奏のマンションを飛び出して、皓介はジルウェットへと向かった。
 この時間なら、父親も兄も、まだホテルにいるはずである。
 従業員用の入り口から入り、まずは兄のオフィスへと向かった。
「珍しいな……。ここにくるなんて、初めてじゃないか?」
 英介はデスクから立ち上がって皓介を出迎えた。その手にウェディングパーティのパンフレットを持っている。
「それさ、正真正銘、兄貴のプランだよな? 誰かの企画を盗んだり、真似したりしてないよな?」
 挨拶も何もなしに、いきなり皓介は真相を問い詰めた。
「相変わらず、失礼なやつだなぁ。同じ聞くにしても、もう少し聞き方があるだろう?」
「兄貴に着飾った言い方しても同じだろう。どうなんだよ」
 英介の持っていたパンフレットを取り上げてパラパラとめくる。
 ぱっと見ただけでも、さっき奏から聞いたばかりの内容とほとんど同じである。
「ちゃんと俺が考えたさ。ずっと企画を練って、何度も会議にかけて、ようやく開催にこぎつけたんだぞ。変な言いがかりをつけたら怒るぞ」
「証明する方法は?」
 兄の怒りなど痛くも痒くもない。
 痛いのは、奏の心なのだ。
「お前なぁ、もう少し相手にもわかる話し方をしろよ。途中の説明を省くな。来年はもう社会人になっていなくちゃいけないんだぞ。そんなことでアルバイトも勤まっているのか?」
「小言はいいから。どうなんだ? これがパクリじゃない証明、できるか? ヴィーハイヴから殴り込みがくるかもよ?」
「なん……だって?」
 英介は呆れ顔を一瞬で険しく引き締めた。この辺は流石に、鍛えられたホテルマンというところだろう。
「ヴィーハイヴでこれと同じ企画が立てられていたらしい。あまりに似ているんで、ジルウェットにリークしたと疑われている人がいるんだ」
「どうしてそこまで詳しく知ってる?」
 英介は自分より高い位置にある弟を睨みつけた。
「それはあとで親父に説明する。兄貴は、これがうちのオリジナルだっていうことを、客観的に説明できるものを用意してくれればいいんだ」
「うちが先に始めたんなら、後発は文句を言う筋合いじゃないだろう」
「だから、それじゃ駄目なんだって。これが、確実に兄貴のオリジナルだっていう確証が欲しい」
 英介は難しい顔をしていたが、すぐに内線で秘書へと電話をかけた。
「今度のドレスショーを雑誌掲載の依頼をしたのは正確にはいつだったかな……うん、……あぁ、そう。あの時インタビューに来たのは、小泉さんっていういつもの記者だったよね? ……いや、それがわかればいいんだ。ありがとう」
 電話を切って、英介は卓上カレンダーを手にとった。カレンダーのページを戻していく。
「企画を立ち上げたのはもう半年も前になる。その時に一度、ブライダル総合雑誌に出演者の募集も兼ねて掲載依頼を出して、インタビューを受けた。その掲載依頼を一度取り下げたんだ」
「何故?」
「ウェディングドレスのショーというのが、テレビで取り上げられたからだ。あれはホテルのショーではなくて、デザイナー志望の学生たちだった。ショーのモデルが、来春結婚を控えた女性たちというのも合わせて話題になった。だから、計画を練り直す必要ができた」
「証明する方法は……?」
「雑誌の方がかなりギリギリで差し替えを頼んだんだ。ゲラが出来上がっていたので、その分少し料金を上乗せしたりして、その時の書類がいろいろある」
「その雑誌の記者、怪しいな……」
 皓介は拳を顎にコツコツと当てて考え込んだ」
「記者がヴィーハイヴに漏らしたというのか?」
「ありえるでしょ。そっちのほうで何か掴めるといいんだけどなぁ」
「美土里に頼めばいいじゃないか。あいつは今、雑誌社の系列のラジオ局に勤めているじゃないか」
 姉の名前が出て、皓介はうーんと唸った。
 突然沸き起こった問題に、姉のことをすっかり忘れていたのだ。
「姉貴の力は借りたくない」
 片意地を張っている場合ではないと思いながら、どうしても奏と姉を取り持つようなことはしたくなかった。
「なんだよ、それは」
 英介は不審な顔を皓介に向けた。
「それより、親父の所に一緒にきて」
「なんなんだお前、いきなり無茶苦茶だろう」
「ジルウェットの危機だって言ってるだろう。いいから、早く」
 兄の腕を掴んで力任せに引っ張っていく。
 英介は既に諦めたのか、部屋を出るときに秘書に、ドレスショーの書類を全部まとめておいてと頼んでいた。

