「嫌だー! 助けて、助けて! 春!」
 叫んだ途端、急に身体が軽くなった。何が起こったのかわからずに目を開くと、勝也が春に襟首を掴まれている。
「この野郎!」
 ガツンという鈍い音がして、勝也が横にふっ飛んだ。勝也が顔をあげると、唇の端が切れているのか、血が滲んでいるのが見えた。
 「絶対許さない!」
 更に勝也にのしかかろうとする春を、冬芽は慌てて引き止めた。
「やめて! 嘘なんだ。全部、三池の作り話。オレが頼んだんだ。こうしてくれって!」
「冬芽!」
 わけがわからずにじっと冬芽を見つめる春に代わって、勝也が言うなと止めた。
「いいよ。三池が殴られることない。オレが悪いんだ。三池は人の気持ちを試すなって言ってくれたのに。殴られるべきなのは、オレなんだ、春」
「どういうことだ?」
 春は掴んでいた勝也の肩を離した。
「お前の気持ち、全然わからなくて、お前がオレのことどう思っているか知りたくて、それで……、こんなこと仕組んだんだ」
「冬芽」
「お前、クラスが離れても平気だし、その方がいいなんて言うし。オレ、もうどうしていいかわからなくて」
 唇を噛み締めた冬芽の肩に、春が手を置いた。ビクンと冬芽の身体が揺れた。
「俺はもう行くから。二人でごゆっくり」
 勝也が口の端を手の甲でグイッと拭いて立ち上がった。
「三池、悪かったな」
 春が勝也を見つめた。
「別に」
 勝也は二人をチラッと見ただけで、道場を後にした。出口に陽が立っていた。
「春が行かなければ、僕が行ったよ」
「ちょっとノリすぎたかな」
「すごく、ショックだった」
 陽は俯いたまま、勝也を見ようとしなかった。
「ごめん」
 勝也が謝ると、陽が顔を上げた。
「痛そう……」
 陽が勝也の唇に指先で触れた。
「すまなかった。冬芽のために」
「これでチャラにする」
 勝也は陽の頬に手を添わせて、そっと口づけた。
「馬鹿」
 唇が離れた時、陽が抱きついてきた。
「やっと、手に入れた」
 勝也がその細い身体を力強く抱き締めた。
 一方、道場の二人は、外の二人よりも不器用に、まだしどろもどろの言い訳を繰り返していた。
「冬芽。一緒のクラスになれなかったことが、そんなに嫌だったのか」
 冬芽は膝を抱えるようにして座っていた。正面に膝をついている春を見ることができずに、爪先をじっと見ていた。
「クラスが別になったことは嫌じゃない。春が別になって良かったって言ったことが悲しかっただけだ」
 膝に顔を埋めて話す冬芽は、身体の小ささも手伝って、ずいぶん幼く見えた。
「それがどうして、三池の芝居につながるわけだ?」
「だって。今までみたいに一緒にいられなくなって、このまま……」
「このまま?」
 春は期待に胸を膨らませて、冬芽の告白を待った。期待してもいいのだろうか。こんな頼りなげな冬芽は初めて見る。その肩を抱いてもいいのだろうか。
「このまま、ただの幼なじみになっちまうのが嫌だったんだ!」
 冬芽は膝の中に完全に顔を隠した。肩の震えが冬芽の心を表わしていた。
「ずっと、ずっと、一緒にいたいのに、このまま春が離れていくようで恐かったんだ!」
 震える肩に、大きくて暖かい手が置かれた。冬芽は身体を固くした。肩に置かれた手が、そのまま背中に回り、きつく抱き締められた。
「好きだ」
 春の声がとても近くで聞こえた。
「冬芽が好きだ。ずっと前から」
「でも……」
「冬芽はこのまま離れてただの幼なじみになるのが嫌だって言ったけれど、俺はあのままずっと一緒にいれば、それこそ二人の関係は永遠に変わらないと思っていたんだ」
