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「金曜日の夜」


 金曜日の夜十時過ぎの区間急行電車は、郊外の新興住宅地の住民達を寝床に運ぶ列車と言ってもよい。
 一週間の疲れを溜め込んだサラリーマンや、遊び帰りの余力のある学生か、学生とは言ってもバイト三昧で疲れて舟を漕ぐ若者たちなどで、遅い時間帯だというのに多くの乗客で混んでいる。
 そんな混雑を避けて、運転席のついた連結車両を好む者もいて、金曜日の夜のメンバーは、なんとなく決まっているのが面白い。
 そんなことを思いながら、彼は窓の部分に額を押し付けるように横に立っている少年に気をとられていた。
 今年の春から見かけるようになった少年は、まだ大学生になったばかりだろうか、にきびの残る頬を気にしているようで、時折指先がにきびを触っていたりする。
 金曜日の夜に決まってこの電車に乗るということは、バイトの時間の都合だろうか。
 下りる駅が同じなので、家もそう離れていないとは思うのだが。
 彼もまた、社会人三年目で、通勤時間の辛さに、少しは貯金もできたので、一人暮らしのマンションでも探そうと思っていたのだが、この電車で少年を見かけるようになってからは、マンション探しがストップしてしまった。
 特に目を引くほど綺麗な子でもない、ごく普通の少年がどうしてこんなに気になるのだろうと彼も不思議に思うのだが、よく疲れて窓にもたれて眠っている少年の切れ長の目元が、真っ直ぐに見てみたいと思わせるのだと思う。
 その時、ブーンと携帯電話の振動音がした。
 あまりに近くで聞こえたので、自分かと思ったが、スーツの内ポケットに入れている携帯から振動は感じない。
 少年が軽く身じろいで、ジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。
 黒一色の携帯に、金色の蒔絵シールが貼られているようだ。
 眠そうに携帯を開いた彼は、ボタンを二度ほど押した後、軽く眉を寄せる。
 電話ではなく、メールが届いたようだ。
「読めねーよ」
 少年の呟き声が聞こえる。
 画面の保護シールが貼られていなかったのと、少年が他の乗客に遠慮してか彼に背中を向けるように身体をねじったので、彼の位置からその文字が読めてしまった。
 ちっと舌を打つ音と、軽い溜め息が聞こえたので、彼は思わず声をかけた。
「ようかんって読むんだよ」
 ばっと少年が振り返った。びっくりしたように見開かれた目。
 蜂蜜色の薄い虹彩が彼を映す。
 いつも疲れたように伏目がちの少年しか見てなかった彼は、はっきりと見つめられて妙に緊張してしまった。
「あ、ごめん。困っていたみたいだから」
 彼が謝ると、少年は口の中でもごもごと、「や、ありがとう……っす」と小さな礼を述べる。
 少年は携帯を閉じて、決まり悪げにポケットに入れる。するとすぐにまた携帯が振動する。切れてまたすぐに鳴り始める。
 先ほどのメールでは「羊羹」の二文字しかなかったので、打つ途中で送ってしまったのだろうと思われたが、少年は続きのメールを見なくてもいいのかと心配になってくる。
「メール、届いているよ」
 どうにも気になって、羊羹の意味も知りたくて、つい余計なお世話を焼いてしまう。
「い、いいっす。……だまって食べたのを、怒ってるんだと……思うんで」
「相手はお母さん?」
 少年の横顔が赤くなるのが可愛くて、つい会話を続けてしまう。
「う……、はい」
 何事も一番恥をかきたくない年頃だろうに、会話が続いたことに驚きながら、それがまた嬉しくてついつい話しをしてしまう。
「駅前に美味しい和菓子屋さんがあるけど、あのお店の羊羹かな」
「どこのかまでは……?」
 そりゃそうだろう、男の子がテーブルの上だか、冷蔵庫の中だかにあった食べ物の包みなど気にするわけがないだろう。
 少年が顔を上げて、ちらちらと彼を見る。
「あそこのなら、俺の同級生の家だから、都合つけてあげられるよ」
「えっ、いや、そんな、悪いっす」
 少年は慌てて首を振る。まだまだ幼さの残る顔が、ますます愛らしく感じられてしまう。
「いいよ。帰ってお母さんに叱られるの、嫌だろう?」
 そういって彼は、携帯を取り出して、その友人にメールを送る。
 少年はどうしていいのかわからずにおろおろとしている。
 降りる駅が近づいた頃、メールに返事が来た。
「ちょうど一個残ってたよ。店の前で待っててくれる。行こう」
「えっ、でもっ」
「残り物だから、ただでくれるって。遠慮しなくていいよ。若い子がつまみ食いするくらい美味しいんだって、きっとあいつも喜ぶよ」
 そう言ったところで電車は駅につき、人並みに押されて二人も降りた。
「あの、……ほんとにいいんですか?」
「全然、いいよ」
 お礼に名前くらいは教えてもらえるだろうか。来週に会えたなら、また会話ができるだろうか。
 そんなことを楽しみにしながら、彼は改札を抜けたのだった。



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