「まったく、お前は前しか見えないのか。もう少し利口だと思っていたんだがな」
 父の優介は情けないとばかりに、兄を引っ張ってきて、自分の言いたいことを怒り半分でぶちまけた皓介に、呆れるように首を振って嘆いた。
「とにかく、弓場奏を諦めて、ヘッドハンティングに行った奴らをここに呼んでくれよ」
 そんな父親のため息はまったく意に介さず、皓介は要求のみを口にした。
「それをしてもいいが、だったらお前は、自由は諦めるということなんだな」
 確かめるように言われて、皓介はぐっと息を詰まらせた。
「う……。わかってるよ。大学卒業したら、兄貴たちみたいにどこかに修行に出て、そのあとでジルウェットで働けって言うんだろ? いいよ、やってやるよ」
「諦めるのが早すぎやしないか?」
 どうやら父親の怒りは、皓介の結論の早さだったらしいが、とにかく急いでいる皓介は、嫌味や叱責は後回しにして欲しい。
「無理なものは無理。違う人材を探したほうが効率としてはいいんじゃないの? それに俺、ホテルの仕事、やってみたいと思うようになったし」
 優介はふんと愉快気に笑った。
「彼に交渉に行った相手は、お前が今、連れてきたじゃないか」
 思わせぶりに言われて、皓介は兄を見た。
「お前も失敗したんだろう? 別に俺が無能なんじゃないね」
「他には? 兄貴以外」
「他にはプロの交渉人が二人行っただけだ。どちらも接触した時点で失敗している。特に問題にする必要もないだろう」
「兄貴が行ったのって、まずすぎだよ。引き抜きとドレスショーの企画、どっちが先?」
 皓介はイライラするように髪の毛を掻き混ぜた。落ち着いて順序を考え、計画を完璧にしなければと思うのに、焦りからか、苛立ちからか、問題が複雑で冷静になれない。
「お前の言いたいことはわかるがな、向こうの話だって、かなりおかしいぞ。もっと落ち着いて考えろよ」
 英介は皓介の苛立ちに呆れながら、のんびりとした口調で話す。
「どっちなんだよ」
「ドレスショーの企画の最初は半年前。雑誌の掲載変更が四ヶ月前。この日付はかなり正確に裁判でも通じるだけの書類がある。俺が弓場奏の交渉に行ったのは三ヶ月前。一度目の接触ではっきり断られた。証人は……こちらの秘書と向こうの支配人だ。外部の証人が必要なら、予約を取ったレストランの店長が……」
「何で、向こうの支配人が……」
 兄の言葉に、皓介は引っかかった。
 奏を引き抜くのに、何故向こうの支配人と一緒に話し合いを持ったのか。
「そのことについては、この件が片付いてからゆっくり話してやる。お前も失敗したし、こんな問題が持ち上がったのなら、ジルウェットは弓場奏を完全に諦めることになる。隠す必要もなくなるんだが、この問題が引き抜きとは完全に別の問題として処理されなければ、どちらの立場も悪くなる。ジルウェットにとっても、弓場奏にとっても」
 ショックな材料があると、それまでの怒りや焦りは消えてしまうものだなと、皓介は半ば呆然としながら立ち尽くしていた。
「だから皓介、お前はこの問題をお前の知っている範囲だけで処理してこい。うちは独自で弓場奏を引き抜こうとしていた。ドレスショーはこちらの先行オリジナル企画である。必要な書類や証人は、お前の判断で集めろ。そのためにはジルウェット総力をあげて協力を惜しまない」
「一つだけ、聞いてもいいかな」
 今までの勢いは消えていた。カッカしているだけの無駄な熱量がひいている。
 今の皓介の胸の中には、静かな、けれど確かな、冷静な焔が燃えようとしていた。
「なんだ?」
「奏さんは……、弓場奏はジルウェットのスパイじゃないんだよな?」
「答えは聞かなくても知ってるだろ?」
 そう、皓介は知っている。奏のあのショックが贋物であるはずがない。
「わかった」
 皓介は自分がしなければならないことを、今は冷静に、確実に、しっかりと組み立てることができていた。


 


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