 春の思いがけない言葉に、冬芽はそっと顔を上げた。すぐ目の前に春の顔があった。
「好きだよ。ずっと冬芽のことが好きだった。一度離れて、恋人同志になれるように、二人の位置を決め直したかったんだ。冬芽がそんなに辛い思いをしているなんて知らなくて、ごめん」
 冬芽の大きな目から、涙がひと雫こぼれた。
「冬芽……」
 春の手が冬芽の涙を優しく拭ってくれた。
「オレも。春が好き。好き……」
 言葉の続きは、合わせたお互いの唇の中に消えた。
 何度も軽く唇を合わせていると、春の熱い舌が、冬芽の口の中に入ってきた。舌先が触れ合うと、身体が痺れたようになってしまい、冬芽は必死で春にしがみついた。
 その間にも、春の手は冬芽の白い稽古着の合わせ目から侵入し、薄い胸を撫ぜた。
「や……! 春」
 思わず身を引こうとした冬芽の身体を、春はそのまま床に横たえた。そのまま袴の紐をほどく。シュッという衣擦れの音が妙に艶かしくて、冬芽はずり上がって逃げようとした。だが、春に口づけられて、抵抗する気力をなくしてしまった。
「冬芽。好きだ。ずっと、お前だけを見てきた……」
 こんな時に、そんな熱い台詞をもらったら、誰だって対抗できなくなる。狡いと思いながら、冬芽はそんな春に溺れていく。
 下履きも剥ぎ取られて、夕陽の差し込む中で、冬芽の淡い声が響いた。下校する生徒たちの声が、遠くでする。あまりにも日常的な風景の中に、異質な自分たちがいることが、よけい身体の熱を煽った。
「あっ……!」
 春に身体の芯を捕らえられ、冬芽は胸を反らせた。白い胸に汗が浮かんで煌めいた。
「冬芽……」
「んんっ……、春っ!」
 首筋を吸われて、快感が走る。春の手が冬芽を擦り上げ、快感が突き抜けていく。
 呆気無く果ててしまい、冬芽は荒く息を吐いた。胸が激しく上下する。
「や……、もう……」
 その胸に、さらに春が唇を落としてくる。冬芽の放った滑りを手に、春は冬芽の身体の奥を探った。
「や! そんなの……、無理っ!」
 冬芽は首を振って逃げようとするが、春はそれを許さなかった。
「冬芽。俺はもう今までずっと待った。待ったんだ。だから……」
 だからと言われても……。冬芽は急に恐くなってしまった。できれば逃げ出したかった。けれど、春と目があってしまって、そんな気持ちが揺らぐ。
 鳶色の瞳の中に、自分の顔が見えた。それほど近くに春がいるということが嬉しかった。
「優しくしねーと、ぶっとばすからな」
 およそ、こんなシーンに似つかわしくない言葉で春を脅しながら、冬芽は春の首に腕を回した。
「んっ!」
 途端に、指を突っ込まれた。
 痛みと異物感に唇を噛み締めると、春がキスでその強ばりを解いた。
 何度も指を抜き差しされるうちに、じんわりと快感が広がっていくのがわかった。
「冬芽……」
 春の自分を呼ぶ声にさえも、反応してしまう。
 帯を解く音をぼんやり意識の隅で聞いたと思ったら、突然鋭い痛みと共に、言葉にできない圧迫感が押し寄せてきた。
「いっ……! やめっ。春……、だめっ!」
 必死で肩を押し返すが、春の大きな身体は、ぐいぐいと冬芽の中に押し入ってきた。
「冬芽、力を抜いて」
「でき……ないっ!」
 冬芽は首を振った。涙が目尻を伝う。
 春はその涙をそっと唇で吸った。頬に、目蓋に、鼻に、唇に、優しく何度も口づけた。耳朶を甘く噛み、舌で愛撫する。
 痛みできつく寄せられていた冬芽の眉がほどけていく。
 喉を、胸を、所有のマークを残すほどきつく吸うと、冬芽の口から、甘い声がこぼれてきた。
 春はゆっくりと動き始めた。
 冬芽が再び痛みを訴える。
