Brother

 


 昼休みになって、お弁当を片手にいつもの場所へ行こうとした勝也の前の席に、どさっという音をたてるように座り込む生徒がいた。
 教室にほとんど残っていたクラスメイト達も、他クラスの彼がわざわざここに来ることが珍しいし、校内で一番可愛いと評判の彼……そんなことは本人の前では口が避けても言えないが……が“ボディガード”無しにやってきたので、興味津々でその様子を見つめている。
「お兄ちゃんが三人もいると大変じゃねぇ?」
 クルクルとよく動く表情は、本人の感情を全く隠さない。
 今は『うんざり』という顔をしているが、それがまた愛らしいのだから、周りの生徒がざわつくのも仕方ないかもしれない。本人はそんな視線など、一向に気にしていない様子だが。
 いきなりの話題に、勝也は溜め息を隠し、椅子に座り直した。
「大変……とは思わないなぁ」
 わざわざ恋人の春を通り越して勝也に『兄』のことで愚痴を言いに来たのだから、愚痴の内容は冬芽の兄、陽のことなのだろうが、それこそ勝也に言われても困る。
「お兄ちゃんズに怒られたいしない?」
 勝也は苦笑を隠せず、何を叱られたんだ?と聞いた。
「つまんない事だよ。全く、ちっちゃい父ちゃんか、ちっちゃい母ちゃんみてーでさー。煩いし、くどいし、いい加減にしろっての」
 叱られた内容は全然わからないが、愚痴の対象は、叱られた内容ではなく、叱った本人に向かっている。
 一体何をそんなに叱られたのか、そっちのほうが気になるが、この愚痴を長引かせないためには、黙って聞いているのが一番だろうと考えた。
 そのうち、お目付けが彼を探して迎えに来てくれるだろう。
 しかし、綺麗な顔は兄弟でよく似ているが、弟の方は幼い分、やはり可愛いという表現があっているだろう。顔いっぱい口にして不満を喋っていても、可愛い顔は可愛いのだなぁと妙に感心してしまう。
 勝也の恋人はやはり年上な分、怒っている時は静かな怒りのオーラが、その美しさを引き立たせて、ぞくりとしてしまうのだが。
「俺は兄貴達に叱られたことないけど、ヨウ先生には叱られるなぁ」
 あの綺麗な怒りのオーラを思い出して、不謹慎にも唇が僅かに笑む。
 それを引きつっていると思ったのか、冬芽は当を得たとばかりに、「ひでーよな。他所の弟にまで怒ってんてのかよ」と拳を握り締める。
 綺麗な顔には似合わない口の悪さだが、本人は全く気にしていない。
 勝也は陽の恋人なので、弟を叱るのとは違って、単に恋人同士の小さな諍いに過ぎないのだが、冬芽は同じように叱られたものと思い込んでいるらしい。
「ったくよー。俺は幼稚園児じゃねーっての。それをあれをしろ、これをしろ、そんなこともできないのかって、ちっちぇーことをくどくどと煩いってんだよ」
「冬芽」
 突然呼ばれた名前に、冬芽は驚いて背中をピシッと伸ばす。
「なっ、なんだよ、春かよっ。驚かすなよ、もうー!」
 ようやく引き取りに現れた“保護者”に勝也はほっとしつつも、それを顔に出さないように注意する。悟られでもして、さらに愚痴につき合わされるのはたまらない。勝也だって、一刻も早く、恋人の元へ行きたいのだ。
「お前が教室にいないから探したんだろ」
 意外な場所にいたために、春の出迎えが遅れてしまったらしい。
「じゃあな、冬芽」
「あっ、待てよ、三池。もっと聞いてくれよー」
「伊堂寺がいるじゃないか」
 勝也は手をひらひらとさせる。お役御免だとばかりに。
「だって、こいつってば、兄ちゃんに負けず劣らずの小言魔王なんだよー!」
「冬芽!」
 勝也は思わずぷっと吹き出して、それを見破られないうちにと、さっさと教室を後にした。


