に三池先輩がいないんですか!」
 勝也は疲れたように目を閉じる。それが合図のように予鈴が鳴り、気の早い担 任が扉を開けて入ってきた。
 クラス中の生徒と、担任の朝比奈陽の視線が、自分と八坂に集中していた。