 けれど、春はもう止めてやることができなかった。
「ごめん。ちょっとだけ……、我慢して……」
 冬芽は春にしがみついて、背中に爪をたてた。何かに必死で捕まらなければ、我慢できなかった。
 だが、春の息が荒くなる頃には、身体中を支配していた痛みが、気持ち良さにすり変わっていくのを感じていた。
「春……、春……!」
「……んんっ、……冬芽!」
 二人は同時に達した。
 春が愛しそうに、冬芽に口づける。冬芽もそれに応えて、舌を絡ませた。
「大丈夫か」
「大丈夫じゃ……ない」
 春は冬芽を抱きかかえて、上体を起こしてやった。
「春」
「ん?」
「オレなんかでいいのかよ」
 今更だと思ったが、自分の気の強さは誰にも指摘されることである。冬芽は少し心配になって、春に尋ねた。
 春は冬芽の髪を撫ぜながら、微笑んだ。
「冬芽ってさあ、知ってるか?」 
「何が?」
「冬の芽と書いて、冬芽だろ? だけど、冬に出る芽のことじゃない」
「うん、知ってるよ。だって、オレ、三月生まれじゃん。暦の上じゃ春なのに、どうしてこんな名前をつけたのか、不思議だったから、ちゃんと説明してもらったもん」
「春に出てくる芽は、冬の間にちゃんと育っている。その芽のことを冬芽という」
「うん」
 だから? と冬芽が目で聞く。
「だから、春、つまり、俺に出会ってこそ、冬芽は芽を出すことができるんだ」
 春はにっこり笑った。その笑顔があんまり眩しいのと、照れ臭いので、冬芽は顔を真っ赤にした。
「恥ずかしくねーの?」
 照れ隠しも手伝って、冬芽はいつもの乱暴な言葉遣いに戻っていく。
「恥ずかしいよ。だから、これっきり、今度からはそんなこと、言わない」
 二人は照れまくって、顔をそらせた。
 ようやく辿り着いた二人の位置だけれど、甘いというのには、程遠い二人だった。
 空高く、月が出ていた。
 
 
 
 翌日、冬芽が着替えもせずに部室で座っていると、美樹彦がやってきた。
「珍しいじゃん。一人なんて。弘章は?」
「担任に呼ばれてるんです。先輩こそ、着替えもせずに、何やってるんですか?」
「オレ? オレは今日、休むの」
 学校に出てくることもやっとだった。昨日は春に送ってもらい、陽に気づかれないようにするのがやっとだった。でも、陽も人のことは構っていられない様子だったが……。
「それこそ珍しいですね」
 冬芽は目の前で着替えをする、美樹彦の綺麗な背中を見て、ふと呟いた。
「お前、あんなこと、よく耐えられるよなー」「は?」
「弘章相手だと、辛くねー?」
「え?」
 美樹彦はポカンとして、冬芽を見つめた。あらわになった胸も綺麗で、自分に残されたような痕は何一つない。痕を残すタイプじゃないのだろうかと思って、冬芽はさらに呟いた。あくまで独り言のつもりである。
「慣れると、どうでもないのかなー」
「何がです?」
「カマトトぶるんじゃねーよ」
 それでもわからない様子なので、冬芽は自分だけがふしだらな気がして、思い切ってぶちまけた。
「だからな。セックスだよ。弘章相手にして、よくもつねって言ってんだよ」
「ええー!」
 美樹彦は真っ赤になって、タオルで顔を隠してしまった。
「そんなに驚くことねーじゃんかよ。今更」
「だ、だって、先輩」
「別に、お前が何ともねーんなら、オレもそのうち慣れるかもしれねーし」
 安心してもいいかなと思った冬芽に、美樹彦は爆弾発言をした。
「だって、僕。僕たち、手も握ったこと、ありませんよぉ」
 冬芽たちと美樹彦たち、そして勝也たち。それぞれの愛の形があって……、いいんじゃないでしょうか……ね?