「遅かったな」
 数学科準備室に着くと、陽は既に食事を始めていた。出勤途中のコンビニで買ってきたものだろう。
「ある生徒の愚痴を聞かされていたんですよ」
 思わせぶりに微笑むと、勝也の担任は美しいラインの眉を寄せる。
「うちのクラスに問題があるのか?」
「うちのクラスじゃないですよ。ある生徒の至極個人的な家庭の愚痴ですね」
「なんだ、それは?」
 わけがわからないというように首を振って、陽はパンを齧る。
「お兄さんに酷く叱られたらしいですよ。謝りたいのに、素直になれないから、俺から言ってもらおうと思ったんじゃないですか?」
「…………冬芽か」
 はーっと大きな溜め息が出る。
「お前が弟だったら、俺も楽なのにな」
 それは冗談ではないと怒ることもできたが、勝也は少しばかり疲れているらしい恋人を癒すほうを優先することにした。
「俺の兄達は、そんなこと思っていないと思いますけどね」
 少なくとも、一番上と、二番目は、勝也のことを目の上の瘤、恋人の心の一部を占める憎らしい存在だと思っているのではないだろうか。それを重々わかっていて、時にわざとからかうような真似をしている自分も充分に悪辣な存在ではあるが。
「お前も怒られたりする?」
 同じ質問が兄と弟から発せられて、勝也はクスッと笑う」
「うちは怒ったりしないなぁ。どちらかというと、俺がつまんないことをすると、すごく冷たい、蔑んだような目で見られる。あれはあれでけっこう堪えるかな」
 あまり気にしているようにも思えない調子で、勝也は淡々と話す。
「一番上は、年が離れているし、それこそ出張が多い父代わりだったからなぁ。実は逆らえないんだよな」
 絶対、本人には口が裂けても言いたくないことだけれど。
 母親も何かあったときは、必ず洋也に連絡を取る。日頃兄弟などいないように振る舞っている長兄も、その時ばかりは自分の役目を完璧にこなす。
 そういえば……と、勝也はクスクス笑う。
「小さいお父さんか、小さいお母さんみたいだって、喚いていたな」
 子供の我が侭でしかない言い分が、今になっておかしくてたまらなくなる。
「小さい……は余計だな、あいつ」
 むっとしたように、陽は空になったパンの包み紙をくしゃりと握り潰す。
「言いたいだけ言って、すっきりしたようだし、帰ったら真っ先に謝るんじゃないかな? 許してあげたらどうです?」
 最期までは付き合っていないが、あとは春がどうとでもするだろうと、責任を丸投げしておく。
 特に仲を取り持つつもりはなかったが、わざわざ勝也のところへやってきたということは、謝りたいという気持ちが強く、事前に足場を均しておいて欲しかったからだろう。
「最初から素直に謝ってくれればなぁ」
 まるで親のような台詞がおかしくて、勝也は肩を震わせて笑う。
「そんなに笑うなよ」
「だって、俺は巻き込まれたんだから、それくらいはいいでしょ?」
 今までは優等生の生徒会会長、今からは年下の恋人、というように、勝也は口調も態度もガラリと変える。
「悪かったな」
「悪かったと思うなら……」
「ん?」
 振り向きかけた陽の腕を掴んで胸へと引き寄せる。
「あっ……お前、バカッ」
 ぎゅっと抱きしめられて、陽は慌てる。
 準備室までは他の教師も滅多に入ってこないし、今は二人きりだといっても、ここは学校内である。
「誰もいないでしょ」
 数学科の教員室にも誰もいない。ほとんどの職員は昼休みの時間、職員休憩室か、職員室にいる。
「俺のこと、二度と弟だったらな、なんて言わないで」
 囁くような小さな声でそっと告げる。むしろ陽に聞こえなくてもいいというくらいの小さな声だった。
 陽の手が勝也の背中に回る。回された手に力がこもり、抱き返されると、ほっとする。
「悪かった。もう言わないよ」
 うなじを撫で上げて、後頭部を包むように引き寄せる。今度は抵抗もなく胸に抱き寄せられた。
 柔らかい身体を強く抱きしめると、恋人の体温が心の中まで染み透るようで、嬉しさと幸せで一杯になる。
 愛して、愛される歓びが、毎回これが限界と感じられるのに、抱きしめるたびにまた大きくなるのが不思議だ。
「愛してる、陽」
 こめかみにキスを落としながら囁くと、陽の瞳が少しずつ開いていく。
 黒曜石のような蒼味を含んだ黒い瞳が勝也を見つめる。
 その目がまたゆっくりと閉じていく。
 勝也は唇に幸せの笑みを浮かべ、そのまま陽の唇へと重ねる。
 柔らかな唇を食み、吸うようにして、舌を忍び込ませる。
「ん……、んんっ」
 陽は引き込まれそうになる理性を必死で取り戻し、勝也の肩を押し返した。
「……これ、以上は……、ここじゃ駄目だ」
 精一杯の強がりで、勝也を睨む。
「じゃあ帰ってからね」
 頬に約束のキスを受けながら、冬芽の謝罪を聞くのは、とても遅くなりそうだなと、溜め息とも吐息ともつかない息を漏らした。






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