月曜日の朝は誰もが少し疲れている。その中にも、休みの日の興奮をひきずって、結構ハイになっている者もいる。
 冬芽は気持ちをまだ平日モードに切り替えられない、少し疲れた者組。いつものように、春と二人で登校してきた。
「春! おーっす」
 春のクラスのハイテンション組が陽気に話しかけてきた。
「おはよ。元気だな」
 春が苦笑いをしながら、それに答えた。隣で冬芽がむっとしたのがわかった。
「おー。俺、春にあんな特技あるとは思わなかったなー。朝比奈、知ってるか? こいつ、歌を歌わせたら、すげー上手いの」
 そんなことは百も承知だと思いながら、冬芽は無視した。春のことを名前で呼び捨てにするなんて、許せないと思いながら。
「あれ? お姫さまはご機嫌斜め?」
 冬芽の性格を理解していないクラスメイトは、大きな声で春に聞いている。
「誰がお姫さまだよ! ばっかじゃないの?いつまでも、くだらねー遠足の話ししてんじゃねーよ」
 何を言われたのか理解しようとして茫然立ちすくんでいる男を思いっ切り睨んで、冬芽は走りだした。校門は目の前である。
「俺、何か悪いこと、言ったの?」
 別に、と言いながら、春はせっかく直り始めていた冬芽の機嫌をどのようにして取り繕うかと考えていた。気の重い一週間の始まりであった。
 乱暴に校門に走りこんできた冬芽を、勝也が出迎えた。
「冬芽、おはよう。荒れてるな」
「何してんだよ」
 冬芽は涼しげな顔で立っている勝也をついでに睨んだ。
「月曜日恒例の、遅刻者への注意勧告。冬芽もぎりぎりのせんなんだけれどね」
「ふん、めんどくせーことしてんじゃねーよ」
 そこへ春たちが到着した。
「春。テメー、遅刻だってよ」
 冬芽がにっこり笑って、春に突っかかっていく。
「まだのはずだけれど」
 春は発言した冬芽ではなく、勝也を見た。
「そう、まだ、遅刻ではないな、学校にはな。先に言っておくが、俺は一度手に入れたものは、返せといわれても返さないぞ」
「何っ!」
 校門で背の高い二人が睨み合う姿は迫力があった。
 冬芽はどうしたらよいのかわからずに、おろおろと二人を見比べた。
 その時、張り詰めた糸をぷっつり切るような、とぼけたチャイムの音がした。予鈴が鳴ったのである。
「冬芽。俺はこれから遅刻者の生徒手帳を預からなくちゃならない。昼休みに生徒会室においで。伊堂寺に勝ちたいって言ってただろ? 秘策を教えてやるよ」
 春が歯を噛み締めるのと反対に、冬芽はぱっと顔をほころばせた。
「本当か? わかるのか」
「ああ」
「じゃあ、行くよ!」
 無邪気とも言えるほど、冬芽は喜んで約束した。春はそんな冬芽を放って、校舎に向かった。
 
 昼休みに冬芽は生徒会室へとやってきた。勝也は既に部屋にいた。
「本当に春に勝てる秘策があるのか?」
 土曜日、二人は映画を見に出かけ、そこで冬芽はこの頃負け続けなのだと愚痴をこぼした。それを勝也が覚えていたのだろう。
「あるよ」
 勝也は笑って、その方法を冬芽に教えた。
「三池さー、笑うとすげー優しそうじゃん? なのにどうして、いつもブスッとしているわけ? 損してると思うけどな」
 勝也は苦笑する。それはいつの日だったか、自分が、ライバルだと決めていた兄にむかって言った言葉である。その兄に大好きだった人を取られた。あんな思いは二度としたくない。
「冬芽こそ、好きな人にどうして突っかかるかな」
 勝也に言われて、冬芽は真っ赤になった。
「な、何だよ。好きな人って!」
「伊堂寺が好きなんだろ? いまのままでいいと思っているのか?」
 勝也の思わず真剣な言い方に、冬芽は反論できなかった。
 いいはずがない。けれど、どうかしようと思えば思うほど、どんどん変になってしまうのだ。そんなことは初めてで、どうしていいのか、こんがらがった糸をほどくのに、強く引いてしまって、もうどこが始めの縺れなのかもわからなくなってしまった様だ。
「三池、頼みがあるんだけど」
 冬芽はふと思いついて、勝也に縋った。
「何?」
「今日の部活が終わった後、あいつのいるところで、オレに好きだって言ってほしい!」
「え?」
 思ってもいない頼みごとに、勝也はどうしようかと迷った。
「あいつがオレのこと、ただの幼なじみと思っているなら、俺はもう一緒にいるのが嫌なんだ。だけど、オレのこと、少しでも、そんな気持ちをもってくれているなら、いるなら、オレもう少し素直になるつもり、ある! だから、それを知りたいんだ!」
 春がそんな気持ちのあることくらい、外から見ればはっきりしているのに、この可愛い少年はまったくそれに気づいていないのだ。勝也はそれを教えていいものか悩んだ。
「嫌なのか?」
「嫌じゃないけれど。冬芽、人の気持ちを試すようなことをしていいと思うか?」
 冬芽はうな垂れた。
「いいと……思わない。思わないけれど、どうしても、オレのこと好きかなんて聞けない。だから、だから……」
 あの気の強い冬芽が泣きだしそうになっているのを見て、勝也は可哀相になってしまった。もし、これでさらに絡まってしまえば、その部分だけ切ってしまえばいいのだ。その後で、もう一度二人の絆を結び直すことの方が、容易いようにさえ思う。
「いいよ。してあげる」
 溜め息をついて、勝也はうつむく冬芽の頭を撫でてやった。
「ほんとに?」
「ああ、だけど、一つだけ条件がある」
「何?」
「陽先生にこのことを話してほしい。俺は先生に、疑いの欠片も持ってほしくないから」
「陽ちゃんに?」
 聞き返した冬芽に、勝也ははっきりと頷いた。
「どうして、陽ちゃんに?」
「好きなんだよ。陽が」
 勝也は陽を呼ぶのに、先生をつけなかった。それに、みんなが呼ぶようにヨウではなく、アキラと名前を言った。
「え? ほんと?」
 冬芽がしつこく聞き返すのに、勝也は照れたように笑って、首を上下させた。
「ええー! だって、七つも年上じゃん」
 冬芽でさえ、あまり遊ぼうという気がしない。父親の小型のように、いつも叱られていた。その兄を恋愛対象に思うなんて……。
「三池って、天然記念物」
 独り言のつもりが聞こえてしまったらしく、頭をコツンと叩かれてしまった。
 
 腰を落として蹲踞する。試合を始める前の神聖な儀式である。
 ピンと張り詰める緊張に、見学している美樹彦と弘章も気持ちを引き締めた。
 いつもと違う。
 見ている二人にもそれははっきりと感じられた。
 立ち上がって、竹刀を合わせ、間合いを取った。
 冬芽は竹刀を真正面に構えた。竹刀の先が春の目の前にくる。
 春はそれを見てから、自分も大上段に構えた。胴がガラ空きになる。けれど、そこに打ち込もうとすれば、素早く竹刀を躱されるのを、三人ともよく知っていた。
 冬芽は迫力のある春の構えを見ても、今までのように突っかかってこなかった。
 ジリ、ジリ、と足を運び、二人の間合いをはかっている。さすがに、剣道初段の腕だけはある。
 負けたくない。冬芽がどんな秘策を受けたのかわからないが、あいつの策略など、通用しないことを教えてやる。
 春は竹刀をぐっと握り締めてそんなことを考えていた。
「はあー!」
 突然冬芽が突きに打ち込んでくる。それを容易く躱した。当然冬芽が一度身を離し、正面から面を取りにくると思った春は、冬芽が懐深く入り込んできたのに、慌ててしまった。
「何?」
 竹刀をググッと合わせるが、冬芽はグイグイ押しつけてくる。春が冬芽を突き放そうとしたとき、急に竹刀の手応えがなくなった。
「めーん!」
「ああっ!」
 パシーンと響き渡る小気味のいい音。美樹彦たちが驚きの声を上げた。
『引き面』といわれる技が見事に決まった。
 冬芽の性格から、身を引きながらの技を使うとは思いもよらなかった。勝也の秘策であることは明らかだったが、こうも見事に決まるとは、冬芽の技術力が口だけでないことがわかる。
「やったね!」
 冬芽が面を取りながら、満面の笑みを浮かべた。冬芽のこんな笑顔を見るのは久しぶりだった。
 春は苦笑しながら面を外した。
「はーい。そこ、イチャイチャもいいけど、後片づけしよーねー」
 冬芽はご機嫌である。鳥肌をたてながら、美樹彦と弘章は後片づけに取りかかった。
「春も! 悔しいのはわかるけど、さっさとしろよな」
 春は溜め息をついてガタガタと片付け始めた。
 四人が道場を出ようとしたとき、勝也がやってきた。
「あれ? もう終わったの?」
「三池! 勝てたぜ!」
 勝也はよかったねと言いながら、冬芽の頭を撫ぜた。春のムッとする顔を横目で見ながら、勝也は話があるんだけどと、冬芽を引き止めた。
「じゃあ、先に行っといてくれよ。着替えたら帰っていいから」
「じゃあ、失礼しまーす」
 美樹彦たちが挨拶をして、体育館を下りていった。冬芽と勝也は道場へ引き返した。
「あいつ、引き返してくると思う?」
 冬芽は美樹彦たちと一緒に下りていった春のことが気懸かりになり、小さな声で勝也に尋ねた。
「間違いなくね」
 勝也は黙って聞き耳をたてていたが、コトンと漏れた小さな音を聞き逃さなかった。陽が、春の来たことを教えてくれる合図である。
「冬芽、来たよ。いいかい?」
 勝也は囁いた。
「冬芽。きみが好きなんだ。付き合ってほしい」
 思わず真剣な声に、冬芽は笑いをかみ殺しながら、なんとか打ち合せどおりに答えようとした。
「三池、そんなこと、突然言われても」
「突然じゃないだろ? 土曜日、映画館で手を握ったら、きみは握り返してくれたじゃないか」
 えー? そんなことしてねーよ。とは言えずに、冬芽は突然打ち合せから外れだした会話に、どうしていいかわからずに、口篭もってしまった。
「肩を抱けば頭をもたれさせてきた。頬に唇を寄せれば、僕の首に腕を回してくれた」
 勝也は目の前で冬芽が口をパクパクさせて慌てる様子が可笑しくて、つい悪乗りしてしまった。二人の表情は春からは見えないはずである。
「きみのその愛らしい唇が僕に答えてくれた。きみの舌は甘くって」
「み! 三池っ!」
 冬芽はそれ以上聞いていられなくなって、勝也を止めようとした。
「答えられないなんて言わせない」
 突然勝也に手を取られて、道場に押し倒された。
「もう待てない。ここできみを完全に俺のものにする」
「嫌だ!」
「嫌だなんて言わせない。そんなのは、土曜日のうちに言うべきだった」
 きつく手首を捕まれて、冬芽は本当に恐くなった。こんなにも力の差があるものなのかと。
「嫌だー! 助けて、助けて! 春!」

 

 

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